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2012年12月

2012年12月30日 (日)

静岡野球スカウティングレポート的2012年ベストゲーム!

 いよいよ、今年も残り僅かとなりました。年末恒例企画は「静岡MVP」だったのですが、今年は県野球が全国で振るわなかったので、来年への期待を高めつつ、見送ることにしました。かわりに、今年のベストゲームをテーマにしつつ、一緒に『静岡高校野球2012』制作に奔走してくれた知り合いのHさんと雑談しました。

1212301栗山 今年もけっこう試合を見ましたね。『静岡高校野球2012』を出した関係で、高校野球が中心でした。でも、僕が一番印象に残っているのは、ヤマハが都市対抗出場を決めた三菱重工名古屋戦。最後の場面はしびれましね。
 第4代表の初戦で負けてしまった時には、今年は無理かと思いました。
栗山 そうですね。でも、最後は1敗もできない状態から破竹の4連勝。底力を感じました。
 エースとして頑張った石山泰稚もヤクルトに1位で指名を受けました。新人合同自主トレから見に行きたいです。
栗山 ヤクルトは松井淳もいますね。戸田はなかなか厳しい環境だって言ったら、石山も表情を引き締めてました(笑)。早く神宮で投げる姿を見たいです。
 出る人もあれば、来る人もいる。ヤマハの新人で注目してる選手はいますか?
栗山 僕は三重中京大の長谷川亮佑ですね。左投手は戸狩聡希大野健介九谷青孝と一気に競争が厳しくなります。ところで、Hさんのベストゲームは?
 春の県大会の市立沼津vs聖隷クリストファーです。市立沼津がサヨナラ勝ちした試合。聖隷クリストファーの鈴木翔太は高1の時から何度となく見ていて、フォームはきれいだし、回転のいいボールを放るんですが、いかんせん非力な印象があったんです。でも、春にこの試合で見て、ストレートの力強さに驚きました。体格も変わりましたし。
1212302栗山 全体的に一回り大きくなりましたね。今は、そこからまた大きくなりましたけど。見る度に、下半身がしっかりしてくる。
 あの試合の時は市立沼津打線もどうにか揺さぶろうとしてたんですけど、先発した鈴木翔が良すぎた。9回までわずか1安打でしたからね。市立沼津の河野晋監督に先日お会いした時に、この試合の話を聞いたら、「あれだけいい投球をされたら、手も足もでないです」とお手上げ状態だったそうです。「ただ、うちは投手が揃っていたけど、向こうは一人。そこで、粘ってどうにかくらいついていけば…」ともおっしゃっていて、その通りの展開になったんですけど。
栗山 あの日は立ちあがり以外は、ストレートも低めに決まってましたしね。秋山皓郎に打たれた一球以外、失投らしい失投はなかった。
 そうなんですよ。延長10回まで0ー0でいって、それであの一球。見ていた観客も「あっ」って思った球でした。見逃さなかった秋山も大したものですけど。あれで試合が決まったようなものだった。鈴木翔はあの時に感じた一球の重みが夏の活躍につながったんじゃないかと思いますね。本人に聞いてないからわからないですけど。
栗山 あの後も何回も見に行ったんだから聞いてきてくれればいいのに(笑)。でも、この冬も、去年の冬以上の成長を見せてほしいですね。僕の来年の観戦テーマは、「鈴木翔を超える選手を探す」ですね。鈴木翔は高1の春に見て、惚れこんでから予想以上の成長をしてくれた。そんな選手をまた探したいです。
 私の来年の観戦テーマは左投手発掘。
栗山 それ、来年じゃなくて、Hさんの人生のテーマですよね。
 「今中信者」なので。高橋遥人(常葉学園橘)は柔らかくてかなり好きな左腕ですが、さらに掘り出していきたいです。あとは、「静岡を巣立つ高校球児」で取り上げた選手とか、県外に行く選手を見に行きたい。
栗山 僕も萩原大起(愛知学院大)を見に行きたいんですよね。大学デビュー戦は見たんですけど、それからほとんど見てないから。
 愛知リーグは静岡出身の選手も多いですからね。浜松工から愛知学院大を出た、浦野博司(セガサミー)も来年、ドラフト解禁ですよ。
栗山 プロ行ってほしいですね。あと社会人なら野村亮介(三菱重工横浜)が見たい。1年目から日本選手権で投げたり、順調に成長しているようです。常葉学園菊川出身のミラクル伊藤こと伊藤慎吾(法政大)も来年から三菱重工横浜に入るし楽しみ。
 でも、やっぱり高校野球中心になるでしょうね。中学も見たいな。中学は日程がわかる試合にしか行けないですが、来年見に行きたい選手がいるんですよ。
栗山 僕は中学だったら、来春、全日本春季軟式野球大会に出る選抜チーム(静岡中央クラブ)が気になってます。かなり力を入れて選ばれた選手たち。静岡の力を見せてきてほしいです。あと、ヤングリーグに参戦する静岡ジュニアユースベースボールも気になっています。ところで見に行きたい選手って?
 見てきたら連絡します。私もよくわからないので。どこ守ってるんでしょうね。
栗山 そこまでわからない選手を見に行くHさんがすごいです(笑)。でも『静岡高校野球』はこんなかんじで、いいと聞いた選手はとにかく見に行くスタンスでしたね。時間があれば試合に行くのは来年も変わらないでしょう。
 ふらっと行った球場で、運命の出会いっていうのが理想です。名前を知られていないような好選手を見つけたいので。
栗山 でも、来年一番楽しみなのは草薙球場かもしれません。球場が広くなることで、どんなドラマが生まれるのか。木製だという外野の座席も気になります。とりあえず、今回はこのへんでお開きにしましょうか。
 じゃあ、来年は三が日にまず東部で会いましょう。
栗山 楽しみですね。来年もよろしくお願いします。

