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2013年1月

2013年1月31日 (木)

常葉学園菊川の練習を見てきました!

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 昨日、常葉学園菊川の練習を見に行ってきました。センバツ出場が決まっているだけあり、早めの調整が進んでいるようです。
 相変わらず森下知幸監督はノックバットを持っている時間が長く、定評のある内野ノックは特に見ごたえがありました。サードの大西優輝やショートの遠藤康平の球際を攻める攻める! 2人とも、必死に追って、あと一歩で捕れるという打球を何本ももらっていました。大西は187センチと大型選手なだけに、足元が不安になりますが、センバツの頃にどんな守備力をつけているのか楽しみです。キャプテン・松木大輔の超音波系の声がテレビ越しにどう聞こえるのかも気になりました。
 打撃練習では「フルスイング回帰」を目標としているだけあって、皆、かなり強振していましたね。しっかり振り切ることを心がけているようでした。

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 また、この日は3年生の姿も何人か見られました。遠くからブルペンを見ていて、大型の右腕が入ったので、「1年? 2年?」と気にしていると、あの特徴ある振りかぶり方で、岩本喜照だと気付きました。今年の静岡の3年生の中では、公式戦も練習試合も一番多く見たのが岩本でした。1年夏の衝撃デビューから、体格も技術も成長したとは思いますが、正直、物足りなさが残ります。まだのびしろも多いと思うので、進学先の九州共立大での成長を楽しみにしたいですね。
 ずっと静岡で育ち、常葉学園菊川でも早々にA戦で使われるようになった岩本にとっては、きっと九州共立大で初めて下積みらしい下積みを積むことになると思います。大瀬良大地という素晴らしいお手本もいますし、静岡のファンが驚くような変身を遂げてほしいです!(編集部H)

<写真/上・全力で追いかけないと捕れない森下監督のノックに必死な姿を見せる選手たち、下・九州共立大で大きな成長に期待したい岩本喜照>

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2013年1月29日 (火)

『野球太郎No.003』に戸狩&町田コンビが登場!

003  本日、『野球太郎No.003 2013年春号』(廣済堂ベストムック)が発売となりました!      

 今回の特集は「君はこんなもんじゃない!」。まだまだ孵化しきれていない金の卵たちを追う企画です。
 アマチュア野球編では戸狩聡希&町田友潤(ヤマハ)の原稿を担当しました。なんと、今回は6ページもいただき、 本人はもちろん、ヤマハ関係者、常葉学園菊川関係者にも取材を敢行。これまで知らなかった社会人に入ってからの苦悩について聞くことができました。も1301291ちろん、暗い話題ばかりではなく、高校からレベルアップしたことや、将来に向けての抱負もバッチリと聞いてきました。個人的に、取り上げてみたい題材だっただけに、ぜひ皆さんにも読んでもらいたいと思います。

1301293_2 また、今号では3月に迫ったWBCの記事も満載。僕は、「ブラジル野球に流れる『日本野球』の血脈」というタイトルで、ブラジル関連の記事も書きました。ヤマハに在籍する佐藤二朗、吉村健二から、ブラジル野球の濃い話を伺ってきましたので、そちらもチェックしてもらえると嬉しいです。

1301292 そのほかにも、「ドラフト候補&有望選手リスト」では静岡県関連の選手が多数掲載されていますので、今年の野球観戦に役立つと思いますよ!(編集部・栗山)
                                                      <写真上/戸狩聡希(左/ヤマハ)と町田友潤(左/ヤマハ)>
<写真中/佐藤二朗(ヤマハ)>
<写真下/吉村健二(ヤマハ)>  

 

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2013年1月27日 (日)

静岡を巣立つ高校球児~夏目旭編・下

 オフシーズン企画として始まった「静岡を巣立つ高校球児」。編集部Hが、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、夏目旭(浜北西3年)編です。 「静岡を巣立つ高校球児~夏目旭編・上」はコチラ

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静岡を巣立つ高校球児~夏目旭編・下

★恩師・島崎コーチ
Img_1042 高校3年間で1番大きく変わったこととして、夏目は「野球を知ることができたこと」と言う。それに大きく関わったのが、夏目を浜北西に勧誘した、島崎コーチだった。浜北西のOBでヤマハでプレー経験を持つ島崎コーチは、5年ほど前から浜北西のコーチとして、平日の仕事が終わった後や、土日にグランドに来ていた。
 島崎コーチは夏目の投球を一球一球見ながら、フォームから投手としての心構えまで叩きこんだ。バッティングでは、「抜くこと、前を大きくすること、下半身を絞ること」を重点的に教えられた。「肩で回らなければ変化球に対応できるんで。それで、レフト方向に打つかんじで、前を大きくすれば飛ぶ。下半身を絞れば、前でボールを捉えられるので。前で捉えられれば、飛ぶじゃないですか。レフトに引っ張るかんじ。それを主にやってました」。
 夏目がケガをしていた時には、練習試合を一緒に見ながら、一つ一つのプレーについて教えてくれた。島崎コーチの言葉で印象に残っている言葉を聞くと、「全部です」と躊躇なく答えるほど、島崎コーチは夏目の指導に力を注いでくれた。最後の夏にエースで4番として出場することができたのも、島崎コーチの存在があったからだった。
「最初、野球を続ける気なかったんですけど、体重も68キロのこんな体でこれだけの球投げられれば、まだ全然伸びるからなって島崎さんに言ってもらって。バッティングも人よりいいものを持ってるから、大学でもやれってことで続けようと決めました」。深い感謝を寄せる恩師に背中を押されて、夏目は野球を続ける決意をした。

★夢が広がる将来
 夏目は元から大学進学を志していた。両親が教師の家庭に育った夏目は、「先生って楽しそう」と体育の教職を取ることを決めていた。野球で誘いも多かったが、体育の教職を取ることができる大学は限られている。至学館大を選んだのは、体育コースがあることが大きな理由だった。
 「じゃあ将来の夢は体育の先生?」と尋ねると、「大学で何が起こるかわからないです。伸びてくれれば、プロっていう道も考えたいんですけど、難しいと思うので、教師か、社会人野球に行きたいと思います」。現時点では、はっきりと目標として定めているところはないそうだ。「決めてると、縛られません? 自分に縛られるというか、練習に縛られるというか。野球楽しくできないじゃないですか。やっぱ、野球楽しむものなんで。結果的に、プロとかそういうふうになれたらいいですけど、そういうの考えてやっちゃうと自分を出せなくなると思うので」。4年間で自分がどう変わっていくのか、それを見極めようとしている。

★大学でも体作り
 大学では、「球速を伸ばしていって、球速をアピールしていきたいです」という。課題になるのは制球力。下半身を鍛えることで改善を狙っているが、どちらにしろ必要なのは体重。バスケットボール部員相手に、1対1のバスケットボール対決を挑み、部員全員に勝ちぬくなど、バネや元の身体能力は高い。食事とトレーニングの両面で体を作り、4年間で体重80キロを目指すという。
 投球自体は、3年の夏前にフォークを覚えたことで、幅が広がった。チェンジアップを武器とする高校生左腕は多いが、夏目は、「不器用なんで投げられないです。一度挑戦したんですけど、フォーム自体変わっちゃうので」と、フォークを選択。右打者にも左打者にも使えて現在は重宝している。

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★夏目旭のこれから
 現在はノースローで、引退してからはトレーニング系の練習を積んできたという。とはいえ、12月前半に受験したため、それまでは勉強に励んでいた。本格的に体を動かし始めたのは、今年に入ってからだそうだ。
「高校でやり残したことは、トレーニングですね。1年の時からもう少し意識を高くやっておけばよかったです」。心残りも少しあるが、視線はすでに2月から始まる大学での練習に向いている。
「自分、人と一緒って言うのが嫌なんで。全てにおいて、人と違うっていうのがいいです」と言う夏目は、明るく、人懐こい性格で、インタビュー中も笑いが絶えなかった。しかし、現在、社会問題になっている体罰の問題に話が及ぶと、「体罰は教育上、必要ないですもん。本当に」と真剣な表情できっぱりと言い切った。大学で急成長を果たし、社会人・プロに進んだとしても、いつか夏目旭先生の姿も見てみたい。

