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2016年1月

2016年1月31日 (日)

ドラフト候補左腕、夏目旭が母校でトレーニング!

 今日はドラフト候補の浜北西出身・夏目旭(至学館大)が母校の浜北西で練習を行うということで取材してきました。

 夏目と会うのは昨秋のリーグ戦以来。驚いたのは体つきの変化です。この数か月でさらに大きくなっていると感じました。聞けば、オフの期間で体重が3キロアップ(現在87キロ)。さらに毎日のウエイトトレーニングの効果で体幹がしっかりしてきたとのことです。

01131_2 今日は昨日までの雨の影響でグランドがぬかるんでいたため、思い切った練習こそできませんでしたが、軽いランニングのあと、今年初めてというブルペンに入りました。
 立ち投げで「3~4割程度」の力の入れ具合。それでも、この時期とは思えない、重くスピンのきいた球を投げ込んでいました。キャッチャーの真後ろから見ていると、ネットがあるにも関わらず、思わずよけてしまうほどの迫力。全開になった時、果たしてどんな球がいくのか。春が待ち遠しいです。

 すでにプロ数球団がリストアップしているという話を耳にします。本人も「行きたい気持ちが強いです」とプロ志望だと明かしてくれました。
01312 そのためには、今春のリーグ戦で活躍することが必要不可欠。実は春の初戦、至学館は愛知東邦大と対戦することが濃厚だとか。
 愛知東邦大といえば、同じく注目左腕の小林弘郁(市立沼津出身)がエースとして君臨。注目の一戦になることは間違いありません。
 夏目は「小林君もいいピッチャーですが、絶対に負けたくありません。そこに向けて調整していきます」と明らかに意識している様子でした。

 春の地区大会と重なる可能性はありますが、この「静岡ドラフト候補左腕対決」は見逃せません!(編集部・栗山)

※現在発売中の「静岡高校野球2016早春号」でも夏目旭、小林弘郁を取り上げています。そちらも、ぜひ読んで下さい!

 

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2016年1月28日 (木)

静岡を巣立つ球児たち2015~河合毅弥編・下

 オフシーズン企画「静岡を巣立つ球児たち」。今年も「静岡高校野球」編集部が、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、河合毅弥(聖隷クリストファー3年)編です。 「静岡を巣立つ球児たち2015~河合毅弥編・上」はコチラ

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★名伯楽・小倉氏の助言
 2014年10月、元横浜部長の小倉清一郎氏が1週間、聖隷クリストファーの臨時コーチを務めた。
 小倉氏は中継プレーの練習を行う中で、「チームで一番肩の強い選手にキャッチャーをやらせてみたらどうか」と植竹和人監督と佐野大輔部長に助言した。
 チームで一番肩の強い選手――。
 河合しか見当たらなかった。
「最初に言われた時は、正直なんで自分がキャッチャーをやらなければいけないんだって思いました」 
01281 河合の野球人生を振り返って、捕手を経験したことは一度もない。
 それでも最初はショートとキャッチャーの兼任ということで、少しずつ練習を始めた。
「捕るのが凄く怖くて。普通のボールは捕れるんですが、ショートバウンドとか、前でワンバウンドするボールに全然対応できなくて。マシンの速いボールで練習しましたが、すごく苦痛でした…」
 2年冬は「チームのために」と割り切り、ひたすらキャッチャーの練習に取り組んだ。

★キャッチャー河合の葛藤
 もともと、捕ってから投げるまでの速さには自信があった。春になり、実際のゲームで河合がマスクをかぶると、チームが引き締まった。河合の肩を見たら、簡単に走ってこないし、配球面もそつなくこなした。
 それでも、やはりショートへのこだわりを捨てきれず、葛藤があったという。
「春の大会までは嫌々やっていて、態度にも出ちゃっていたと思うんです。バッティングにも影響が出ちゃって。打順が7番とか8番とかに落ちてしまったこともありましたし…」
 春の西部大会では2回戦で浜松学院に2対3で敗戦。あらためて、キャッチャーの難しさを身をもって感じた。
「練習試合ならいいんですが、球場で試合をやった時に、ネットまでの距離が広くて、怖くて。後ろに逸らしたらどうしようって。浜松学院との時は接戦でしたので、すごく恐怖感がありました」
 <ショートに戻りたい。でも、今のチームを考えたら…>
 夏まで残り数か月。河合は悩んだ。そんな時だった。あらためて佐野部長から「チームのためにお前がキャッチャーをやるしかないんだよ。この経験が絶対生きるから」と説かれた。
 「もうやるしかない」
 そう踏ん切りをつけると、チームの状態が徐々に上がっていった。