 2012年も1年間、静岡野球スカウティングレポートにお付き合い下さり、誠にありがとうございました! 2013年もよろしくお願いします。

<栗山の選ぶベストゲーム>
ヤマハ、9年連続36回目の都市対抗へ!
http://tsukasa-baseball.cocolog-shizuoka.com/blog/2012/06/36-4469.html

<Hの選ぶベストゲーム>
春季大会 市立沼津vs聖隷クリストファー
http://tsukasa-baseball.cocolog-shizuoka.com/blog/2012/04/post-5300.html

<写真上/9年連続の都市対抗出場を果たしたヤマハ>
<写真下/市立沼津戦で好投する鈴木翔太(聖隷クリストファー)>

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2012年12月29日 (土)

静岡を巣立つ高校球児~小林弘郁編・下

 オフシーズン企画として始まった「静岡を巣立つ高校球児」。編集部Hが、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、小林弘郁(市立沼津3年)編です。 「静岡を巣立つ高校球児~小林弘郁編・上」はコチラ

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静岡を巣立つ高校球児~小林弘郁編・下

Alim1565★痛恨の一球から見えた課題
 3年春には故障もあったが、3年夏にはベスト8。後藤魁ら投手陣と共に奮闘した。しかし、今でも準々決勝の静岡商戦で延長13回に中本聖エリヤに決勝タイムリーを打たれた一球については悔やんでいる。「フォークが落ちなくて、真ん中低めにいってしまったんです。試合の後に、何で敬遠しなかったんだって周りに言われて。あっ、敬遠って作戦もあったんだなって。抑えるって気持ちはあったんですけど、冷静に判断する目がなかった」。
 本来、小林は「ピンチも楽しみたい。せっかく好きなことをしているんだから、いやだなとは思いたくない」という考えを持っていた。しかし、この土壇場には、緊張で頭が働かず、メンタルの弱さを痛感した。
 そうして高校野球を終えた小林。しかし、「プロ野球選手」という夢を持っている小林に落ち着いている暇はなかった。大学の練習会に参加し、中でも一番雰囲気がよかったという愛知大学リーグの愛知東邦大に進学を決めた。

★愛知大学リーグ3部という選択
 愛知東邦大は、選手全員が声が出ていて、しかもその声が的確なところに好感を持ったという小林。捕手の大村祐麻と共に来春からプレーすることになった。
 しかし、愛知東邦大は今秋の2部リーグ戦で全敗し、入替戦でも敗退したことで3部に降格した。失礼ながら、小林ならば、愛知大学リーグの1部や、もっと高名な大学に行けたのではとも思う。「話はあったんですけど。愛知東邦大は、早くから使いたいと言ってくれて、環境も整ってる。1年ずつかけて、チームを上に上げていくぐらいの気持ちで挑戦していきたいなと。自分が歴史を作りたいという気持ちもあります」。左腕とはいえ、174センチと小柄な小林がプロを目指すにあたって、有名な大学で埋もれてしまうことを嫌った選択でもあった。

★球速アップを目指す
Dsc_7787_3 大学でアピールしたいところを聞くと、「ストレートのキレと伸び。あとは、テンポの良さと、マウンド上で堂々としているところとか見せていきたいです」とハキハキと答える。現在、最速135キロのストレートは、今後、数字も体感もスピードを伸ばしたいそうだ。
 目標の選手は、藤川球児(カブス)。少し意外に感じたが、そこにもストレートへのこだわりがあり、「速さは150キロでも160キロに見える、そういうストレートを投げたいと思ってます」という。今は、できるだけ体を動かすことを心がけ、家でも腹筋背筋や、風呂で水圧を利用して手首を鍛えるなど、大学野球への準備を怠らない。
 今後の課題としては、球速を上げること以外に、下半身強化でスタミナを養うことや、変化球の質の向上を挙げた。それと同時に、小林は1年からどんどん試合で投げることも目指している。忙しい4年間になりそうだ。

★小林弘郁からのメッセージ
 最後に、高校球児にメッセージをお願いした。「一生で本気で頑張ることってそんなにないと思います。夏の大会まであと少ししかないので、本気で頑張ってみろと伝えたいです」。
 小林は将来の夢をはっきり「プロ野球選手」と口にする。それは、「夢ははっきり言った方が叶うかなと。強気でいきたい」という理由からだ。小林に一貫していた前向きな姿勢、ポジティブな考え方は高校に入ってから、山本晃義副部長に色々な話を聞かせてもらって身についたものだという。ストレートが武器の小林だが、真っすぐな人柄も大きな魅力。夢に向かって、全力で走り続けてほしい。

河野晋監督からの贈る言葉
こちらの想像をはるかに超えるほど、精神的に成長してくれました。今後、違う環境でも自分の力で成長していけるよう、頑張ってほしいです。まだ一伸びも二伸びもできる選手。ただし、謙虚に!