高林良洋監督からの贈る言葉
体もまだまだ細いけど、上背もある。体ができればどんなボールを投げるのか、楽しみな選手です。真面目に練習して、周りの言うことも聞いて、上でもやれるように頑張ってほしい。

■夏目旭(なつめ・あきら)
投手/浜北西3年/182cm68kg/左投左打
小学4年で野球を始める。浜北西入学後、本格的に投手となるが、3年春までは主に一塁を守った。細身ながら最速138キロを記録するポテンシャルを至学館大で開花させる。

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「自分人見知りっすよ」という夏目に色々圧倒されたこの取材。ついでに、『静岡高校野球2012』への苦情もいただきました。「何で自分だけヘン顔なんですか!」と夏目が訴えたのは、注目プレーヤー100の写真。両手を上げたガッツポーズが、編集部内では評判がよかったのですが、ご本人にはお気に召していただけなかったようなので、今回は投打でかっこいい写真をセレクトしました。
 愛知大学リーグに進む選手が続きましたが、次回も愛知大学リーグに進学する選手です。(編集部H)

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2013年1月25日 (金)

常葉学園菊川、センバツ出場が決定!

 本日、常葉学園菊川のセンバツ大会出場が決定しました。5年ぶり4度目の出場となります。1301251
 前回出場時のエース・戸狩聡希(ヤマハ)に昨年末、『野球太郎』の取材で話を伺ったところ、「甲子園の菊川は絶対やってくれますよ。僕もオフだったら応援にいきます」とのこと。常葉学園菊川は例年、冬の期間に森下知幸監督の厳しいノックで一気に守備力がアップ。打撃も力強さが増す印象が強いだけに、今年のチームも期待が持てます。

 なお、今月29日(火)発売の『野球太郎No.003』では、「君はこんなもんじゃない!」という特集の中で常葉学園菊川出身の戸狩&町田友潤コンビ(ヤマハ)を6ページに渡って紹介しています!(編集部・栗山)

<OB・戸狩聡希が「もっとも期待したい」という主将の松木大輔(常葉学園菊川)

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2013年1月24日 (木)

静岡を巣立つ高校球児~夏目旭編・上

 好評連載中(のはず!)の「静岡を巣立つ高校球児」。編集部Hが、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。(第1回中澤彰太編第2回藤山知明編第3回大友伸久編第4回小林弘郁編番外編渡邉隆太郎第5回今本茂雄編第6回増田友輔編
 第7回は、高林良洋監督が「宇宙人みたいな奴」と表現する大型左腕・夏目旭(浜北西3年)。卒業後は至学館大に進学する夏目のインタビューを2回にわたってお届けします。

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静岡を巣立つ高校球児~夏目旭編・上

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★突然ピッチャーに
「野球を始めたきっかけ、ないです」。夏目旭は、父とキャッチボールをするうちに、「本物の野球を見に行くか」と誘われ、少年野球の練習を見に行った。そして、気づいたら、そのチームに入っていたという。それが小学4年の時で、主に一塁を守った。
 清竜中でも一塁手を務めていた夏目。投手としての第一歩は、中学野球を引退して、浜松トレセンに参加した時に踏み出した。当時から180センチ近くあり、左投げとあって、当然、指導者は投手をやらせてみたくなる。夏目は突然、投球練習をするように言われ、それまで一度も練習をしたことがなかった投手として試合に登板した。「フォームも自由にやってて。コントロール不安だったので、7割ぐらいでキャッチボールの感覚で投げました。それがまあまあいいかんじで」。
 そうして誕生した長身左腕に、近隣の高校からの誘いは多かった。その中でも、「浜北西復活の為に、力を貸してほしい」と浜北西の外部コーチである島崎康一氏に強く誘われ、夏目は浜北西に進むことに決めた。

★投手・夏目旭の夜明け前
 清竜中では校庭100周も当り前で、昼休みには懸垂50回を科せられるなど厳しい指導を受けていたという。だから、浜北西に入学して、高校野球が始まっても、「練習時間は長かったんですけど、そんなに苦にはならなかったです。1カ月ぐらいずっと走ってるのかと思ったら、最初からボール触らせてもらえたし」と、楽しい高校野球生活のスタートを切った。チーム自体も、明るい雰囲気で、仲が良かった。
 しかし、投手としての芽はなかなか出なかった。1年の冬からは一塁を守り始め、2年から3年春までは大半の試合で一塁を守った。打撃を生かしての一塁転向というよりは、「打たれる時期があるじゃないですか、やっぱ。その時期が長くて、監督もしびれを切らしちゃったっていうか」と振り返る。
 2年秋には背番号1をもらい、復活する足がかりをつかんだかに思えた。しかし、敗者復活戦の聖隷クリストファー戦で先発した夏目は、序盤に四死球で崩れて大量失点。コールド負けで県大会出場を逃した。「ほぼ自分のせいで負けたようなものなので、本当にもう投手やめようかと思いました」と落ち込んだが、秋を過ごしていくにつれ、自分がやるしかないと思い直した。

★1日6食で10キロ増量
02_2 その冬に、高林監督と島崎コーチに「10キロ太れ」と言われた夏目。当時の体型は182センチの身長に対し、体重は60キロ程度。野球部員どころか、一般の高校生としても細い方だった。
「自分、けっこう食うんですけど、横にでかくなんないんですよね。女子には羨ましがられるんですけど」。食が細いわけではなく、回転寿司に行けば25皿に加え、茶碗蒸し、うどんにデザートまで食べるという。しかし、この冬には、とにかく食べて食べて食べまくることを誓い、1日6食という食生活を決行した。朝食を食べ、登校して部室でおにぎりを3つ食べ、昼に大きめの弁当を食べ、部活前におにぎりを3つ食べ、帰宅して夕食を食べ、寝る前に夜食を食べる。飲み物も牛乳かプロテインを摂った。夏目の弁当のためか、気がつくと自宅の炊飯器が2つになっていたという。
 「3年間で一番きつかった」というその食生活を続けた甲斐があり、一冬で10キロ増量に成功。現在は1日3食に戻っているが、68キロを保つ。「大学では一人暮らしなので、ご飯を炊いて、おかずに麺で…。太りたいんで、炭水化物と野菜ばっか摂ります」と、今後はさらなる増量を目指している。

★4番・エースの夏
 体重も増えて迎えた最終学年。その年の5月に行われた至学館との練習試合を、高校時代で一番印象に残った試合に挙げる。至学館は2011年夏に甲子園に出場し、秋の東海大会では静岡商を撃破。強打者・手崎椋介などが並ぶ強力打線に対し、夏目は8回までを1失点に抑えたという。「9回にエラーとかで崩れて6-3で負けたんですけど、8回までは出来すぎみたいな、自分の思った以上にいいピッチングができて。それで、夏まで自信を持って投げることができました」。その好投を機に、夏目は上昇気流に乗った。
 1番をつけて挑んだ最後の夏は、緊張して何日か前から食事も喉を通らなくなったというが、初戦で田方農を相手に完封勝利。「緊張して、荒れ荒れでしたね。大会で投げるなんて思ってもいなくて。一人打ち終わるまでずっと緊張してました」と、あまり納得のいかない投球だった。2回戦の菊川南陵戦は初戦よりはいい状態で迎えられたものの、敗退し、夏目の高校野球はそこで終わった。

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 続編は近日中にアップします!(編集部H)

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2013年1月23日 (水)

名将・磯部修三氏が浜松開誠館の野球部監督に就任!