★夏の快進撃
 迎えた夏、秋春ともに県大会を逃した聖隷クリストファーが快進撃を見せる。
 初戦は焼津水産に7対0で快勝。2回戦はサヨナラで静岡市立を下すと、3回戦は清水東に10対5で勝利。河合も計3試合で6安打5打点と絶好調だった。
 4回戦の相手はシード校の常葉橘だった。序盤に常葉橘に大量リードを奪われるも、聖隷クリストファーは終盤に粘りを見せ、最後はあと1点まで追い詰めた。9対10で敗れたものの、試合後の河合は「3年間で一番満足できた大会だった」と充実感が漂っていた。
「負けましたが、やることはできたのかなって。あの時はベンチを含めた全員が一緒に戦っていたので、やっていて楽しかったです」。
 この夏、河合は一つ、心がけていたことがあった。自身が1年夏、常に気を配ってくれた鈴木翔太(現中日)のように、今度は自分が後輩たちに声をかけた。
 そして、キャッチャーを経験して良かったと思えるようになった。
「なかなか、誰もができないことをやらせてもらって。周りが見えるようになったのは今後に凄く生きてくると思います」
 河合は首都大学リーグに所属する明治学院大に進学する。
 明治学院大は現在2部だが、昨秋は優勝した明星大と同じ9勝3敗(優勝決定戦で敗れたため2位)という好成績を残した。1部昇格まであと一歩のチームだ。
「大学の練習会に行って上手い人が多かったんですけど、1年からレギュラーを取れるように、まずは守備をアピールしたいです」
 大学はあくまで内野手として勝負すると決めている。

01282★河合毅弥からのメッセージ 
 最後に現役球児へのメッセージを聞いた。
「振り返ると、2年半は早かったです。今は練習とかきついと思いますが、あっという間ですので、今できることを全力でやって下さい。僕は楽をせず、苦しい道を選べば、必ず力がついて結果がでると信じています」
 1年夏の鮮烈デビューから始まり、不振、キャッチャー転向、3年夏の活躍…。必ずしも順調ではなかった苦しい経験を新たな舞台で生かす。 

植竹和人監督からの贈る言葉

チーム事情もあり、2年冬からキャッチャーをやらせました。捕ってから投げるまでの速さは、高校トップクラスだと感じたくらい、いいものを持っています。この3年間で人間的にも大きく成長してくれました。大学では内野手として、もうワンランク、レベルを上げて社会人やプロというものを目指して欲しいと思います。

■河合毅弥[かわい・たけや] 内野手/聖隷クリストファー3年/178cm80kg/右投左打
5歳から野球を始め、「浜北ブラザーズ」に入団。「浜松シニア」では主将を務め、2年秋のクラストカップで県優勝。聖隷クリストファー入学後、1年春から「3番ショート」で活躍。2年冬にキャッチャーとなり、3年夏はチームを県ベスト16に導いた。卒業後は明治学院大に進学する。

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 大学では初めて一人暮らしを経験するという河合。「料理の練習はやっているの?」と伺うと、「全くやっていません」という答えが…。少し心配ですが、明治学院大には鈴木翔太とバッテリーを組んでいた石塚大祐も在籍します。先輩を頼って頑張って下さい。
 次回は静岡市立・中川怜士編、お楽しみに!
 

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2016年1月26日 (火)

静岡を巣立つ球児たち2015~河合毅弥編・上

 4年目を迎えたオフ企画、「静岡を巣立つ球児たち」。「静岡高校野球」編集部が卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。今回は1年夏から「3番ショート」として静岡を沸かした河合毅弥(聖隷クリストファー)。卒業後は明治学院大に進学する河合のインタビューを2回にわたってお届けします。

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★小中とエリート街道を歩む
 5歳で野球を始めた河合は、小学1年生の時に「浜北ブラザーズ」に入団した。
 6年時には中日ドラゴンズジュニアに選出され、NBP12球団ジュニアトーナメントに出場。上野翔太郎(中京大中京)、鈴木大智(関東一)、宮地恭平(東海大相模)らとともにプレーした経験を持つ。
 01261_5中学は「練習を見に行った時に凄い雰囲気が良かった」と浜松シニアへ。そこで3年間、佐野勝稔監督からバッティングの基礎を叩きこまれた。1日の大半は打撃練習。午前中から午後の4時まで、ずっと打ちっぱなしという日もあったという。
「佐野監督はトップを作って内から出すという指導で、形に凄くこだわっていました」
 毎年のように好選手を輩出する浜松シニアだが、河合の代も逸材が揃っていた。松田翔真、内山竣(ともに静岡高)、山本啓太(浜名)、安藤優汰(浜松市立)…。そのなかで河合は主将を務め、2年秋のクラストカップではチームを県優勝に導く。まさに小学、中学とエリート街道を歩んでいた。