■小林弘郁[こばやし・ひろふみ]
投手/市立沼津3年/174cm75kg/左投左打
小学4年で野球を始めると同時に、投手となる。裾野西中では2度県大会出場。市立沼津入学後、1年秋からエースとなり、3年夏はベスト8。クロスファイヤーが魅力の左腕は、愛知東邦大に進学し、4年後のプロ入りを目指す。

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 愛知大学リーグには今年も多くの県高校球児が進学します。2部からでも即戦力でプロで活躍する選手が出るほどレベルの高いリーグなので要注目です。
 「静岡を巣立つ高校球児」も今回が年内ラスト。来年の一発目は番外編になる予定です!
 ちなみに、この取材中に、盛り上がったのは小林が最近飼い始めたというインコの話。「可愛いです」とこの日、一番力強い言葉が聞けました。毎日インコの存在に癒されているそうで、羨ましい…。(編集部H)

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2012年12月26日 (水)

静岡を巣立つ高校球児~小林弘郁編・上

 好評連載中(のはず!)の「静岡を巣立つ高校球児」。編集部Hが、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。(第1回中澤彰太編第2回藤山知明編第3回大友伸久編
 第4回は、今夏、市立沼津のベスト8の原動力となった左腕・小林弘郁(市立沼津3年)。1年秋から背番号1を背負い、キレのあるストレートで観客を魅了しました。卒業後は愛知東邦大に進学する小林のインタビューを2回にわたってお届けします。

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静岡を巣立つ高校球児~小林弘郁編・上

★野球人生の始まりが投手人生の始まり
08 小林弘郁は完全な左利きだった。字を書くことも、食事をする時も全て左を使う。だから、小学4年で野球を始めた時も、当然のように「少年野球の監督に、左だからピッチャーをやってみたらと言われて」ピッチャーとなった。それ以来、ずっとマウンドの上に立っている。「ピッチャーが楽しくて、他のポジションにはあまり興味もなかったです。ピッチャーは、責任を背負わされているという緊張感が、逆に楽しいですね。目立つところも好きです。僕、目立ちたがり屋なんで」。
 裾野西中では県大会に2度出場したが、2度とも初戦敗退。そして、高校進学時に、市立沼津に誘われた。当時の市立沼津の監督はOBの水口清治氏だった。「水口監督と僕の中学の同級生の親が、同じ時に市立沼津で野球をやっていて、その方に市立沼津はいいぞと勧められて決めました」。地元では人気の高い高校で、小林の高校野球が始まった。

★2年夏の悔しさ
 市立沼津に入学した当初、小林は裾野にある自宅から電車で通っていた。しかし、同学年の投手である後藤魁や今村亮が10キロ以上の道のりを自転車通学していることを知り、小林も12キロを自転車で通うことにしたという。
 そんな地道なトレーニングも功を奏したのか、小林は1年夏からベンチに入った。そして、1年秋からはエースとして、小林の活躍が始まる。2年春には東部大会優勝に貢献。着々と実力をつけて挑んだ2年夏に、2回戦で飛龍に敗退した。それは、高校時代で一番印象に残っている試合だと言う。
 小林は先発して、7回1失点で降板した。ベンチからチームの勝利を祈ったが、延長12回に飛龍が勝ち越し、そのまま逃げ切った。「最後まで投げたかったっていうのもありました。でも、相手のチームが強いチームなので、石川(数馬)さんにスイッチした方が確実に点を取られないなと。もう少し投げたかったんですけど」。思い出したのか、今でも、悔しさをにじませる。けれど、チームのことを考えられるようになったことも大きな成長だった。「高校に入った時には一人で投げる、自分が抑えればいいって気持ちだったんです。でも、自分一人で野球をやっているんじゃなく、全員でやっているので周りにちゃんと声をかけることが大事だって気付かされましたね」。一つ上の先輩たちと試合を重ねて、学んだことは多かった。

Alim1566

★努力で武器にしたインコース
 小林の投球を見た時に、一番印象に残るのは、右打者の内角低めに突き刺さるクロスファイヤーだろう。しかし、意外にも小林がその武器を手にしたのは、2年の夏頃だった。「2年の春にインコースに投げられなくて、打たれて負けてしまって。インコース投げる練習しろって一つ上のキャッチャーの方に言われて、練習して、夏頃に投げられるようになったんです」。それからはどんどん投げるようになった。今は、一番自信のあるボールを尋ねても、「インコース低めのストレート」と即答する。
 「だから、右打者には自信があります。チェンジアップも右打者のアウトコース低めにシンカー気味に逃げていくので」。逆に、左打者は投げづらさを感じている。3年夏に静岡商の大型左腕・今本茂雄と対戦した時には、「球の出所が見にくくて、気づいたらボールが近くにあるなって感覚を持って。ちょっと左打者が打つのは大変かなと。左に強いのは羨ましいな、見習いたいなと」思ったそうだ。

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 「静岡を巣立つ高校球児~小林弘郁編・下」はコチラからどうぞ!(編集部H)

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2012年12月23日 (日)

「静岡高校野球2012」アンケートにご協力お願いします

 今年6月に発売した「静岡高校野球2012」はご好評をいただき、大変充実した1年となりました。ご購入いただいた方、何も実績がない媒体の取材を快く受けていただいた学校関係者の方、情報を教えていただいた方などたくさんの方にお世話になりました。ありがとうございました。
 すでに、静岡高校野球編集部は、来夏発売予定の「静岡高校野球2013」に向けて動き出しています。そこで、「静岡高校野球2012」がお手元にある方に是非お聞きしたいのが、「静岡高校野球2012」で一番面白かった企画。巻頭の注目プレーヤーや裏表紙の進路リストについては、「静岡高校野球」を出す上で軸になるページなので、人気があってもなくてもやります。なので、今回はそれ以外の企画で面白かった企画を教えていただけると嬉しいです。
 今のところ、インタビューを増やすか、読み物系を増やすか少し悩んでいます。

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2012年12月21日 (金)

静岡を巣立つ高校球児~大友伸久編・下

 オフシーズン企画として始まった「静岡を巣立つ高校球児」。編集部Hが、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、大友伸久(島田樟誠3年)編です。 「静岡を巣立つ高校球児~大友伸久編・上」はコチラ