 静岡の高校野球界にビッグニュースが飛び込んできました! 名将、磯部修三氏が浜松開誠館の野球部監督に就任することが決定しました。

1301231_2 今日は、その就任会見が浜松市役所で行われ、「静岡高校野球」編集部も行ってきました。磯部氏の経歴や、監督就任に至った経緯などは明日の各新聞で掲載されると思いますので省きますが、「高校野球への情熱は衰えていない。開誠館を終の棲家に、骨を埋めるつもりでやります」と、72歳とは思えない元気なコメント。4月1日付で就任後、まずは選手たちとじっくりと話をすることから始めるとのこと。「走攻守に加えて、頭脳がないと野球になりませんから」。浜松商、常葉学園菊川では「相手が嫌がるプレー」を武器とした緻密な磯部野球がどこまで浸透するのか。この春から西部地区に新興勢力が台頭しそうです。(編集部・栗山)

<写真/「最後の大仕事」と熱い思いを語る磯部修三氏(写真中央)>

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2013年1月22日 (火)

静岡を巣立つ高校球児~増田友輔編・下

 オフシーズン企画として始まった「静岡を巣立つ高校球児」。編集部Hが、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、増田友輔(科学技術3年)編です。 「静岡を巣立つ高校球児~増田友輔編・上」はコチラ

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静岡を巣立つ高校球児~増田友輔編・下

★16失点の中の収穫
Dsc_4993 3年夏には大方の予想に反して初戦で浜名を破り、2回戦で沼津東に延長戦の末敗退。当然、印象に残った試合には、夏の試合を挙げるかと思いきや、増田は、3年5月に練習試合で戦った春日部共栄の印象が強いという。ほとんど遠征はせず、県内で練習試合を行う科学技術にとって、昨年唯一の遠征だった。
 増田はその試合で先発し、9回を投げて16失点。四球で崩れたわけではなく、全て打たれて点を取られたという。「これは打ち取っただろと思った、完璧に決まったスライダーを簡単にフェンスオーバー打たれてしまったりして、ショックだったんですけど、すごいいい刺激をもらいました」。打者のスイング、ピッチャーのコントロール、守備の動き、あまりのレベルの違いに、驚きを隠せなかった。
 9イニング中、8イニングで点を取られたが、1イニングだけ3者凡退に抑えた回があった。自分が思ったとおりのところに投げられれば、抑えることもできるとわかったのは大きな収穫だった。上のレベルの野球を肌で感じることができて、それから練習の質も上がったという。

★愛知工業大に合格
 2年の冬に意識が変わり始めてから、高校を出ても野球を続けようと考えていた増田には、希望の進学先があった。「自分が中学の時に、北京五輪があって、その予選の代表に愛知工業大の長谷部選手(康平・現楽天)が大学生で唯一選ばれてて、その時に愛知工業大の名前を知って」。同じ左投手である長谷部が大学生ながら、プロに交じってプレーをしている姿と、愛知工業大という名前が増田の頭に焼きついていた。
 増田は自ら愛知工業大のセレクションに行き、見事、合格を果たした。しかし、大方の野球部員が進む学部学科ではなく、増田は工学部都市環境学科に進む。実習もあり、忙しい学科だが、文武両道を志す。
 10月には全国の学生から選ばれ、夏休みに行われた震災についてのサミットで話し合った結果を国土交通大臣に報告した。その時に、中部地方整備局の職員に東日本大震災や、今後起きる可能性が高い東海地震の話を聞く機会があり、建築関係への興味はいまだ持ち続けている。しかし、「大学で野球をやるからには、やっぱりプロや社会人から声がかかるような選手になりたいので。まずは愛知工業大が一部になれるように頑張りたい。野球は若いうちしか挑戦できないと思うので」ときっぱりと言う。

★大学で戦力になるために
 愛知工業大の新入部員の中で、左投手は増田だけ。目立つことも、期待されていることも自覚している。「左でコントロール良ければ使ってみようかなと思ってもらえると思うので、スピードとか変化球の質とかも大事なんですけど、まずは狙ったところに投げられるコントロールが必要だと思ってます」。
 今後の課題にはフィールディングや牽制、クイックなど、野手としての動きを挙げた。今は、体幹を意識して、腹筋や背筋などを多くこなしている。引退して増えた体重を筋肉に変えて、キレを落とさずに体を大きくしたいという。
 自信を持っているボールはストレート。「キャッチボールしてる相手とかがよく言うんですけど、クセがあるっていうふうには言われます」。中学時代、投げられなかった変化球も高校で成長した。カーブは緩く投げられるようになり、スライダーも横変化で勝負できるようになった。それによって、ストレートがより生きるようになったという。

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★増田友輔からのメッセージ
 現役球児へのメッセージを尋ねると、しばらく考え込んだ。「引退して悔いとかは残してほしくないので、今の時期から全力を注いで、最後の夏に完全燃焼できるように。どこの高校も夏の前っていうのは一生懸命やると思うんですけど、冬のトレーニングの時期から夏に向けて頑張ってほしいです」。増田もやり残したことがある。走ることはやってきたが、肩周りの筋肉が鍛えられていなかったという。投げるだけでなく、インナーマッスルも鍛えておけば、もっと球も速くなったんじゃないかという思いがある。
「小学生の時は、左だとポジションも限られるしやだなって思ったりしてました。最近は本当に自分が左でよかったと思います。ドラフトで上位指名されるのは、左で球が速い選手だったりして、そういった面では自分も左だし、体も大きい方だと思うので、スピードを上げていけば、チャンスも少しはあると思って練習していきたいです」。
 最近、日本ハムの栗山英樹監督の『覚悟」』いう著書を読んで、感慨を受けたという増田は、大学で使うグラブにも「覚悟」と刺繍してもらった。野球で上の世界に進むという覚悟を刻み、増田は大学野球に挑戦する。

中野文晴部長からの贈る言葉
大学に入って監督さんの言葉を聞くと新鮮に感じるでしょう。それを素直に聞いて、一生懸命にやってくれれば、のびしろはまだまだあると思います。親御さんたちも頑張って応援してくれているので、それも頭に入れて頑張ってほしいです。

■増田友輔[ますだ・ゆうすけ]
投手/科学技術3年/180cm87kg/左投左打
小学4年で野球を始め、小川中では主に一塁手。科学技術入学後、本格的に投手になり、1年秋から背番号1を背負った。最速141キロのサウスポーは愛知工業大でさらなる進化を期す。

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 愛知工業大には増田以外にも柘植亮佑(静清)、渥美智也(掛川東)が進学します。
 増田のひいきのチームは日本ハム。特に中田翔のファンだとか。「じゃあ、将来は日本ハムに?」と聞いてみると、「自分に選ぶ権利なんてないので…。欲しいと言っていただけるならどこへでも」と控え目な返答。ただ、部長の中野先生は、科学技術の校舎に、「日本ハム○位指名おめでとう!」という垂れ幕をかけるのを楽しみにしているそうなので、頑張ってほしいです!
 最近、左腕続きですが、次回も左腕です。お楽しみに!(編集部H)

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2013年1月21日 (月)

静岡を巣立つ高校球児~増田友輔編・上

 好評連載中(のはず!)の「静岡を巣立つ高校球児」。編集部Hが、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。(第1回中澤彰太編第2回藤山知明編第3回大友伸久編第4回小林弘郁編番外編渡邉隆太郎第5回今本茂雄編
 第6回は、県内の高校の監督からも「いい投手だ」と名前を聞く機会が多かった左腕・増田友輔(科学技術3年)。卒業後は愛知工業大に進学する増田のインタビューを2回にわたってお届けします。

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静岡を巣立つ高校球児~増田友輔編・上

★遅かったスタート
 野球にあまり興味がなかった増田友輔が野球を始めたのは、いつも遊んでいる友達に誘われたことがきっかけだった。低学年の時に入る選手がほとんどだという焼津コンドルに、小学4年で入った増田は、野球の基本的な動作を覚えることから始まり、小学6年でようやくセンターのレギュラーを獲得した。
 小川中では、主に一塁手で、投手としては練習試合でたまに先発をする程度。高校で野球をやろうと思ってもいなかったというが、「中体連の最後の試合で、自分たちのチームのエースが序盤でたくさん点取られてしまって、自分がリリーフで投げたんです。その時にいいピッチングができて、ピッチャー面白いな、高校でもピッチャーやりたいなって思って」と、中学野球が終わる寸前に投手の面白さに目覚めた。
 中学3年の時には、もうひとつ増田の心に残っていることが起きた。震度6弱を記録した駿河湾沖地震だ。2009年8月に起きたこの地震では、静岡を中心に東名高速が崩落するなどの被害が発生した。しかし、崖側に崩れ落ちていた東名高速の上り線は、高い技術を伴った工事によって驚くほど早く復旧した。それをニュースで見た増田は、「すごいな、自分もこういうのを直す仕事に就きたい」と思ったという。進学先として科学技術を選んだのは、それが大きな理由だった。