★鈴木翔太に誘われて聖隷へ
 中学3年生となり、高校を選ぶ時期となった。他の強豪校からの誘いもあったが、河合は聖隷クリストファーに入学することを決める。シニア時代の2つ先輩・鈴木翔太(現中日)の存在が大きかった。
 河合が中学3年の夏、聖隷クリストファーはエース・鈴木翔太の快投で優勝候補の静岡高を撃破。その後、鈴木は準決勝で延長14回を一人で投げ抜き、一躍注目を集める存在となっていた。
 そんな憧れの選手から直接口説かれた。
「聖隷で一緒にやろうよ」
 その一言で、河合は聖隷クリストファーへ大きく気持ちが傾いた。
「翔太さんと一緒に、試合にでたいっていう気持ちが大きかったです」
 河合は入学早々、1年春の県大会で「3番ショート」としてデビューする。2回戦の富士市立との試合では2安打を放つ活躍。シニア時代に佐野監督から教わった打撃は高校でも通用すると実感した。
「球の速さとかキレもあまり違いは感じなかったし、思っている以上にできました。守備も、翔太さんが投げていると全然ボールが飛んでこないし、ピンチの時には三振を取ってくれるので、すごく安心感がありました」 
 
★1年夏の鮮烈本塁打!
 迎えた夏、聖隷クリストファーは2回戦で飛龍と対戦する。愛鷹球場にはドラフト候補・鈴木をチェックしようとプロ12球団のスカウトが集結した。
 そんな異様なムードの中、河合は5回に一時勝ち越しとなる2ラン本塁打をライトポール際に放つ。高校入学後、初の本塁打だった。
「翔太さんから打撃に入る前に『お前が打たなくても俺がいるから大丈夫だ』って声をかけてもらって。それで打席に楽に立つことができました」
 河合の活躍もあって、6対3で勝利を収めた。しかし、準々決勝で大井祐輝(現拓殖大)を擁する菊川南陵に2対3で敗退。鈴木との野球はわずか4か月足らずで終わった。
 鈴木と一緒にプレーしたくて入学した聖隷クリストファー。あと2年間、どうモチベーションを保っていけばいいのか。河合は負けた瞬間、喪失感を味わった。
「辛かったです。でも、あれがあったから、切り替えることができたと思うんです」
 そう河合が振り返るのは、菊川南陵に負けた後の出来事だ。学校に戻り、バスを降りると、すぐに佐野副部長(現部長)から「1、2年生はグランドに集まるように」という指示が出された。01262_5佐野副部長は選手が集まると、ノックを始めた。
「かなり疲れた状態で戻ってきて、えっ、まさかと思いました。その時のノックで自分は一番叱られていました。もう地獄でしたね(笑)」
<もう新チームは始まっているんだよ。下級生だけど、引っ張っていくのは河合なんだよ>
 佐野副部長はそんなメッセージを伝えたくて、河合に激しいノックを打った。河合のユニフォームは泥だらけとなっていた。
「もうやっていくしかないと割り切りました」
 ところがその後、思うような結果がでなかった。秋は県大会の初戦で敗退。2年夏は、2回戦で富士東にあっさりと敗れた。
「チームとして勝てるかなっていう気の緩みがあったと思います。自分も、1年の時が良すぎたので、その分、迷ってしまって」
 新チームとなり、当然のようにキャプテンを任された。しかし、打撃の状態は上がってこなかった。秋は西部大会で敗戦し、県大会出場も逃した。  
 10月、一人の男が聖隷クリストファーにやってきた。
 小倉清一郎――。
 これまで数々の名選手の育て上げた名コーチは、植竹和人監督と佐野部長にこんな提案をした。
「河合にキャッチャーをやらせてみたらどうだ」

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 「静岡を巣立つ球児たち2015~河合毅弥編・下」は近日中に更新します!

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2016年1月24日 (日)

クラブチームから「二刀流」でプロを目指す、その正体とは…

 浜松ケイ・スポーツBCにプロを目指している選手がいるということで会ってきました。それも、「二刀流」で…。 
 中嶋涼太、今年入団2年目を迎えます。(『静岡高校野球2016早春号』の「静岡注目選手名鑑」でも取り上げた選手です!)
 この中嶋、なかなかの経歴の持ち主です。 
01241 横浜創学館(神奈川)時代、2年夏の準決勝で先発のマウンドを踏み、3年春の関東大会では2回戦の青藍泰斗(栃木)戦で完封勝利。延長11回を一人で投げ抜く快投でした。
 当時から180センチを超える左腕で、最速は143キロをマーク。当然、プロのスカウトも目を光らせていたそうです。
 中嶋はその後、八戸学院大に入学。1年時は投手として投げていたものの、制球難に苦しみ、野手に転向します。持ち前の打撃センスと50メートル6秒0の俊足を生かし、3年春にレギュラーに定着。秋には「1番センター」で明治神宮大会出場に貢献します。
 そして、4年秋にはベストナインを獲得しました。
 大学時代の一番の思い出は、3年春に富士大・多和田真三郎(西武ドラフト1位)からライトスタンドに本塁打を放ったことだと言います。
「その頃、膝の故障で入院して、復帰一戦目で打ったホームランです。注目されているピッチャーから打てて嬉しかったですね」
 