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静岡を巣立つ高校球児~大友伸久編・下

Ootomo_2★ポジショニングへの意識
 進学先として岐阜経済大に決めたのは、再び、「新しい環境に飛び込みたいから」だという。関西に戻る道もあったが、高校入学時と同じように、全く新しい環境で、一から勝負する。
 大学でアピールしたいのは守備。「守備では負けたくないっていうのはあります。自信があるのは速さ。ハンドリングとかですね」。
 しかし、大友の守備はただ打球に対して早く反応し、捕りにいくということだけではない。「ポジショニングに対する意識は一番大きいです。打者が何を狙っているかとか考えたり、自分たちが欲しいプレーを狙いにいったりとか。一球ごとに守備位置を変えたり」。ポジショニングの意識はキャッチャーをしていた小学生時代から叩き込まれ、中学でも厳しく言われて身に付いたという。特にキャッチャーとしてグラウンドを見渡した経験は大きかった。時には大胆に野手の守備位置を動かしたり、打者を観察する目を養ったことがショートを守る上でも役に立ったようだ。

★器用さに力強さをプラス
 今後の課題としては打撃の力強さを挙げた。右打ちが得意な大友は、打率を残せる打者を目指しつつ、ホームランを打てるようなパワーを身につけていきたいそうだ。長打力は高校でも伸びたが、「もっとホームランを打っておきたかった」と言う。タイミングの合わせ方もイメージを重ねている。
 打撃フォーム自体は、かなりの変遷をたどっている。「だめだと思うとすぐ変えるタイプです。練習試合だとどんどん変わっていったり。打てたらそれでいいかなって思うんですけど。ちょっとよさそうだなと思うと取り入れてます」。考えも柔軟だが、それに対応できる器用さも大友は持ち合わせている。
 その器用さを現すのが、故障中に左打席に入っていたというエピソード。右打者の大友だが、生駒基樹監督曰く、「本職の左打者よりもよかった」そうだ。大友本人も、「左打席は一塁まで本当に近かったです。バランスも良くなりましたね」と感触は悪くなかったようだが、「スイッチはちょっと無理でした」と両打ちに色気は示さなかった。

Photo_2★大友伸久からのメッセージ
 最後に現役球児へのメッセージを聞いた。「やっぱり頑張ってほしいというか、思いきりやってほしいですね。悔いなく」。自らは悔いを残した高校野球。今後は大学野球にステージを移し、「将来は社会人野球を続けられたら」という。
 目標としているのは坂本勇人(巨人)。1番でも3番でも対応し、その華のある雰囲気にも惹かれるようだ。大友が目指すところも、グラウンドで目立ち、相手の警戒感を煽る選手。しかし、朴訥とした語り口で、170センチと小柄な大友も、グラウンドに立つとすでに別人のような存在感を放っている。大学野球で輝きに磨きをかけてほしい。

生駒基樹監督からの贈る言葉
 甲子園に行きたいといってうちを選んでくれたのに、出してあげることができず申し訳なかったです。本人も不完全燃焼の気持ちが強いと思いますが、もっと高校で活躍できた選手。大変な時期もありましたが、キャプテンとしてよくチームをまとめてくれました。将来は社会人かプロで野球を続けてほしいですね。

■大友伸久[おおとも・のぶひさ]
遊撃手/島田樟誠3年/170cm70kg/右投右打
奈良・登美ケ丘中では南都エンゼルス(ボーイズ)に所属。島田樟誠に入学後、1年夏からレギュラーとしてショートを守り、強肩を生かしたスローイングとスピーディーな守備が注目を集めた。岐阜経済大に進学し、花も実もある選手を目指す。

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 岐阜リーグには近年、静岡から進学する選手が多いので、注目です!(静岡リーグも負けてもらっては困りますが…)
 ちなみに、大友の得意教科は英語だそう。「大学の勉強って難しいんでしょうか」と少し不安そうでしたが、野球はもちろん、大学生活も楽しんでほしいですね。
 「静岡を巣立つ高校球児」は年内ギリギリまで更新します。来週もお楽しみに!(編集部H)

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2012年12月20日 (木)

facebook「静岡高校野球」をよろしくお願いします!

 「静岡高校野球」のfacebookページに「いいね!」をしてくださる方が、今日、100人を超えました。本当にありがとうございます。県内の野球好きの方はもちろん、県外の方、元静岡高校球児の方など様々な方に、「いいね!」をしていただきました。
 いまだ活用できているとは言い難く、この「静岡野球スカウティングレポート」の更新情報や、時折、球場の風景などの写真を載せるにとどまっていますが、来年はもっと発信していければと思っています。

 また、「静岡高校野球編集部」のツイッターも、気付いたらフォロワーが550人を突破していて、大変嬉しかったです。ツイッターは若い方も多く、見ていると現役球児もチラホラ。流行っているようですね。
 ツイッターでは取材に行った時のことや、観戦した試合の速報などをちょこちょこつぶやいています。こちらも、ブログ、facebookページともどもよろしくお願いします。

facebook「静岡高校野球」
http://www.facebook.com/shizuokabb

Twitter「静岡高校野球編集部」
https://twitter.com/shizuokabb

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2012年12月17日 (月)

静岡を巣立つ高校球児~大友伸久編・上

 好評連載中(のはず!)の「静岡を巣立つ高校球児」。編集部Hが、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。(第1回中澤彰太編第2回藤山知明編
 第3回は流しのブルペンキャッチャーこと安倍昌彦さんをして、「ただものじゃない」と言わしめた遊撃手・大友伸久(島田樟誠3年)。堅実に見えて、大胆な守備が目を引きました。卒業後は岐阜経済大に進学する大友のインタビューを2回にわたってお届けします。