Masuda★投手としての成長
 高校に入学すると、本格的に投手を始めたが、最初は苦労をしたという。「自分、全然器用じゃないんで。まず、変化球が曲がらなくて。中学の時も変化球ほとんど投げたことなくて、ストレートと緩い球みたいに、ごまかしてやってきたので。あと、抜ける球が多くて、左打者にデッドボールがすごい多かったので、コントロールが全然だめでした」。とはいえ、左で体が大きく、投げ方もきれいだったという増田が試合で使われるようになるのは早かった。
 1年秋からは背番号1をつけてエースとなり、2年春には中部地区大会で庵原、島田工に1失点完投を収め、県大会出場に貢献した。夏、秋に思ったような結果は残せなかったが、10月に行われた静岡市内大会では、常葉学園橘を相手に好投。1-0で敗れたものの、タイミングの取りづらいフォームやクセ球で常葉学園橘打線を翻弄した。「1点の取られ方が悔いの残る取られ方でした。代打に打たれたんですけど、次の打者がピッチャーだった。歩かせるっていう選択肢が自分もキャッチャーも全然思い浮かばなくて。焦って投げた初球を打たれて」と悔しい思いをしたが、県内の強豪を抑えたことは自信になったという。

★野球の神様に味方してもらうために
 投手として順調にステップアップする中、増田の内面もその冬に大きな成長をした。「1年の時は先生に怒られるのが怖いとかで動いていた感じでした。上級生になるにつれ、うまくなるために、こういうふうにやったらいいんじゃないかっていうのが考えられるようになった。甘い行動を許さなくなるというか、ここでこういうことをしてたら野球の神様が見てて、いい結果が出ないようにするんじゃないかと自分を戒めて、行動できるようになりました」。野球の神様に味方をしてもらうにはどうしたらいいかということを考えるようになったという増田は、自主練習にも意欲的に取り組むようになった。
 意識が変わり、充実した冬を過ごした成果が出たのか、春になると、その日の調子によってまちまちだったコントロールも安定。そして、6月に行われた東海大翔洋との練習試合では141キロを記録した。高校生左腕としては自慢できる数字だが、「インハイに抜けたボール球だったので…」と納得はしていない。また、その試合に訪れていた元PL学園監督で、現在は名古屋商科大の監督を務める中村順司氏に「セットで投げた方がいい」とアドバイスを送られ、セットポジションから投げるようにしたそうだ。

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 「静岡を巣立つ高校球児~増田友輔編・下」はコチラ!(編集部H)

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2013年1月20日 (日)

「静岡ジュニアユースベースボールクラブ」で逸材発見!

 今日は『静岡高校野球2013』の取材で「静岡ジュニアユースベースボールクラブ」の練習に伺ってきました。

1301173 「静岡ジュニアユースベースボールクラブ」は、昨年立ち上がったばかりの中学生を対象とした硬式野球チーム。代表兼監督を務めるのは浜松商、静岡、静岡市立などで監督や部長を歴任した船川誠氏です。
 チームができてまだ約十ヶ月ですが、船川氏はかなりの手ごたえを感じていました。
「静岡市内で、これほどの逸材がいたとはね。しっかりここで指導して、地元の高校に送りたい。プロも狙える選手が何人かいますよ」
 実際、昨秋にヤングリーグに加盟し、上級生相手に2試合とも敗れたものの、僅差の試合を繰り広げたそうです。

 この日は、中学3年生を相手の試合を行っていました。2学年上との対戦になるだけに、体つきが一回り以上違うのですが、堂々と互角に渡り合っていました。攻撃、守備ともに基本が身についているなという印象。日ごろから充実したスタッフ陣に細かい指導を受けているようでした。

 特に目についたのは「1番ショート」で出場した丸田拓実。代表兼テクニカルディレクターの宮1301171城明秀氏によると、入団時の体力測定で立ち幅跳びを行ったところ、2メートル40センチを飛んだという抜群の身体能力の持ち主で、すでにチームの中心的な存在です。
 まず、守備で走っている姿を見ると、足が高く上がり、何より体のバネを感じました。
 打撃は最近、左打ちになったばかり。宮城氏は「まだまだぎこちないですよ」と言っていましたが、はっきり言って驚きました。体が全く開かずに、しなやかなスイングからセンター前安打。塁に出れば、すかさず二盗成功。続く打席でも今度はレフト前へ。この野球センスは持って生まれたものなのか、それから目が離せなくなりました。
 打つだけではありません。この選手、現在チームではエース格。今日も途中からマウンドに上がりました。投球フォームは、バッティング同様に、形がしっかりで1301172_2きています。トップで半身の姿勢がとれてから、腕が振れてきます。まだまだ球速、球威ともにありませんが、体に力がつけば、グッと伸びてくるでしょう。
 試合後には、テクニカルアドバイザーを務める大久保学氏(元南海)からブルペンでアドバイスを受けていた丸田。元プロからの貴重な指導はきっと将来に役立つはずです。

 そのほか、このチームには面白い選手がゴロゴロいます。さらに今春には兄弟チームとして「浜松ジュニアユースボールチーム」も発足。将来的に、ヤングリーグの静岡支部を作り、さらにチーム数を増やしていく構想があるとか。静岡県野球界の底辺拡大へ。県内の勢力図が変わっていきそうな予感もするだけに今後も要注目です!(栗山)

<写真上/代表兼監督を務める名将・船川誠氏>
<写真中/今後注目の丸田拓実(静岡ジュニアユースベースボールチーム)>
<写真下/プロで活躍した大久保学氏からアドバイスを受ける投手陣>

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2013年1月18日 (金)

静岡を巣立つ高校球児~今本茂雄編・下

 オフシーズン企画として始まった「静岡を巣立つ高校球児」。編集部Hが、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、今本茂雄(静岡商3年)編です。 「静岡を巣立つ高校球児~今本茂雄編・上」はコチラ

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静岡を巣立つ高校球児~今本茂雄編・下

★決勝戦のマウンドには
「わき腹は気合でだんだん治りました」と笑う今本は,、その後も静岡商を勝利に導く投球を見せた。準々決勝の市立沼津戦では7回途中から登板し、6回1/3を1安打無失点。準決勝の静清戦では9回から登板して、同点にされたものの、その後は延長14回まで得点を与えず投げ抜いた。1点も与えられない厳しい状況での鬼気迫る投球は静岡商のナインを奮起させた。バットも好調で、「もし甲子園に出ていたら、今本を中心に戦っていた」と見城喜哉監督も振り返る。
 決勝戦では骨折した相原将輝にかわり4番に座り、3安打を放ったが、投手としての出番はなかった。「自分は前の試合に投げていたので、後ろに回るっていうことで。決勝はエースが投げるのがいいって思ってて、エリヤにお前行けって言ってました」。3年間の集大成となる試合、マウンドに立つ中本を今本は外野から見守った。そして最後の打者として、敗戦の瞬間を迎えた。「決勝で投げたかったな…」という思いはあったが、戦いぶりに悔いはなかった。

★東都の名門・日本大へ
05「3年夏の、ああいう場面でゼロに抑えられたっていうのは、自分でも成長したなって思いますね」。高校3年で心身ともに大きく伸びた今本。静岡商に入った頃は、野球を続けることはあまり考えていなかったという。しかし、就職希望を周囲に伝えると、見城監督どころか、他の先生にまで「大学で野球をやれ」と言われた。それから野球を続けることを考え始めたそうだ。
 そして選んだのは日本大。東都の名門だが、現在は2部に沈んでいる。静岡からは常葉学園橘の宮崎悟、西川賢弥、裾野シニア出身で山梨学院大付の坂上泰斗らも進む。東都には静岡商出身の選手も多く、先輩たちと対戦することも楽しみにしている。
 大学でアピールしていきたいのは、チェンジアップ。3年に入ってから覚えたチェンジアップは、シンカー気味に落ち、よくフォークと見間違えられるというスピードを持つ。右打者に有効で、投球の幅も広がり、そこから楽に抑えられるようになった。

