オフシーズン企画「静岡を巣立つ球児たち」。今年も編集部Hが、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
前回に引き続き、河守光王(焼津水産3年)編です。 「静岡を巣立つ球児たち2014~河守光王編・上」はコチラ!
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★末次と共に名古屋商科大へ
その2年秋には敗者復活4回戦まで進むも、県大会への出場は叶わなかった。そして、翌春、定期戦が終わった後、河守はバットとボールの間に指を挟み、骨折してしまう。それをかばううちに、今度は肩の調子が悪くなった。
痛み止めを飲みながら迎えた最後の夏は初戦・駿河総合戦で終わった。
「あの試合はすごく悔しかったです。自分たちの代は正直、そこまで印象に残っている試合はなくて。悔しい思いばかりでした。だけど…その悔しさがなかったら、野球を続ける気もなかったかもしれません」
河守が野球を続けることを決めたのは3年春と遅かった。それまでは就職を考えていたという。
「でも、親に『上で野球をやってみろ』と言われたし、自分でも悔いが残る試合が多かった。大学で挽回したいという思いがありました。そこで健太が『一緒に大学で野球をやろう』って言ってくれて」
末次健太(静岡商) |
小中とバッテリーを組んだ末次健太。再び大学でバッテリーを組みたいという気持ちが芽生えた。末次に誘われた名古屋商科大には近年、焼津水産から進んだ選手が何名かおり、その先輩たちからも「いい環境で、いい指導者がいるよ」と聞いていた。夏の大会の後、河守は名古屋商科大のセレクションに足を運んだ。この時点で他の大学は考えておらず、名古屋商科大一本に絞っていた。
「受けに行くまでは不安もありました。セレクションには知っている名前の高校の人が多くて、ガタイもすごかった。びびったりはしなかったんですけど、もし受かったら、この人たちと一緒に野球できるんだって嬉しくなりましたね」
そして河守は見事、合格を勝ち取った。
★目標は小林誠司
現在は肩のリハビリ中だが、元は強肩の河守。大学でアピールしたいのもその肩だ。
「遠くに投げるというより、二塁への送球の方が得意です。送球の精度も心がけています」
その肩を含めて目標としている選手が小林誠司(巨人)。動画を見ては送球時の足の使い方を再現してみたり、どうにか自分の中に取り入れようと四苦八苦している。
「小林選手は肩が強いのもすごいんですけど、テレビで見ていて『サインはこれ出すんだろうな』と自分が思ったのと真逆を出す。自分はオーソドックスだと思うんですけど、小林選手は逆で、それで打たれなかったりするので、そういうところがすごいなと」
身近にもいい捕手の手本がいた。2年春から焼津水産に赴任してきた高田晋松監督だ。前任の静岡南時代、その鬼監督ぶりが有名だった高田監督。河守も少し怯えながら迎え、2年間を過ごした。
「最初はこんなに優しいんだと思ったけど、急変しましたね(笑)。高田先生にはリードの仕方や相手の打者を観察して投げることとか、捕手としてのことをすごく教えてもらいました。観察することが大事だとはよく言われます。バッティングも良いので、バッティングも基礎から教えてもらいました」
捕手として、打者として、様々なことを学び、取り組んだ高校生活だった。
★生活がトレーニング
河守は特別な練習をしているわけでもなく、体作りに打ち込んでいるというわけでもない。ただ生活スタイルがすごい。
「食事はけっこう食べる方です。自分の茶碗はラーメン丼。3合じゃ1杯でなくなっちゃうので足りないですね。全然おかわりしちゃうし、家のお米はすごい勢いでなくなります…」
実家は精肉店。店のコロッケを自分で揚げたり、おかずには困らない。筋肉をつけるために豚肉を多めに取り、朝晩ラーメン丼でご飯を食べる充実した食生活を送っていた。外食に行っても毎回足りず、結局、家に帰ってからまた食事をしていたというから驚く。そんな強豪校の食トレ並の毎日を過ごしながら、
「行きは親に送ってもらうことが多いんですけど、帰りは自転車が多いです」
とさらり口にする。河守は焼津市内に住んでいるわけではない。
「大井川までは18キロぐらいで、そこが半分ぐらいですね。1時間半はかかります。山道ではないですけど、冬練が終わった後はけっこうきつい。階段昇れなくなります」
40キロ近い自転車通学まで日課に含まれていた。普通に生きているだけで体が強くなる生活だった。
★河守光王からのメッセージ
最後に、現役球児へのメッセージを聞いてみた。
「冬練つらいと思うんですけど、ここを乗り越えれば精神的にも肉体的にも自分のためになる。今はつらいと思うけど、頑張ってほしいです。自分も現役に戻って、冬練を頑張って夏大に臨みたいというのがあります。今振り返ると、もっと追い込めただろうって」
悔しさを思い返しながら、ゆっくりと教えてくれた。高校でやり残したことを大学でやりつくし、その後に志していることがある。
「中学の頃に教えてもらった野球部の顧問の先生が厳しかったけどすごくいい先生で。こういう先生になりたいなっていうのもあって、大学を決めたところもあります」
将来の夢は学校の先生だ。もちろん、焼津水産に先生として戻ってきてみたいという気持ちもある。
「プロや社会人でやりたいという気持ちもあったんですけど、高校野球をやって限界があるとわかったので。生徒たちに野球を教えるという方向で考えています」
はたから見ると限界はまだ先にあるように思えるが、今後4年間は野球に打ち込む。部員数の多い名古屋商科大でまずはベンチ入りを勝ち取り、近い将来には末次とバッテリーを組んで、高校時代には叶わなかった神宮を目指す。
高田晋松監督からの贈る言葉 夏の駿河総合戦では最後のチャンスで打てずに本人も悔しい思いをしたと思います。ポテンシャルはあるし、あとはどれだけやるか。やったもん勝ちですからね。野球が大好きな子なので、頑張ってやっていってほしいです。 |
■河守光王[かわもり・こうのう]
捕手/焼津水産3年/174cm69kg/右投右打
小学5年で野球を始める。榛原中を経て、父の母校である焼津水産に入学後、1年秋からレギュラー。2年夏には4回戦進出を果たす。二塁への強く、的確な送球を武器に、名古屋商科大に進む。
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野球をやろうと誘ってくれた友達として末次健太の名前があがった時にはびっくりしました。エース牧野孝亮、JR東日本に進む國松歩の印象が強かった静岡商投手陣ですが、末次も伸びしろ十分で気になっていた左腕。河守と共に今後の成長を気にしていきたいと思います!
次回は島田商・青島秀一郎編、お楽しみに!(編集部H)