 浜松ケイ・スポーツBCには中村好志部長から誘われて入団を決めたそうです。
「4年春までプロ志望で社会人はあまり考えてなくて。プロが難しいって分かってから社会人を探していたところに中村さんから声をかけてもらいました」

 1年目の昨季、シーズン前半は外野手として出場。高校、大学の先輩、秋山翔吾(西武)を彷彿とさせる外野の間を抜くシュアな打撃で、すぐにチームに欠かせない存在となります。一方で6、7月くらいから投手に挑戦することに。本格的に投げるのは大学1年生以来だったそうです。
「中村さんから言われた時には、最初エッて思いましたが、元々ピッチャーはやりたかったので」
 中嶋はすぐに140キロ台をマーク。10月のエディオンカップではヤマハ発動機相手に5回2失点の好投を見せます。
 そんな中嶋に対し、中村部長は投手としてプロを狙えると太鼓判を押します。
「中嶋のボールは140キロ台そこそこでも、打者に恐怖感を与えるボール。球の回転が違います」
 実際、この日、軽いキャッチボールを見せてもらうと、球に独特の重量感があり、相手のミットにズドンときます。これが内角にビシビシきたら、ちょっと簡単に打ち崩せないでしょう。本人が「僕の球をキャッチャーが捕るのを嫌がるんです(笑)」というのも頷けます。
 
01242 現在、中嶋は不動産関係の会社に籍を置き、忙しい時には20時から21時くらいまで仕事をこなしているそうです。その後、野球の練習を約2時間ほど行うという生活。取材日も、僕と話し終わると、すぐにスーツに着替え、外回りに向かいました。
 決して、楽とは言えない道ですが、本人が目指すのは、あくまでプロ野球の世界。そのためには今年、どうしても春先から活躍が求められます。
「今年は企業チーム相手に投げてアピールしていきたいです」
 チームには左投手がいないため、出番は必然的に増えるはず。また、投げない日は外野手で出場。企業チームではありえない「二刀流」という武器で、どんどんアピールして欲しいと思います。(編集部・栗山)

◆中嶋涼太(なかじま・りょうた)
1992年10月24日生まれ、神奈川県横浜市出身。6歳で野球を始め、「戸塚シニア」で投手と野手を兼任。横浜創学館では2年夏に県ベスト4、3年春に関東大会ベスト4進出。八戸学院大では3年秋に明治神宮大会に出場。その後、浜松ケイスポーツBCに入団。昨年は1年目ながら東海クラブ選手権で最優秀選手賞を獲得した。181cm82Kg、左投左打。

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2016年1月22日 (金)

静岡を巣立つ球児たち2015~三輪泰征編・下

 オフシーズン企画「静岡を巣立つ球児たち」。今年も「静岡高校野球」編集部が、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、三輪泰征(静岡学園3年)編です。 「静岡を巣立つ球児たち2015~三輪泰征編・上」はコチラ

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01221★この高校選びは間違いかも…                                    三輪が静岡学園に入学すると、誘ってくれた赤塚監督はすでにチームを離れていた。チーム事情から致し方なかったことだが、赤塚監督からは何度も「申し訳なかった」と謝られたという。戸惑ったままでの1年夏。背番号15でベンチ入りしたものの、代打で1打席立ったのみだった。
「高校野球の洗礼を浴びたというか、全然、自分の力を発揮できませんでした」
 三輪は苦しんでいた。こんなはずではなかったと。
 野球以外でも、浜松から静岡への通学は想像していた以上にハードだった。朝5時に起き、約2時間かけて学校に行く。さらに毎朝8時からは学力テストが行われ、そこで、ある一定の点数に辿りつかないと、放課後、補修が待っている。練習が終わり、自宅に帰ってくれば、日付が変わる寸前だった。三輪は心身ともに疲れていた。
 この高校選びは間違っていたのではないか。他の高校に行っていれば良かったのではないか。当時は本気でそう思ったと振り返る。