★左腕にとっての左打者
 多くの高校生左腕がそうであるように、今本も左打者の内角を投げづらく感じている。夏の準決勝・静清戦で若松良に同点打を浴びた時も、捕手の吉永がインコース寄りに構えていたものが中に入ってしまったボールだという。すごいと思った投手として名前を挙げた渡邉義(静岡高)は、「すごいコントロール良くて、対戦する時、内角突いてきて、自分打てなかったんで」と、左打者の内角に投げ分けられる制球力に感心したそう。
 ただ、市立沼津の小林弘郁に話を聞いた際に「今本は球の出所が見づらく、左打者にとってはかなり打ちづらい」という言葉も聞いた。「出所は意識してないんですけど、練習でバッティングピッチャーやる時に“打ちにくい”って言われたりしますね。1年生の時から、左打者の人に言われてて、そういう自覚はあったんですけど。3年生に“お前、打ちにくいからいい”って言われちゃったり」。本人は少し不思議そうな顔をして言うが、今後は大きな武器になってきそうだ。

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★今本茂雄からのメッセージ
「みんなが見てないところでどれだけ努力するか、ですかね。自分も残って筋トレしたり、走ったり、そんなかんじだったので」。故障で数カ月のブランクができながらも、黙々と練習を重ねて、3年夏に輝いて見せた今本。努力を見てくれている人、認めてくれる人がいるということが今本を支えた。
 将来の夢は「ここまで来たらプロ野球選手」。今後の課題としては、もう一つ使える変化球を身につけることと、スピードを挙げた。現在の最速は142キロだが、「145とか、140後半を投げたいですね。バンバンいきたいです」と意気込む。
 大学に合流するまであとわずかだが、現在は、藤枝市内の自宅から自転車で静岡商に通う。山もあるその長距離コースを走ることで、体つきは現役時代と変化がない。「自分、我慢強いんで」。自分の描く理想に向かって、今本は努力し続ける。

見城喜哉監督からの贈る言葉
 今本はこの冬、一番練習しているんじゃないかと思うほど、真面目でコツコツやるタイプ。のびしろも十分にあるし、あれだけの身長がある左腕なので、プロを目指して頑張ってほしいですね。

■今本茂雄[いまもと・しげお]
投手/静岡商3年/184cm78kg/左投左打
小学3年で野球を始め、岡部中では藤枝市長旗杯優勝。静岡商に入学後、故障を乗り越えて最速142キロを記録した。大きなノビシロを、日本大でコツコツ開花させ、プロを目指す。

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 今本の最近の趣味はパズル。「最近、500ピースをやって。これから1000ピースに手を出そうかなと」という言葉通り、携帯などではなく、昔ながらのジグソーパズル。角を集めて、枠を作って…と王道の組み立て方で頑張っているようです。黙々と、努力をひけらかすことなく、練習をこなしてきた今本らしい(?)趣味でした。
 今本と互いに刺激しあってきたエースの中本聖エリヤは日本体育大に進学し、将来はプロを目指すそう。注目を浴びて入学し、重圧の中で「静商のエース」として戦ってきた中本。「路上で弾き語りをしようかと思っていた」というほど楽器や歌が得意で、文化祭の前夜祭ではドラムを叩いていたとか。今本曰く、「めっちゃかっこよかったです! いつも見ない姿でした」とのこと。
 努力家の今本と、多方面にセンス溢れる中本に、「静岡高校野球」編集部は今後も注目していきます!(編集部H)

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2013年1月17日 (木)

静岡を巣立つ高校球児~今本茂雄編・上

 好評連載中(のはず!)の「静岡を巣立つ高校球児」。編集部Hが、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。(第1回中澤彰太編第2回藤山知明編第3回大友伸久編第4回小林弘郁編番外編渡邉隆太郎
 第5回は、今夏、ピッチングでもバットでも活躍し、静岡商準優勝の立役者となった快速左腕・今本茂雄(静岡商3年)。卒業後は日本大に進学する今本のインタビューを2回にわたってお届けします。

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静岡を巣立つ高校球児~今本茂雄編・上

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★甲子園を目指して静岡商へ
 今本茂雄は3兄弟の末っ子として藤枝で生まれ、「長嶋茂雄のようにビッグになるように」と、茂雄と命名された。兄2人がサッカーに夢中になる中、今本は野球に興味を持ち、小学3年の時に始めた。本来右利きの今本だが、左利きの父の影響で野球では左投げを選んだ。
 中学に入学する頃から身長が高く、卒業時には182センチ。長身左腕ということもあり、近隣の高校からも誘いは多かったが、「甲子園に出られる可能性が高いし、元から入りたかった」という静岡商に進学した。
 入学すると、まず、同学年の投手たちに圧倒された。裾野シニアを全国3位に導き、鳴り物入りで入学した中本聖エリヤや、豪腕・有賀純など中学時代から名前の売れた選手たちは入学当時からすごかった。「最初にピッチングをやった時に、最初なんでそんなに出てないんですけど、みんな125,6は出てたんです。自分は118とか120キロ出てないかんじだったので、やっていけるのか心配になりましたね」と、不安の中、今本の高校野球が始まった。

★故障に苦しんだ半年間
 今本が初めてベンチ入りを果たしたのは、1年秋の静岡市内大会だった。大会で登板機会はなかったものの、来春に向けて好調を維持していた。今本が故障に襲われたのは、そんなタイミングだった。11月の後半から、肘がおかしいとは感じていたが、そのまま投げ続けていたという。「冬の練習に入って、綱登りをしてたんですけど、その登った時にビキっていうかそんなかんじがして、握力が入らなくなっちゃって。そのまま降りて、先生のところに行って、病院に行ったら“手術”ってことで」。神経が圧迫されていて、手術は避けられないところにまで来ていた。そして、2月に手術が行われた。
「不安でしたね。手術が終わった後、何もできなくて、“また投げれるのかな”とか言ってましたね。トレーニングもできなくて」。術後はすぐに曲がると聞いていたのに、肘が30度しか曲がらない。リハビリもなかなか進まないまま、悶々と2カ月を過ごした。「キャッチボールができたのは、5月でした。テーピングでグルグル巻きにして、とりあえず投げられるから投げてみろみたいなかんじで、近い距離で投げました。最初は怖かったですね…。でも、嬉しかったです」。ようやくブルペンに入ることができたのは5月の後半。そこからは順調に回復し、6月の中旬には実戦に復帰することができた。

★冬の努力の成果01
 2年の秋季大会では中部地区大会で登板したが、エース・中本が好調で、県大会、東海大会では出番が回ってこなかった。
 故障が治ってからは、ブランクを取り返そうと筋トレや走り込みを黙々と続けた。秋には135,6キロが出るまでになっていたが、その冬にはさらに練習に打ち込んだ。「前の冬より数段キツかったですね。1日20キロぐらいは走ってたんじゃないですかね。久能山の階段登ったり、400メートル20本とかそういうのをやったりして」。食事も多く取るように心掛け、入学時には68キロほどだったという体重も、10キロ増えた。
 2月にボールを投げ始めると、大きな変化があった。「全っ然、全然、違いましたね。キャッチャーの吉永(祐太郎)も捕ったらビックリしてました。チームで一番速いんじゃないかって」。投げていても、実感はあったという。ボールに力が伝わり、今までにない感覚を得ていた。