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静岡を巣立つ高校球児~大友伸久編・上

★誰も知らない環境に挑戦
 奈良県奈良市に生まれた大友は7歳の時に野球を始めた。小学生の時に守っていたのは主にキャッチャーだったそうだ。「練習試合でキャッチャーやってみろって言われて、そこからずっとキャッチャーでした。肩が強いとかそういうわけでもなく」と、たまたま守った守備位置だった。
Ootomo_2 中学では、ボーイズの南都エンゼルスに所属し、ショートを守り始める。高校進学に際しては、関西から誘いも多かったが、静岡の島田樟誠に進学することを決めた。後に島田樟誠のエースとなる五條ドラゴンズの平尾光二を見に来ていた島田樟誠の部長に声をかけられたことがきっかけだったそうだ。縁もゆかりもない静岡に来ることに対して、「奈良を出たいというのがあったので。知り合いも多いし、あまり面白くないかなと。誰も知らない環境に行きたかった」という。
 最初は話し方の違いや男子校という環境に驚きもあった。しかし、1年夏にはショートのレギュラーとなり、背番号6をつけて出場した。学校としても島田学園から島田樟誠と校名を変更して初めての夏だったが、大友の活躍もあり、2回戦に進出した。

★花嶋修平の凄み
 大友が2年だった昨夏、島田樟誠は初戦で磐田東と対戦し、コールド負けを喫した。この年、準優勝を果たした磐田東。その強力な打線の3番を打っていた花嶋修平(現JR東海)に大友は大きなインパクトを受けた。「花嶋さんはめっちゃ雰囲気がありました。打たなくても警戒しないといけないというか。その一人の存在感で、チームとして警戒してしまっている時点で、もう負けてると思います」。打席に立っただけで、相手に警戒感を持たせる。自分もそういう存在になりたいと思ったそうだ。
 花嶋を含め、一つ上の世代はすごかったという大友が、印象に残っている投手は静清の野村亮介(現三菱重工横浜)。「角度にはびっくりしました。打ちにくいのはわかってたんですけど、打てなかったですね」と苦笑いした。

Ootomo★敗戦の悔しさで決意
 3年生たちが引退し、最上級生になった2年秋に、大友が一番印象に残っている試合があるという。敗者復活戦から県大会出場を決めた時の静岡商戦だ。1-0と僅差で県の強豪校を打ち破った。静岡出身の選手ほど、「静商」という名前にプレッシャーは感じなかったというが、「一番緊張したんじゃないですかね。チャンスは向こうがけっこう多くて、こっちはピンチばかりだったんですけど。0点で切り抜けて勝てたっていうのが印象にあります」と振り返る。
 秋の県大会では2回戦で敗退したが、翌春の県大会にも出場した。しかし、その県大会で大友は手首を痛め、スイングすることにも苦労するほどになった。練習試合では本来の右ではなく、左打席に入りしのいだが、最後の夏に完璧な状態に戻すことはできなかった。本来のバッティングができないまま、島田樟誠は2回戦で市立沼津に0-10と大敗した。試合後に学校のグランドでセレモニーが行われたが、終わると大友はすぐに1年生にティーを上げてもらって練習をしたそうだ。「やりきったというかんじはなかったですね。悔しかったです」。高校野球を満足する形で終えられなかった悔しさに、「やらなあかん」という思いが芽生え、大友は大学で野球を続けることを決心した。そして選んだのが岐阜経済大だった。

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 「静岡を巣立つ高校球児~大友伸久編・下」はコチラからどうぞ!(編集部H)

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2012年12月13日 (木)

静岡を巣立つ高校球児~藤山知明編・下

 オフシーズン企画として始まった「静岡を巣立つ高校球児」。編集部Hが、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、藤山知明(佐久間3年)編です。 「静岡を巣立つ高校球児~藤山知明編・上」はコチラ

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静岡を巣立つ高校球児~藤山知明編・下

13★最後の夏を終えて
 冬のトレーニングで力強さを増した藤山。春先には、少しずつ「佐久間にいい投手がいる」と話題になるようになった。今春は初戦の浜松湖東戦は勝利したが、浜松工に敗退。好調で迎えた今夏は、沼津高専を2安打、庵原を6安打で連続完封。しかも無四球という内容の良さだった。佐久間の剛腕として注目を集める中、静清戦に挑んだが、2-13で負けて最後の夏を終えた。しかし、藤山は高校2年ぐらいの頃から、横山崇前監督に「大学で野球やれよ」と言われていたこと、実際に大学からも誘いが来たこと、球が速くなったことなど様々なことがきっかけとなり、「大学野球に挑戦しよう」と決めていた。
 そして、いくつかの大学の練習会などに参加して、関甲新学生リーグの平成国際大に進学を決めた。静岡の野球ファンにとっては、牧田和久(西武)の母校としてもお馴染みだ。

★ストレートの「速さ」を追求
 上のレベルでやるために、現在の課題は「ストレートをもっと磨きたいと思っています」と語る。とはいえ、アピールしたいポイントもストレートだ。空振りの取れる、高めのストレートには自信があるという。「まずは速くなりたいなと思っています。数字的にも体感的にも」。大学のセレクションでブルペンに入った時に、足の下ろし方を意識したことで感覚をつかみ、球速がまた上がった。130キロ後半だった球速も、現在は140キロはいっている実感があるようだ。
 今は体作りに打ち込んでいて、特にウエイトトレーニングには力を入れているという。「巨人の澤村(拓一)投手がウエイトで球が速くなったといっていたので、あれぐらいになれば自分も球が速くなるかなと思っています」と、目標とする投手としても名前を挙げた澤村のトレーニングを参考にして、大学に合流する日に備えている。