★「安田理論」で才能が開花
 そんな三輪に転機が訪れる。1年の冬に、創価大、関西創価、京都成章でコーチの経験を持つ、安田龍一監督がやってきた。
 安田監督はトレーニングに関する知識が豊富で、女子プロ野球のトレーナーとして活躍した実績も持っていた。
「安田監督が来てくださって、考え方も変わりましたし、自分自身のプレーも変わりました」
 まず、取り組んだのは、自分の持っている能力を自分自身が知ることだった。どこの筋力が強く、どこに弱点があるのか。その上で、本人にもっとも適したトレーニング方法や練習方法を探った。
「バッティングに関していえば、西尾先生の教えと重なるんですが、どうやったらヘッドが走るのかを突き詰めました」 
 安田監督は筒香嘉智(横浜DeNA)の映像を見せ、「このイメージで打とう」と説明した。
 すると、1年冬の時点で、2本だった本塁打が春になると徐々に増え始めていった。小さくなっていたスイングが大きくなった。
 さらに、安田流のトレーニングを取り入れると、急激に足も速くなった。高校入学時、50メートルが6秒5だったものが、なんと5秒9に。いったい、何かあったのだろうか。
「意識が変わったことが大きいと思います。安田監督から『上のステージに行きたかったら、まず脚力がないとダメだ』と。脚力が一番大事だと語りかけてくれて、それから走力に対する自分自身の意識も変わりました」
 安田監督の指導が見事マッチした三輪は自信を取り戻した。3年春になると、その長打力と俊足に注目を集まり、プロ4球団のスカウトが視察に訪れた。

★村中とのストレート勝負
 迎えた夏、三輪は初戦の科学技術戦で3安打2打点の活躍で勝利に貢献。続く相手は知徳だった。
 相手のエース・村中克晃はスプリットを武器にするという情報は耳に入っていた。
「自分は4番打者なので、そのスプリットをとらえてやろうと思っていました」
 しかし、村中は三輪に対し、あえて気持ちの入ったストレート一本で勝負にきた。
「嬉しかったですね。村中君がそうきたので、自分もそれに応えてやろうと思って、何とか1本打つことができました」
 試合は、2回の8失点が響き、0対10で6回コールド負け。最後は無情にも、相手打者の打球が三輪の頭上を越えて、試合が終わった。
「終わった時は何とも言えなかったですね。頭が真っ白になったというか、野球ってこういうもんだなと思い知らされたというか。でも、今、その悔しさがあるから、こうやって練習を頑張れていますし、いつか有名になった時に、高校時代の負けがあったからこそ、今の自分があるって言えるようにしようって思いました」
 
01222★関西の強豪・京都産業大へ
 大学は安田監督からの勧めもあり、京都産業大に進学することを決めた。
 京都産業大は大学選手権4回、明治神宮大会1回の出場を誇る強豪大学。平野佳寿(オリックス)などプロ野球選手も多数輩出している。
「正直、東京六大学、東都大学への憧れもあったんですけど、4年後がどうあるべきかって考えた時に、やはり自分を必要としてくれているかっていうのが凄く大きいと思ったんです。京都産業大さんは、決して自分を過大評価することなく、なおかつポテンシャルがあると見込んでくれて。環境面も良くて、ここでプロを目指そうと思いました」
 今年の新入生には、三輪の他に、龍谷大平安、福知山成美、鳥羽といった名門校の主力選手も入学予定だという。その中での勝負となる。
「最初は負けていても、最後は勝てるようにやっていきたいです。今までの野球人生も最初はリトルで圧倒されましたし、中学も挫折を経験して、高校でも伸び悩んで…。最初は負けていても、雑草のつもりで最後は絶対に勝ちたいなと思っています」

★三輪泰征からのメッセージ 
 最後に現役球児へのメッセージを聞いた。
「自分は人との出会いで成長できました。リトル、中学、高校といい指導者に恵まれて。野球が苦痛と感じることがあるかもしれませんが、高校まで野球をやるっていうことは、野球が好きだと思います。誰か見ている人は必ずいますので頑張って下さい」
 三輪には大きな夢がある。4年後に上位指名でプロ入りすることだ。それが、これまでお世話になった方への恩返しだと、最後に言い切った。

安田龍一監督からの贈る言葉

飛ばす力、脚力、持っているポテンシャルは高いです。人間的にも真面目で、よく頑張る子です。あとは、いかに大学で勝負強さを身につけることができるかでしょう。「相手を押しのける」くらいの気持ちが出てくれば面白いですね。

■三輪泰征[みわ・やすゆき] 投手/静岡学園3年/180cm80kg/右投左打
6歳で野球を始める。「浜松南リトル」では7番打者として全国3位に輝く。曳馬中では3年春の県選抜大会でベスト4進出。高校入学後、1年秋からレギュラー。高校通算21本塁打の長打力と50m5秒9の俊足でプロも注目した。卒業後は京都産業大に進学する。