★勝利を引き寄せた左腕
 その実感は、春季大会で活躍したことで、自信に変わった。最後の夏に、憧れていた「静商の1」を手にすることはできなかったが、9番をつけた。しかし、外野と投手の練習をすることになり、頑張りすぎたのか、今本はわき腹の肉離れを起こす。テーピングで固定された状態で迎えた初戦、スタメンに今本の名はなかった。登板することもないのではないかと思っていたという。
 しかし、静岡商の初戦はとてつもない試合になった。東部の強豪・御殿場西を相手に、序盤得点を重ねて、ベンチから見守っていた今本もコールド勝ちが頭をよぎったという。しかし、先発の中本の負傷をきっかけに、チームに焦りが生まれ、同点に追い付かれてしまう。5-5のまま延長に突入した10回、今本は代打として送られ、その裏からマウンドに立った。「息を吸うだけで痛い」わき腹は気になって、好調とは決して言えない状態だったが、14回途中までを無失点に抑えて、國松歩にマウンドを譲った。その後に、静岡商が勝ち越し点を奪い、長い試合に決着がつく。エースの負傷で、御殿場西にいきかけた流れをガッチリ引き寄せた今本の好投だった。

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 「静岡を巣立つ高校球児~今本茂雄編・下」はコチラ!(編集部H)

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2013年1月14日 (月)

静岡を巣立つ高校球児番外編~渡邉隆太郎(帝京)3

 オフシーズン企画として始まった「静岡を巣立つ高校球児」。編集部Hが、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回、前々回に引き続き、「静岡高校野球」編集部による番外編です。「静岡を巣立つ高校球児番外編~渡邉隆太郎(帝京)1」はコチラ

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静岡を巣立つ高校球児番外編~渡邉隆太郎(帝京)3

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★投手としての今後
 左腕のパワーピッチャーという稀有な存在である渡邉。「重たいボールを投げるって言われてて、そういうピッチャーって意外と少ないって。そこを売りにしていきたいなと」。しかし、パワーだけで押せるほど、これからの道が甘くないこともわかっている。「色々な指導者に言われたのは、高校までは力でいけたけど、ここからは技術が必要だぞって。パワーと技術を両立させていけたら」。
 課題としては、ウエイトコントロールと柔軟性を挙げた。参考にしている選手は、小学生の時に、野球教室で教わってから好きになったという和田毅(オリオールズ)、「水の意識」という体の使い方に共感する杉内俊哉(巨人)。「自分とタイプは違うと思うんですけど、同じ左投手として見習うところがすごく多い2人です」。
 小さい頃にはプロ野球をあまり見なかったという渡邉だが、楽しさがわかり、今はよく見るようになったという。「杉内は今年巨人に入って、見る機会が一気に増えて、嬉しかったです」と話す笑顔は野球少年に戻っていた。

★藤浪・大谷・松井・中村、みんなすごい
 高校時代に対戦した中で一番すごかった選手を尋ねると、まず大阪桐蔭・藤浪晋太郎(現阪神)の名前を挙げた。「最初に見た時は、全然知らなくて。でも、144キロとか投げてて、2年生でもすごいピッチャーいるなーぐらいで。3年になって練習試合をした時は、普通に150キロとか出してるし、甲子園で投げてるんで、オーラみたいのもあって。打席に入ると近かったですね」とその脅威を語る。しかし、藤浪が打席に入る時は、「ストライクゾーンが広いんで」、嬉しかったそうだ。
 2年夏には甲子園で花巻東と対戦し、大谷翔平(現日本ハム)も目撃した。「ピッチングもすごかったんですけど、打球が他の人よりずば抜けてすごかったです。速さといい、飛距離といい。逆方向にフェンス直撃とか打ったりしてたので。打席には立ってないんですけど、対戦したかったです」。
 世代を代表した藤浪、大谷以外にも、帝京は全国の強豪校と練習試合をする機会が多いだけに、すごいと思った選手も数多いという。桐光学園の松井裕樹は「ストレートが速い」と感じ、渡邉自身は全く打つことができなかった。しかし、周りのチームメイトは簡単に打っていて、松井のすごさと同時に、周囲の選手のすごさも感じた。
 東東京でしのぎを削った関東一の中村祐太は2年の秋季都大会決勝で対戦するまで存在を知らなかった。「打席に立ったらビックリしちゃって。球が低く見えて、伸びがすごい。低めだと思ったら、ストライクだったり、ど真ん中だと思ったら高めだったり。ほんと、そういうボールでした」。
 高いレベルに触れることができた3年間だった。

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★個性溢れるチームメイトたち
 もちろんチームにもハイレベルな選手たちがいた。1学年上でプロに入った伊藤拓郎(現DeNA)、松本剛(現日本ハム)は言うまでもなく、同学年の投手には左腕の石倉嵩也(東洋大進学予定)や、最速147キロ右腕・木部拓実(筑波大進学予定)らがいた。「ライバル心はあったんですけど、なぜかアドバイスしちゃうんですよね。3人とも。ライバルで、内心はピリピリしてたんですけど、やっぱりチームで勝ちたいっていうのが強かったんだと思います」。お互いを高め合える存在だった。
 女房役を務めた、2013年のドラフト候補・石川亮の強心臓にも驚かされた。「甲子園のマウンドで、タイムかけて来たと思ったら、“帰ったらスーパー行きましょう”とか言ってきたり。そういうこと言えるやつなんで、度胸もあって投げやすいですね。石倉にも言ってたし、拓郎さんにもそんなこと言ってたと思います」。

★渡邉隆太郎からのメッセージ
 静岡を出て、全国屈指の強豪校で過ごした3年間。「高いレベルでやれて、色々なことを知ることができた。真っすぐにしても、球速自体が出ていなくても、キレとか出所の問題もすごいわかって。打ちづらいピッチャーって速くなくてもすごい打ちづらい。そういうところが勉強になりました」。元から素質を持った者が集まる中、そこから抜きんでるための工夫や、知恵、根性も学べた。「帝京に行ってよかったです」と渡邉は何度も口にした。
 最後に現役球児へのメッセージをお願いした。「高校引退してから思うことは、3年間あっという間。2年半しかできなくて、もっともっと高校野球やっていたかったなって、今でも思うんですけど、そういう後悔してほしくない。今を全力で頑張っていってほしいですね。高校野球には未練タラタラなんで」。 2年で甲子園に出場するも、衝撃的な敗戦を経験し、3年では甲子園に行くことができなかった。高校野球の心残りは、社会人野球で晴らしていく。

■渡邉隆太郎[わたなべ・りゅうたろう]
投手/帝京3年/180cm98kg/左投左打
6歳の時に富士根南エコーズで野球を始める。東海大翔洋中2年時に全国準優勝。全国屈指の強豪・帝京に進学後、2年夏に甲子園に出場し、注目を集める。投打にパワーが魅力の静岡の至宝は、今春から富士重工業に入社し、3年後のプロ入りを目指す。
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 県内では、竹安大知(伊東商)が熊本ゴールデンラークスに入社し、都市対抗出場を目指します。
 帝京には、2年生に東海大翔洋中出身の山崎康誠がいて、来年は4番を打つのではという期待をされています。今後も帝京は要注目ですね。また、長らく板橋区に住み、母校も帝京の近所だという編集部Hは渡邉との板橋トークを心待ちにしていたようで、渡邉御用達の弁当屋の話で盛り上がっていました。
 「静岡を巣立つ高校球児」はまだまだ続きます。次回は、県内選手に戻って、静岡商の大型左腕・今本茂雄。お楽しみに!(「静岡高校野球」編集部)

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2013年1月13日 (日)

駿東ボーイズの注目選手!