Alim1523★藤山知明からのメッセージ
 最後に、藤山に、現役球児へのメッセージをお願いすると、「えーっと…頑張ってください」と照れて口ごもった。ただ、「1年の時から本格的に肉体を変えればよかった。時間が少し足りなかったとは思う」と、自分の高校生活を振り返りつつ、教えてくれた。
 将来は「野球を続けたい」と控えめに語る藤山だが、投手経験の少なさという大きなのびしろを、大学4年間で自分の実力としていければ、その先も見えてくる。藤山が目指す、「ストレートを武器にできる投手」に成長する日を楽しみに待ちたい。

中村匠監督からの贈る言葉
今夏は私がいてもいなくても変わらないほど、藤山たち3年生がチームを引っ張ってくれて2つ勝つことができました。環境は大きく変わりますが、早く慣れて頑張ってほしいです。将来はプロとまでは言いませんが、社会人などで野球を続けてほしいです。

■藤山知明[ふじやま・ともあき]
投手/佐久間3年/178cm75kg/右投右打
佐久間中ではショートを守り、佐久間に進学後、1年秋に本格的に投手転向。140キロ近いストレートとキレのいいスライダーのコンビネーションで今夏は3回戦に進出した。卒業後は平成国際大で自慢のストレートに磨きをかける。

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 関甲新学生リーグには藤山の他にも多くの選手が静岡から進学します! また、静岡野球スカウティングレポートにて続報をお届けします。
 今回の取材で驚いたことは、ツイッターでも書きましたが、藤山が静岡野球スカウティングレポートをまめに見てくれているということでした。こちらが、「えっ、何でそれ知ってるの!?」状態。藤山くん、静岡を離れてもまた見てください!
 存在を知っているという球児が最近増えているので、大変嬉しいです。更新頑張ります。(編集部H)

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2012年12月11日 (火)

台湾遠征選抜チームの練習を見てきました

Alim1531

 9日に清水庵原球場で台湾遠征選抜チームの練習を見てきました。風が強く、砂埃や風花が舞う一日で、グランドの選手たちもかなり寒そうでした。

 この日の練習はストレッチ、ダッシュから始まり、走者を置いてのシートノック、投手がマウンドに上がっての実戦形式の練習などが行われました。常葉学園橘の選手たちが練習を手伝い、走者としてガンガン走ったり、声を出したりと盛り上げてくれました。
 まだ2回目の練習ということもあるのか、選抜チームはあまり声が出ていませんでしたが、キャプテンの青島勢奈(常葉学園橘)が積極的に声をかけてチームをまとめようとしているのが伺えました。投手が外野に回ったり、本職ではない守備位置を守る選手もいるので、声かけは特に頑張ってほしいところです。

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 その選抜チームでこの日一番目立っていたのが小豆澤誠(飛龍)。セカンド守備では、ダイビングキャッチ、崩れた体勢からでもストライク送球など、秋季大会でも見せたアクロバティックな動きで存在感を発揮。打撃でも相手の虚を突くプッシュバントを決めて、手伝いをしていた常葉学園橘の選手たちを唸らせるなど、自分が何を求められているのかわかっている選手です。隙を見逃さない積極的な走塁もあり、この日は「いいプレーだな」と思うとたいてい小豆澤という状態でした。いわゆる日本らしい選手だと思うので、台湾でも活躍に期待したいです。

 ここから雑感ですが、投手では、大井祐輝(菊川南陵)が寒さに負けず、腕が振れていて良かったです。今村拓(日大三島)もフィールディングが良く、スライダーが切れていました。エース候補の高橋遥人(常葉学園橘)は相変わらず柔らかくていいしなりをしていましたね。
 野手では佐々木啓太(静岡)の体格が目立っていて、さすが静高でした。もちろん、スイングも鋭かったです。投手の宮澤信太郎(沼津東)は今回、野手として使われることが多そうですが、この選手はチームでも1番を打っていて、コンパクトなスイングと器用さに魅力があります。

 台湾に出発する前に、もう一回ぐらい練習を見に行きたいところです。(編集部H)

<写真上/練習風景。橘の選手だらけですが…>
<写真下/秋季大会で活躍した小豆澤誠(飛龍)>

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2012年12月10日 (月)

「中学静岡選抜チーム」が始動!

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 昨日は、来春に開催される第4回全日本少年春季軟式野球大会の静岡選抜チームの初練習会を見てきました。12月2日の選考会を経て、選ばれた20人が西ケ谷球場に集結。この日は最初にミーティングを行い、その後、全選手でランニングを行いました。
 今回、代表の監督を務めるのは中田喜雅氏。静岡ガスで監督を務め、軟式野球を熟知している方です。この日、中田氏が行った練習はランニング。「今日は寒いですから、ボールを使うというよりもランニング。でも、全員の足が揃うまで終わりませんよ」という言葉通り、とにかくランニングに終始しました。
 昨年は県内の4チームが出場し、初戦で全チームが敗退。得点を挙げることもできず、残念な結果に終わりました。それだけに、今回の選抜チームがどんな力を発揮してくれるのか。将来的な静岡県野球界のレベルアップにもつながりそうな、面白い試みだと思います。(栗山)

<写真/中田監督の声に耳を傾ける代表の選手たち>

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2012年12月 7日 (金)

静岡を巣立つ高校球児~藤山知明編・上

 先日から連載が始まった「静岡を巣立つ高校球児」。編集部Hが、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。(第1回中澤彰太編はコチラ
 第2回は佐久間の剛腕・藤山知明(佐久間3年)。今夏、沼津高専、庵原を連続完封で下し、3回戦の静清戦で敗退したものの、強烈なインパクトを残しました。卒業後は平成国際大に進学する右腕のインタビューを2回にわたってお届けします。