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 昨年の夏前、初めて三輪君を取材しました。その時、「中学の時から僕を取り上げてくれて、いつかお礼を言おうと思っていました」と嬉しそうに話してくれた姿が印象的でした。その後、夏の大会が負けた日、進路が決まった日、必ず、連絡がきました。今回の取材前には「最後にもう一度、僕の話を聞いてもらいたかったんです」と言われ、涙が出そうになりました。温かい心を持つ球児でした。関西の大学リーグは見に行く機会が少ないのですが、今年は一度足を運んでみようと思います。
 次回は聖隷クリストファー・河合毅弥編、お楽しみに!

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2016年1月20日 (水)

静岡を巣立つ球児たち2015~三輪泰征編・上

 4年目を迎えたオフ企画、「静岡を巣立つ球児たち」。「静岡高校野球」編集部が卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。今回はパワーヒッターとしてプロも注目した三輪泰征(静岡学園)。卒業後は京都産業大に進学する三輪のインタビューを2回にわたってお届けします。

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★全国では勝って当たり前のチーム
 三輪泰征は6歳の時、兄・一征 (現静岡産業大)と一緒に野球を始めた。浜松ホークスを経て、小学4年時に「硬式でプレーしてみたかった」と浜松南リトルに入団。最後の大会では全国3位という好成績を収めた。
 「リトルの時は、ほんとに周りが凄くて、ついていくだけで精いっぱいでした」という三輪。最終学年になった時は以下のような選手達で戦った。今、振り返ると錚々たるメンバーが集まっていた。この7選手のうち、その後3選手が甲子園の土を踏んでいる。
1番・菊池恒太(早稲田実)
2番・大内信之介(東大阪大柏原)
3番・和久田光輝(静岡商)
4番・鈴木太郎(静岡高)
5番・鈴木嘉基(静岡高)
6番・渡邉翔太(浜松商) 
7番・三輪泰征(静岡学園)
    ・
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「中学、高校で自分がチームのトップの立場になっても、アイツらがいると思ったので驕ることはなかったですね。みんな技術的にも凄かったですし、大事な場面で結果を出してきました。3番の和久田なんて、ホームランを打たない日はないくらい、ずっと打っていて。最後は全国3位でしたが、そこで終わるとは思わなかったくらいで。全国では勝って当たり前のチームでした」
 三輪はそんなタレント揃いの中で力をつけ、最後はレギュラーを掴んだ。
 コーチからは常に「小さくまとまるな。スケールの大きな打者になれ」と言われ続けたという。
「バットに当てにいく打撃をすると怒られていました。それが、後になっていきてきました」

★西尾監督の打撃指導で成長
 三輪は中学1年夏まで浜松南リトルでプレーし、秋からは軟式に舞台を変える。小学生時代に硬式を握った選手が中学では軟式へ。珍しいケースだが、そこには曳馬中・西尾隆広監督の存在があった。
01201 西尾監督は浜松商の3番打者として甲子園で活躍した実績を持ち、中学の教員となってからは独自の理論と戦術で赴任したチームを次々と強化していた。
 三輪はリトルで結果を残しただけに、軟式に戻ることに若干の抵抗を感じていたが、父・貞司氏の「西尾監督の下で育てたい」という思いもあり、曳馬中でプレーすることを決めた。
 「西尾先生の野球はすべてが緻密でした。例えば、牽制でも何種類もパターンがあって。牽制と走塁練習だけで1日の練習が終わることもありました」 
 三輪は入部早々の1年秋からレギュラーとして出場。西尾監督の「より多くの打席に立たせたい」という考えで、トップバッターを務めた。
「最初は硬式に慣れていたので、軟式を打つと、ボールが潰れてしまうっていう感覚があったんですが、西尾先生からじっくり、時間をかけて教えてもらいました」
 時には練習後、西尾監督の自宅まで行き、夜遅くまでマンツーマンで打撃レッスンを受けることもあった。
「かなり振りましたね。『常にヘッドを走らせろ』って言われて。速いスイングで、ワンハンドになってもいいから、前で振れと。けっこう言い回しが独特でインコースにきたら『はぶけ』とか。『はぶけ』ってどういうことなんだろうって思って。やっていくうちに、だんだん理解できるようになっていきました」
 3年春の県中学選抜大会ではベスト4進出。県内で注目される選手に成長した。