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 今日は「静岡高校野球2013」の取材のため、東部に行ってきました。せっかく東部に来たので、裾野市グランドに行き、駿東ボーイズの練習を見学。駿東ボーイズは近年、県高校球界にも人材を送り込んでいる注目のチームです。スタッフにも甲子園を経験している方がいて、熱心な指導をしています。

 コーチをしている方にお勧めの選手を聞くと、「4番でキャッチャーなんですよ」と紹介してもらったのが成田賢心(2年)。166cm62kgですが、現在、身長も技術も伸び盛り。肩が強く、スローイングには自信があるそう。打撃では「おかわりくん」こと中村剛也(西武)を目標とし、守備では古田敦也(元ヤクルト)を目指しているとのこと。古田の「頭を使って野球をするところが好き」という成田の将来の夢はプロ野球選手。今後どういう選手に成長するのか、注目です!(編集部・栗山)

★駿東ボーイズ応援団
http://blog.livedoor.jp/sangoumesi/

<写真上/雄大な富士山の足元で練習をする駿東ボーイズ>
<写真下/強肩強打の捕手・成田賢心(駿東ボーイズ)>

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2013年1月12日 (土)

静岡を巣立つ高校球児番外編~渡邉隆太郎(帝京)2

 オフシーズン企画として始まった「静岡を巣立つ高校球児」。編集部Hが、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、「静岡高校野球」編集部による番外編です。「静岡を巣立つ高校球児番外編~渡邉隆太郎(帝京)1」はコチラ

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静岡を巣立つ高校球児番外編~渡邉隆太郎(帝京)2

★故郷で打ったすさまじい打球
Dsc_0102 2年春には、渡邉の入学が縁となり、帝京と富士宮北の練習試合が富士宮北のグランドで行われた。故郷・富士宮での試合に、多くの観客が押し寄せた。
 1試合目は、富士宮北のエース・佐野準哉(現東京国際大)の好投に苦しめられた帝京打線。しかし、2試合目は打線が爆発。渡邉も、ライトのネットに突き刺さるようなライナーのホームランを放った。観客も、グランドでプレーしている選手たちも唖然とした。「みんなに、あの打球は一番すごかったって言われましたね。落ちないって言われたんで」。高校通算15本の本塁打の中でも、とりわけすさまじい打球だったという。(当ブログの2011年5月22日 練習試合 富士宮北vs帝京の記事はコチラ

★甲子園に住む魔物
 念願の甲子園に出場できたのは2年夏だった。最初は実感がわかなかったが、甲子園に行って、練習をしてからようやく「ここが甲子園か」と気持ちが高ぶったという。
 帝京は初戦で花巻東との激戦を制し、2回戦で八幡商と対戦した。調子が悪く、1回戦でも登板機会がなかった渡邉だが、「次お前で行くぞ、投げれるかって監督に言われて。そう言われると、対抗心が出てきて、絶対投げてやるみたいなかんじで調整して」2回戦の先発マウンドに立った。それが公式戦初先発だった。
 「当日のブルペンでも全然だめ。変化球曲がらなくて、受けてた石川(亮)にも本当に大丈夫かな、監督さんに言おうかなって言われてたぐらいでした」と不安を抱えていたが、試合に入ると調子が戻る傾向にあるという渡邉。この日も、立ち上がりは緊張したが、8回まで二塁も踏ませない好投を見せた。
 しかし、3-0で迎えた9回に、八幡商がチャンスを作ると甲子園は異様な空気に包まれた。「一生味わうことがないと思うんですけど、球場全員が敵ってかんじで。帝京のアルプスの声は聞こえないんですよ。それ以外、全員、手拍子が鳴って、球場が唸るっていうか、そういう感覚で。応援ってこんなすごいんだなって思いましたね」。夏の大会はリリーフを務めていた渡邉にとって、後半は疲れもあった。1点を返され、なおも1死満塁から、5番・遠藤和哉が打った打球はライト方向に上がった。「最初、入るとは思わなかったんですけど、ライトの人がずっと追っていって、それで…ああって」。ポール際に吸い込まれた打球は、満塁本塁打となり、帝京は逆転負けを喫した。
 「3年生に申し訳なかった。勝っていたのに、一瞬で夏が終わってしまったので。自分の役目としては、拓郎さん(伊藤・現DeNA)をもう一回投げさせないといけなかったんで。そこが悔しかったですね」。落ち込む渡邉を、松本剛(現日本ハム)ら上級生も慰めてくれた。自分たちの代もすぐにやってくるので、切り替えて、甲子園に戻ってこようと考えた。

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★9回のトラウマ
 ただ、その夏の記憶はトラウマとなって、渡邉を襲った。
 「2年秋はそうでもなかったんですけど、春あたりから、9回になると投げられなくなったりすることが続いて。関東大会で健大高崎とやって、9回までいいピッチングして1-0で勝ってたのに、9回にいきなりストライクが入らなくなった。練習試合でもけっこう多くて」。9回になると出る力み。メンタルトレーニングをしてみたり、工夫は色々としてみたが、高校野球を終える時まで克服することができなかったという。
 選手も揃っていて、夏前の練習試合では、大阪桐蔭とも互角に渡り合っていたという帝京。しかし、最後の夏は打線の不調に苦しみ、東東京大会の準決勝で敗退。渡邉の高校野球も終わった。

★富士重工業からプロを目指す
 プロからも注目されていた渡邉だが、志望届を出すことはなかった。「甲子園に出て、なおかつ活躍するぐらいじゃないとプロに行くには力不足だと思ってたので。夏の調子を見て、プロは無理だなと思いました。プロ待ちをしても覚悟ができないと思って」。引退すると、すぐに富士重工業の練習に参加した。チームの雰囲気の良さに惹かれて、入りたいと感じていたところに、合格が告げられた。
 そうなると気になるのは、投手・打者、どちらで挑戦するのか。「わからなくて、自分も聞いたんですけど、どっちも見たいって。生きれる道でいきたいと思ってるので希望は特にないです。わがまま言ってられないので。プロに行けるなら、どっちでも。ただ、大学のレベルを経験せずに、飛び級で社会人なので、そこはちょっと不安です」。
 社会人でどちらかを選ぶのか、はたまた二刀流で魅力を見せてくれるのか。静岡県民としては大谷翔平(日本ハム)以上に気になる選択かもしれない。

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 「静岡を巣立つ高校球児番外編~渡邉隆太郎(帝京)3」はコチラ!! せっかくなので、ノーカット状態で書いているので、かなりのロングインタビューになっています。(「静岡高校野球」編集部)

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2013年1月10日 (木)

静岡を巣立つ高校球児番外編~渡邉隆太郎(帝京)1

 好評連載中(のはず!)の「静岡を巣立つ高校球児」。編集部Hが、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。(第1回中澤彰太編第2回藤山知明編第3回大友伸久編第4回小林弘郁編
 今回は番外編として、「静岡高校野球」編集部で、渡邉隆太郎(帝京)に会いに行ってきました。渡邉は富士宮市出身で、東海大翔洋中では全国大会準優勝。進学した帝京ではエースで4番として活躍し、今春からは富士重工業に入社。3年後のプロ入りを目指しています。そんな静岡の至宝のインタビューを3回に渡ってお届けします。

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静岡を巣立つ高校球児番外編~渡邉隆太郎(帝京)1

★富士宮に生まれた静岡の至宝
 渡邉隆太郎は幼い頃から周りより体が大きかった。小学校入学前から、6歳上のいとこが入っていた富士根南エコーズの練習についていくうちに、その体格が水越佳明監督の目に止まった。本来は、小学生からのチームだが、渡邉は「大きいからもう入っていいよ」と言われ、小学校入学前にエコーズに入団した。そこから、渡邉の球歴が始まった。
 4年生から試合に出始め、5年生で一塁のレギュラーを獲得。2番手として投手も務めた。6年生の時には県ベスト16に進出する原動力となる。中学に進むにあたり、渡邉の元には硬式軟式問わず様々なチームから誘いが来た。「軟式がやりたかったんですよ。通ってた整体院の人に、“硬式でピッチャーをやると痛めるのも早い。中学で軟式をやって、高校から硬式をやっても十分間に合うから”って言われてて」という渡邉は、進路として県の強豪・東海大翔洋中を選んだ。

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★東海大翔洋中で全国準優勝
 東海大翔洋中での渡邉の活躍は今でも県内の語りぐさになっている。全国大会に2回出場し、2年の時には準優勝。その時のことは渡邉も中学時代で一番印象に残っているという。「練習試合で星稜中に翔洋中まで来てもらったんですけど、雨で1試合しかできなくて、その時に交流会をやったんです。それで、プロに行った西川(健太郎)さんや、亜細亜大で活躍してる北村(祥治)さんと仲良くなって。全国の決勝でやれたらいいねって監督同士でも話してて。それで、その年の全国大会の決勝で対戦できて、負けたんですけどいい試合だったので、それがドラマ的なところもあって印象に残ってます」。
 3年の時には、「負けるかんじはしなかったです。どこに行っても打たれる気はしなかった。2年生の時に全国で通用したっていう自信もあって。打たれちゃいけないって思ってました」と言う。投球は弓桁義雄監督(現東海大翔洋高監督)にアドバイスをもらいながら、自分で考えて作り上げた。中学生左腕として最速137キロを記録していた渡邉の名はすでに全国に轟いていた。(当ブログの2009年3月22日中学選抜大会 東海大翔洋中vs浜北北部中の記事はコチラ