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静岡を巣立つ高校球児~藤山知明編・上

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★山間の町に生まれた剛腕
 藤山知明は、佐久間ダムで知られる佐久間町(現浜松市)に生まれた。浜松市内から車で1時間半近くかかる、山深い地域だ。
 その町で藤山が野球を始めたのは小学2年の時だった。幼稚園の時から父とのキャッチボールなどで、ボールに触れあう機会はあったというが、小学校に入学してすぐに友達に誘われてもやる気がなく、周りから少し遅れて始めたという。その頃の守備位置は主にショートだった。
 佐久間中に入学し、野球部に入っても、同学年の投手には花松佑哉(現浜松工)がおり、藤山は変わらずショートを守った。高校進学の際には、「町の強い学校にも行きたかったんですけど、実力がなかったので」と、強豪にほのかな憧れも抱きつつ、家から一番近い佐久間に入学した。

★高1秋に投手転向
 中学生の時から浜松中学トレセンで硬球に触れる機会を得ていたこともあり、高校野球に馴染むことも早かった。現在、178cm75kgの体格は、入学時は175cm61kgだったというが、1年夏から6番セカンドとして出場した。1年秋からはショートに戻り、2番手で投手もこなした。ここで、藤山はようやく本格的に投手を始めることになる。ただ、「チームが弱かったので、投手もショートも楽しくはなかった。ピッチングもただ投げてるだけでした」と言う。
 そのただ投げているだけの状態からの転機になったのが、1年秋の地区大会で浜松市立と対戦したことだった。1-2で負けた試合だったが、浜松市立はその後、県大会に出場。そのチームと接戦を演じたことで、「案外、抑えられるんだな」と自信を得た。そこから、藤山の野球に対する姿勢も変わり始めた。
 2年春、夏と初戦負けが続いたが、中継ぎとしてマウンドに立ち、2年秋には1番を背負った。その秋も初戦敗退となかなか結果は出なかった。

★尾崎に食らったホームラン
 そして藤山が高校時代、一番印象に残っているという試合が、第2の転機になった。昨秋、秋季大会終了後の三村杯(準公式戦)で、佐久間は韮山と対戦した。1日2試合行われる中、藤山にとっては連投の2戦目だった。その試合で、藤山は韮山の主砲・尾崎資樹にライトスタンドに2発放りこまれた。右打者の尾崎にとって、ライトは逆方向だ。
 「打たれたのは、失投とは言えないストレートでした。思いっきり投げたんですけど。それを逆方向へ、しかも2本も打たれた。あんなのは初めてでした。びっくりしました」。尾崎の打撃に衝撃を受けた藤山は、それから周りより1時間早い電車に乗ってグランドに来るようになった。山に囲まれた佐久間の冬は厳しいが、藤山は悔しさを糧に黙々と走り込みを続けた。

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※2012年3月24日撮影
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 「静岡を巣立つ高校球児~藤山知明編・下」はコチラからどうぞ!(編集部H)

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2012年12月 5日 (水)

静岡を巣立つ高校球児~中澤彰太編・下

 オフシーズン企画として始まった「静岡を巣立つ高校球児」。編集部Hが、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、中澤彰太(静岡3年)編です。 「静岡を巣立つ高校球児~中澤彰太編・上」はコチラ

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静岡を巣立つ高校球児~中澤彰太編・下

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★人生の分岐点となった試合
 そして迎えた今夏の県大会。大会前に中澤は、「甲子園に出ることは前提で、甲子園で勝つことが目標」と言っていた。しかし、静岡高は夏の大本命と目される中、4回戦で散った。聖隷クリストファーのエース・鈴木翔太の今夏一番の投球の前になすすべもなかった。「自分の打席ではフォークしか来なかったんですけど、フォークがよかった。全部いいところに決まるので。あのピッチングはヤバいですよ。あのピッチング続けてたら打たれないんじゃないですか」と来年のドラフト候補右腕に脱帽した。
 「高校で一番印象に残っている試合です。あの試合は自分の人生の分岐点じゃないですかね」。夏の大会前に、中澤は甲子園に出ることができれば、プロ志望届を出そうと決めていた。しかし、この敗戦が中澤に、大学で自分の力に磨きをかける道を選ばせた。そして、大学に行くならば、「一番強いところ、日本一の大学でやろうと」早稲田大を目指した。

★憧れの早稲田大へ
 中澤は中学生の時に早慶戦を見に行ったことがあるという。球場全体が早稲田、慶應にはっきりと別れて応援している独特の雰囲気と盛り上がりに憧れを抱いた。その頃は、「まさか、自分がここで野球をやれるとは思っていなかった」そうだ。
 高校に入ってから、2年の春には上のレベルを意識し始め、その中には早稲田大もあった。足にも肩にも自信を持っていた中澤だが、早稲田大のスポーツ推薦は全国で4人のみ。手ごたえはあったものの、どういうところを評価されるかもわからず、不安を感じながらの受験だった。そして、先月、正式に合格が決まった。
 今は、大学に合流する日に向けて、静岡高のグランドで汗を流している。「練習は特別変わっていませんが、引退して最初の頃は、木のバットになるので、ゼロから打撃フォームを作り直しました。足を上げるのをやめて、すり足にしたんです。金属より木の方が合ってて、打てる気がします」と、新しい環境への準備が進む。

★都の西北で期すこと
 将来の夢を「プロ野球選手」と語るのは前回の取材時と変わっていなかったが、今はその上に「ドラフト1位で」と付く。大学でも走攻守全てをアピールして、1年春からベンチ入りすることが目標だ。「大学は球も速いし、選手の足も速くなる。プレーのスピード感が違うので、そこに対応したい」と課題をあげたが、将来的には三冠王も目指したいという。
 また、静岡高の同僚・渡邉義(慶應大進学)との早慶戦での対戦も心待ちにしている。「義とは小学校の時から同じ地区でやってたんですけど、中学は硬式と軟式だったし、高校は同じチームだったから勝負したことないんですよ。だからすごく楽しみですね」。