★「静学」で勝負する!
 中学3年の夏の大会が終わり、三輪は悩んでいた。打撃センスとパワーを兼ね備える逸材。当然、多くの強豪校からの誘いがあった。
「本当にどうしようか迷っていました」
 そこで、ある日、地元・浜松球場で行われた秋の県大会準決勝を見に行くことにした。
01202_2 カードは静岡高と静岡学園。静岡学園は1点差で敗れたが、その野球スタイルに惹かれた。
「静岡学園の赤塚(宣貴)監督と、西尾先生に重なるところを感じて。監督が選手を動かしているっていうところが似ていました。すごいキビキビしていて元気も良くて、泥臭いところもいいなって感じました」
 一気に静岡学園への進学に傾いた三輪に、赤塚監督も熱意をもって接してくれた。
「『ファーストのポジションを空けて待っている』と言われて。これはもう行くしかないと思いました」
 静岡学園で甲子園に行って、プロへ。そんな大きな夢を三輪は抱いた。
 ところが翌春、いざ入学すると、グランドに赤塚監督の姿はなかった――。

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「静岡を巣立つ球児たち2015~三輪泰征編・下」は近日中に更新します!

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2016年1月18日 (月)

知徳・村中に続くのは大型左腕!

 先日、「静岡を巣立つ球児たち2015~村中克晃編・下」の取材で知徳に伺った際、気になった左ピッチャーがいました。183センチの長身左腕、平林萌です。

01181_2 この日、平林は脇腹痛の関係で久々のブルペンでの投球ということでしたが、そんな影響を感じさせない、1月にしては十分の力強い球を放っていました。
 昨秋の東部大会でも平林の投球を見ているのですが、その時は武田勝(日本ハム)を彷彿とさせるテークバックで腕を大きく羽ばたかせるようなフォームが印象的でした。それが今は、腕をしっかりと畳み込み、リリース一点に力を集中させる新型に。初鹿勇氏の指導が実り、昨年11月後半の練習試合では、140キロ手前まで球速が伸び、制球も安定してきたとのことでした。
 初鹿氏も「このまま育ってくれれば、将来はプロを狙える」と手ごたえを感じている様子。楽しみです!
 知徳は『静岡高校野球2016早春号』の「静岡注目選手名鑑」で紹介した1年生左腕・森伊晃基も注目株。近年は柴崎哲治、村中克晃と右の好投手を揃えてきたチームですが、今年はこの左腕コンビで初の甲子園を見据えていました。(編集部・栗山)

<写真/期待の長身左腕・平林に対し、初鹿氏がフォームの細かい指導を行う>

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2016年1月16日 (土)

静岡を巣立つ球児たち2015~村中克晃編・下

 オフシーズン企画「静岡を巣立つ球児たち」。今年も「静岡高校野球」編集部が、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、村中克晃(知徳3年)編です。 「静岡を巣立つ球児たち2015~村中克晃編・上」はコチラ

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静岡を巣立つ球児たち2015~村中克晃編・下

★絶不調から復活へ
 村中の状態は一冬が過ぎ、春になっても上がってこなかった。むしろ下降線を辿っていた。
 ヒジの状態は回復してきたものの、思うようなボールを投げることができない。追い打ちをかけるように、ピッチャーとしてのイロハを教えてくれた初鹿勇氏(前監督)が年明けから体調を崩し、グランドから離れていた。
 春の県大会初戦ではオイスカと対戦した。先発した村中は3回までに3点を失い、降板。その後、チームは逆転したが、2年夏のような躍動感溢れるフォームは影を潜めていた。続く3回戦の相手はセンバツ帰りの静岡高。村中は0対6となった7回からマウンドに上がるも、8回に満塁のピンチを作り、堀内謙伍にタイムリーを浴びてコールド負けを喫した。
 さらに、ゴールデンウィーク中の相洋(神奈川)との練習試合では5回を投げて、なんと13失点。ついに村中はメンバーを外れ、Bチームに降格することになった。どん底の状態だった。
 だが、そんな中でも村中は決して腐ることはなかった。地道に練習に取り組む姿があった。迎えたBチームとしての最初の練習試合。日大三島相手に好投を見せる。
「何かを変えなきゃっていう思いを持って投げたらいい結果が出せました。周りで8人の仲間が守ってくれるんだと思って、視野を広く持つことを意識しました。後から振り返れば、この試合がターニングポイントだったと思います」
 ようやくきっかけを掴んだ村中は、ここから夏に向けてグングンと調子を上げていく。