★「親からの独立」目指し、選んだ進路
 渡邉の高校選びは、小学校を卒業する時以上の争奪戦となった。渡邉自身も県内の強豪チームに行くか、県外に出るか悩んでいた。けれど、まず頭にあったことがあるという。「高校野球より上を目指していたので、まず親から独立しようと。一人になったり寮生活をすることで、親から離れて、自分としても甘えがなくなる。後々、自分が生きていく中で、生かされていくんだと思ってました」。そこから自ずと、進学先は絞られた。さらに、県内だと甘えてしまうと思った渡邉は、県外の強豪校で自分を追い込み、揉まれて野球をすることを求めた。
 そして、「小さい頃から憧れていたけど、行けるとは思っていなかった」という東京の強豪・帝京に誘われたことから、帝京に入学を決めた。甲子園に行きたいという気持ちを当然持っていた渡邉には、甲子園に頻繁に出場している学校であるということも大きな理由だった。

★静岡からの声援受け、強豪・帝京へ
Alim1592_2 帝京に入学した渡邉は、「ピッチャーとしては他と劣っていなかったんですけど、硬式あがりの選手はバッティングが全然違った。普通に変化球にも対応できたり、レベルの差を感じて、すごいんだなーと思ったのが最初でした」と驚愕の中で高校野球のスタートを切った。全国屈指の強豪校では、先輩たちに驚く以前に、同級生ですらとてつもない能力を持った選手たちが集まっていた。もちろん、1学年上の伊藤拓郎(現DeNA)は「やっぱりずば抜けてました」と振り返る。
 その中でも、渡邉は1年春からベンチ入りし、夏の東東京予選では投手として公式戦デビューを果たす。順調な滑り出しに見えたが、その秋には、一度だけ野球をやめることを考えたことがあるという。「ピッチャーやってて、全然だめで、すごいつらくて。でも、こっちから出ていってかっこ悪いじゃないですか。みんな応援してくれて、期待してもらっていたので、裏切ることはできないと思ってました」。静岡で渡邉の活躍を祈る家族、友達、大勢の人たちのことを考えると、前を向いて野球に打ち込むしかなかった。

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 「静岡を巣立つ高校球児番外編~渡邉隆太郎(帝京)2」はコチラ!!(「静岡高校野球」編集部)

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2013年1月 7日 (月)

「浜松ジュニアベースボールクラブ」が発足!

 今年4月に中学硬式野球チーム、「浜松ジュニアベースボールクラブ」が発足されることになりました。その体験講習会が1月13日(日)に天竜球場で開催されます。
 対象は平成25年度中学入学予定者。スタッフ陣はスーパーバイザーの船川誠氏をはじめ豪華ですので、興味のある方は以下のPDFをご覧ください。

 昨年ひと足早く、「静岡ジュニアベースボール」が発足し、テレビ番組などでも紹介されていますのでご存知の方も多いと思います。今回は、その西部地区版。 「浜松ジュニアベースボール」は、「静岡ジュニアベースボール」と連携し、静岡県の野球界のレベルアップを目指していくプロジェクトです。「静岡高校野球」編集部でも、注目していこうと思っています!

★体験講習会の案内はこちら→「annai.pdf」をダウンロード
★スタッフ陣はこちら→「staff.pdf」をダウンロード

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2013年1月 4日 (金)

渡邉隆太郎(帝京)の初打ちを取材!

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 2013年の取材初めとして、2日に富士宮北高のグランドで行われた、富士根南エコーズの初打ちにお邪魔しました。この日は富士重工業に合流直前の渡邉隆太郎(帝京)を始め、富士宮北の谷本正成、静岡商の渡邉大地ら、多くのエコーズOBたちがずらり揃って、子供たちと共に初打ち、初投げを行いました。しかもゲスト(友情参加?)として、伊東商の竹安大知(熊本ゴールデンラークスに入社予定)、静岡高の渡邉義(慶應大に進学予定)も参加。新年早々、静岡の野球ファンには大興奮の面子が揃いました。

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 渡邉隆をグランドで見るのは久々だったのですが、とにかくその体格に圧倒されました。丸太のような太ももに、がっちりした首肩。グランドでも一際存在感があります。
 アップをして、まずは、マシンを使っての初打ち。このマシンが空気でボールを浮かべる少し変わったマシンで、帝京の4番を打った渡邉隆も最初は戸惑った様子でした。しかし、何回か打つうちに、すぐに外野に鋭い打球が飛ぶようになり、柵越え寸前の打球も。木のバットでも、打球の勢いや伸びは別格です。

 その後、投手たちはブルペンに入り、今度は初投げを行いました。渡邉隆を真ん中に、左に竹安、右に渡邉義が並ぶブルペンを見る機会なんて、もうないかもしれません。エコーズの少年少女たちも見学する中、全くタイプの違う3投手がそれぞれの魅力を見せてくれました。
 まず、三が日とは思えない投球を見せてくれたのが渡邉義。いつでも実戦に入れそうです。夏に見た時よりも、肘を柔らかく使ったフォームで一段と良くなった印象。投げ込みが終わった後に、誰よりも熱心にマウンドをならして「来た時よりもきれいにしたい」と言っていた姿に渡邉義らしさが出ていました。
 そして、豪快さで強烈に目を惹きつけるのが渡邉隆。ブルペンに入る前には、OBたちの間で、「俺、捕れないよ」と捕手役の押し付け合いがあったほど(笑)。左腕から最速141キロを誇り、その球の重さは見ているだけでも伝わってきます。初投げとはいえ、パワフルなフォームで風を引き裂くようなスピードをビシビシ体感。プロからも注目された先輩の投球に、子供たちも「速い!」「すごい!」と驚きの声をあげて夢中で見つめていました。
 細身の体でしなやかに腕を振る竹安は、ブルペンでも飄々としたマウンドさばき。バッティングでもピッチングでも、とにかくしなやかにボールに力を伝えます。左腕二人に負けず劣らず、キレのあるボールを投げ込んでいました。

 その後、ノックが行われて初練習は終了。OBたちは、それぞれの進路での活躍と、再び集うことを誓ってグランドを後にしました。竹安と渡邉隆は、「都市対抗で勝負できるように頑張ろう」と約束しあい、渡邉義は周囲から「早慶戦を神宮に見に行くぞ」と声をかけられると、「頑張ります! 中澤(彰太・静岡高→早稲田大進学予定)も倒します」と笑顔を見せていました。
 正月早々、こんな豪華な練習を見ることができて、幸せでした。今年もいい年になりそうです! 近日中に、「静岡を巣立つ高校球児・番外編」にて渡邉隆のインタビューを掲載予定なので、お楽しみに!(編集部一同)

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<集合写真>この日初打ちに参加した富士根南エコーズOB&ゲストたち
<写真>上から、子供たちの前で自己紹介する渡邉隆太郎、初打ちを行う左打者(右から渡邉隆、谷本正成、渡邉義)、豪華なブルペン(手前から渡邉義、渡邉隆、竹安大知)、ブルペンの周囲で見学する富士根南エコーズの選手たち
<投手たちの写真>右から渡邉義、渡邉隆、竹安

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2013年1月 1日 (火)

あけましておめでとうございます!

 昨年、当ブログを見て下さった皆様、ありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 昨年は、念願の静岡の高校野球本『静岡高校野球2012』を出すことができました。今年も『静岡高校野球2013』発売に向けて、このブログやTwitter、Facebookで進行状況や、取材のことなどを報告していきたいと思っています。 2人しかいない編集部ですが、コンパクトさを生かして、小回りのきいた動きで頑張ります。お勧め選手や、面白い試合がありましたら、ぜひ教えて下さい。

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