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★中澤彰太からのメッセージ
 最後に現役球児へのメッセージを聞いた。「野球自体、努力したもん勝ちだと思うので、一日も無駄にせず頑張ってほしいです」。高校時代にやっておけばよかったことを尋ねると、「ないです。やりきりました」ときっぱり言い切った。
 甲子園だけを目標に入った静岡高で、恩師と出会い、心身ともに大きな成長を遂げた中澤。「自分はすごくないので、追い込んで練習しないと…」と、大学球界最高峰のステージを見据え、バットを振り込む毎日が続いている。

栗林俊輔監督からの贈る言葉
早稲田大は大学野球界の名門でレベルも高い。要求も多くて大変だとは思いますが、それに応える力はあると思います。日本の学生野球をリードするような選手に成長して、プロを目指してほしいですね。

■中澤彰太[なかざわ・しょうた]
中堅手/静岡3年/177cm80kg/右投左打
原中では富士ボーイズに所属し全国ベスト16。静岡高では2年夏に甲子園に出場した。抜群の身体能力を備えた静岡ナンバーワン打者は早稲田大でさらなる進化を目指す。

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 早稲田大に入学後も、静岡野球スカウティングレポートは中澤彰太を追いかけ続けます! 
 ちなみに、今回の取材で驚いたことは、1食1キロの米を食べるという中澤の食事です。1日じゃないですよ! 好き嫌いはほとんどなく、サラダをデザートがわり(?)に食べるとか。あのガタイはこんな食事量に支えられていました。
 冬は肉体改造に取り組む球児も多いと思いますが、食事も頑張ってください!(編集部H)

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2012年12月 1日 (土)

静岡を巣立つ高校球児~中澤彰太編・上

 ツイッターで予告していましたが、今日からオフシーズン企画として連載を始めます。題して「静岡を巣立つ高校球児」。編集部Hが、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 第1回は今夏の静岡県ナンバーワン打者・中澤彰太(静岡3年)。卒業後は早稲田大に進学し、4年後のドラフト上位候補に成長することを期待されています。『静岡高校野球2012』でも取り上げた選手ですが、今回はさらに充実した内容を2回に分けてお届けします!

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静岡を巣立つ高校球児~中澤彰太編・上 

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★痩身の好打者が静高に入学
 中澤彰太は小学4年で原ブルーキッズに入り、本格的に野球を始めた。当時は少林寺拳法にも打ち込んでいて、国体で全国5位になるも、その後、野球に絞った。中学では富士ボーイズに所属し、全国ベスト16。強豪校からの誘いもあったが、子供の頃からの憧れもあり、静岡高に入学した。
 現在は、177センチ80キロと立派な体格の中澤だが、入学時は173センチ58キロとかなり細身だった。高校に入り、上級生の体の大きさに驚いた中澤は、食事やトレーニングで少しずつ体を変えることに取り組む。1カ月に3キロ増やすことを目標に、地道に肉体改造に励み、今の体を作り上げた。柔らかい筋肉をつけることを目指し、大きくなってもキレのある体を手に入れたことで、足も速くなったという。

★恩師の導きで手にした向上心
 入学した当初は大学やプロで野球を続けたいという意識もなく、甲子園に出ることが目標だったという中澤。1年夏からベンチ入りするも、自主練習もやっていなかったという。しかし、1年冬に、栗林俊輔監督と1対1の面談を重ねたことで、気持ちに変化が現れた。
 「一冬に5、6回話し合ったんです。“プロを目指せ”って、叱られるわけではなく、諭されました。それまでは、同級生に負けたくないって気持ちだったんですけど、それが、誰にも負けたくないって変わりました」。中澤の心に上を目指す気持ちが芽生えた。同級生と比べて満足してはいけない。それからは、練習への取り組みも全て変わったという。
 「監督に、本を渡されて読んだりして読書も好きになりました。人間のあり方であったり、色々教えられました。人間性自体を変えられましたね。恩師です」。その冬、中澤は技術面はもちろん、精神的にも大きな成長をした。

★松井裕樹に受けた衝撃
 2年春には春季大会で活躍し、夏には甲子園に出場。初戦で敗退したが、センターオーバーの二塁打を放ち、中澤彰太の名前を全国にアピールした。秋には東海大会に出場し、3年春には県大会を制覇。その頃、中澤は一人の投手に衝撃を受けた。春の練習試合で対戦した桐光学園の松井裕樹だ。
 以前の取材で中澤は「対戦した高校生投手ですごいと思った選手はいない」と言っていたはずだった。「いや、いましたね。あのスライダー、すごかったです。本当に消えるんですよ。上に来てボールだと思って見逃せばストライクに来るし、真ん中だと思ったら打つ瞬間に消えてるんです。全然対応できなくて、ずっと0点に抑えられて。9回に自分が内角のストレートを打ってホームランで1点入れたのみ。6対1で負けたんですけど、静高があんな抑えられ方をするのは初めてでした」。
 その後に、桐光学園が甲子園出場を決めた際にも、松井の投球を楽しみにしていたという。松井が奪三振記録を作り、大活躍しているのを見て、「対戦した頃は有名じゃなかったから、それであれだけのピッチングって何なんだって思ってたんです。でも、あいつ、やっぱりすごかったんだなって」と松井に改めて感心したそうだ。

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 「静岡を巣立つ高校球児~中澤彰太編・下」はコチラからどうぞ!(編集部H)

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