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2015年2月 8日 (日)

静岡を巣立つ球児たち2014~青島秀一郎編・上

 3年目を迎えた人気連載(自称)「静岡を巣立つ球児たち」。編集部Hが、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。今回は投打に古豪・島田商を引っ張った青島秀一郎。卒業後は朝日大に進学する青島のインタビューを2回にわたってお届けします。

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静岡を巣立つ球児たち2014~青島秀一郎編・上

★一塁手から投手へ
 青島秀一郎は小学3年の時に野球経験者の父の影響で野球を始めた。小学生の時には主に一塁を守り、地元の六合中に進んだ後も一塁が定位置。自信を持っていたバッティングを生かし、2年時には県大会にも出場した。投手・青島が誕生したのは3年の最後の大会の直前だった。
「球を投げることに自信があって、抑えぐらいでできればいいかなと。遊び半分で練習をしていて、最後の大会近くに、監督さんの前でピッチングをしたらそこでの評価が良くて」
 中学最後の大会で投手として起用された青島は、この時、投手の面白さを知った。
「ボールがバットにあたらない時がすごい気持ちよくて。三振を取った時も。高校ではピッチャー一本でいこうって思っていました」
Img_3289 投手として目覚めた青島だが、地元ではスラッガーとして知られていた。もちろん、高校からの誘いも引く手数多。そんな中で青島が選んだのは地元の古豪・島田商だった。1940年の夏に甲子園準優勝を果たし、98年にはセンバツに出場するも、以降甲子園からは遠ざかっている。ただ、島田市ではいまだ特別な存在でもあった。
「甲子園を目指したいっていうのは夢でもあったけど、地元でやりたいっていうのがあって。特に島商は伝統がある学校。ここ最近は停滞していたので、自分で変えるとかじゃないんですけど、そういう気持ちもあって島商を選びました」

★投手として掴んだチャンスと手応え
 投手一本と決めていた高校野球だったが、青島の打撃を当時の山田忠監督は見逃さなかった。1年秋からベンチに入り、「そのうち投手をやりたい」という気持ちはあったものの、打撃の評価が高かったため一塁手として試合に出場した。投手として公式戦デビューを果たしたのは1年秋の中部地区大会の最後の試合だった。清水西との県大会を賭けた5位決定戦で、大きくリードを奪われた頃にお呼びがかかった。念願のマウンドに、気合は入ったが結果は11-5で敗退。それでも、投手というポジションの魅力は青島の中で高まっていった。
 秋の大会が終わり、練習試合では再び一塁での出番が多かったが、投手としても少しずつ登板機会は増えていった。そして冬に入る直前、島田商は聖隷クリストファーと練習試合を行った。その日、島田商投手陣は打ち込まれ、エースも他の投手も早々に降板。そんな中で青島にチャンスが巡ってきた。
「点を取られてた時に自分がマウンドに上がって。0点に抑えて、いい調子だったので、そこから手応えをつかみました」
 上り調子で冬に突入した青島。充実した冬を過ごし、明けた3月には球速的には変わっていなくても、キレや伸びが良くなった実感があった。

Img_3242★2年春から背負い始めた背番号1
 3月に練習試合が解禁になると、今までとは違い、主に投手として試合に出場。そして、2年春の大会はエースとして迎えた。
「3年生の中で投げることにプレッシャーはあったけど、優しい先輩たちだったのでけっこう支えられて投げやすかったです。捕手の河井(大成)さんは一緒の中学で、仲良く話せる人だったので気を遣って投げるとかもなかったですね」
 中部地区大会初戦で静清を撃破すると、そのまま波に乗り、4位で県大会出場を決めた。県大会では初戦の聖隷クリストファー戦で敗退したものの、鈴木翔太(現中日)と投げ合った。チームの雰囲気も良く、その後、島田市内大会で優勝。4月から山田監督の転任に伴い、増田明仁監督に池田新之介部長という新体制になっていたが、スムーズに選手たちも馴染んだ。
 満を持して挑んだ夏、初戦の対戦相手は好投手・後藤黛を擁する横須賀。1回戦屈指の好カードに青島も「同じ2年生だから負けられない」と闘志を燃やしてマウンドに立った。横須賀に1点を先行されたものの、島田商も4回に追いつき、1-1のまま延長戦へ。しかし、10回表に青島は突如乱れ、5点を失うと、試合は6-1で終了。悔しい敗戦に青島はショックを隠せなかった。

★どん底から抜け出るきっかけ
「新チームになってから全くやる気が出ませんでした。秋までずっと引きずって…」
 夏が早々に終わり、秋の大会が始まっても青島は気持ちを切り替えられずにいた。そこから抜け出すきっかけになったのは池田部長との話し合いだった。
「自分にやる気がないこともみんな気付いていて。池田先生とも話して、自分の存在、背中をみんな見てると思ったので、しっかりしなきゃだめだなと。ミーティングで自分で言いました。これからは変えていくって」
 敗者復活4回戦で秋が終わると、池田部長が監督に就任した。山田監督から増田監督、3人目の監督だった。
「まずは土台固めってことで野球の基礎から教えてもらいました。池田先生の野球観は、技術だけじゃなくて、日頃の行いからしっかりしろっていう教え。中学の監督もそういうかんじの監督で、自分の好きな野球観だったのでやりやすかったです」
 さらに、今までは投手と野手が一緒に練習していたところを、池田監督ははっきりと分けた。それまで投球と打撃を並行してこなしていた青島だったが、投手陣だけで走ったり、ネットスローをするうちに投手だという意識、エースの自覚が高まり、練習に専念することができたという。

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「静岡を巣立つ球児たち2014~青島秀一郎編・下」は近日中に更新します!(編集部H)

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