011501_5★「ガッツポーズ」の始まり
 
夏の大会はエースとして戻ってきた村中。春とは見違えるような勢いのあるフォームと球のキレ。初戦から飛ばした。
 静岡学園相手に5回1安打無失点。続く3回戦は磐田東と対戦。序盤に3点を失うも、中盤からスプリットを多投し、気持ちを前面に押し出すスタイルに。味方打線が9回に2点を勝ち越すと、その裏、最後の打者から三振を奪い、右腕を激しく高く突き上げた。
 これが村中のガッツポーズの始まりだった。
「何かを考えながらやったというわけではなく、無意識に出てしまったものなんです」
 そして、4回戦は2年秋に打ち込まれた常葉菊川と対峙。「3年間の中でベストピッチングの部類に入る」という完璧な投球を披露する。ストレートは140キロ台に迫り、スプリットがキレた。
「相手はフルスイング打線。3点くらいは覚悟していました。なので先に1点を失っても、焦ることがありませんでした」
 打っても6回に同点タイムリーを放ち、7回には3者連続三振。そして9回にはストレートで押して逃げ切った。ガッツポーズと雄叫びは激しさを増していた。
「(常葉)菊川の時は磐田東の最後より、もっとダイナミックになっていたと思います。でも、ほんと、自然に出た感じなんです」
 優勝候補の一つ、常葉菊川を破り、甲子園がちらつき始めた準々決勝。相手は快進撃を続けている磐田南だった。

★再試合の末に
 連投となった村中は粘りの投球を展開する。3対3のまま、試合は延長へ。14回に自らの失策で得点を許すも、その裏、同点に追いつく。試合は延長15回引き分け再試合となった。
「(常葉)菊川戦の疲れもあったんですけど、その疲れを踏まえて最小失点に抑えることが目標でした」
01152_5 翌日の再試合、村中はベンチからのスタートとなった。それでも、すぐに出番はやってきた。磐田南に2点の先制を許し、3回からマウンドに立つ。「自分が流れを作るんだ」と、球速は130キロ止まりだったが、前日の疲れを感じさせない気迫の投球。3回から9回を2安打無失点に抑えた。そして1点差に迫った9回裏、2死一塁の場面で村中に打席が回ってきた。しかし、打球はセカンドゴロ。村中の夏は終わった。
 終わってみれば、再試合でもほぼ完ぺきに抑えた。自分が先発したかったという思いはあったのだろうか。
「正直、再試合が終わって、次の日も行こうと思っていました。自分がもっと強い思いを監督さんに伝えていれば良かったのかなと…。ただ、監督さんは自分の将来のことを考えて決断してくれたんだと思います」
 村中は、柴崎哲治を始め、知徳の先輩が多く活躍する道都大への進学を決めた。近年、全国大会の常連となりつつあるチームだ。
「野球ができる環境としては最高の場所だと思います。専用グランドもあって。自分が気持ちよく野球ができるという印象があります」 
 11月には道都大も出場した明治神宮大会を観戦。大学野球のレベルの高さを感じ、「不安の方が大きい」と口にしつつも、狙うは4年後のプロだ。
「高校でピッチャーとして成長させてもらって、初鹿監督のおかげで道都大にも行かせてもらって。コツコツと毎日の練習を頑張って、チャンスをものにして、恩返しができれば。プロというものも狙っていければいいと思います」

01153_2★村中克晃からのメッセージ
 最後に現役球児へのメッセージを聞いた。
「自分を追い込むための練習をしておいた方がいいです。土壇場で接戦になっても負けない気持ちを作るためにも、日ごろから、自分がきついと思う練習でメンタルを強くして欲しいと思います」
 村中の3年夏の活躍は、まさしく厳しい練習で自分を追い込んできた成果だった。4回戦から3日間で合計434球を投じ、しかも延長15回を一人で投げ切った。この精神力の強さは並大抵のものではない。
 舞台は高校野球から大学野球へ。次は東京ドームや神宮球場で、村中のガッツポーズが見たい。

 

初鹿文彦監督からの贈る言葉
苦しんだ時期もありましたが、常日頃の姿を見ていれば、間違いなく、最後に花が開くと思っていました。真面目で一生懸命に練習に取り組む。まさに高校球児の鑑です。この誠実さを忘れないで、大学でも頑張ってほしいと思います。

■村中克晃[むらなか・かつあき] 投手/知徳3年/178cm73kg/右投右打
7歳で野球を始める。「海老名シニア」では捕手。高校入学後、投手に転向し、2年春からエース。3年夏は磐田東、常葉菊川などの強豪を下してベスト8進出。準々決勝では再試合の末に敗れるも、2日間にわたる熱投で静岡の夏を沸かせた。卒業後は道都大に進学する。

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 村中は現在、大学に進んでからの生活費を稼ぐために「引っ越し」のアルバイトを行っているそうです。学校の授業や練習があるので、毎日というわけにはいきませんが、土日を中心にシフトを入れているとか。「テレビとか家具とか重たいものもありますが、これもいいトレーニングなのかなと思って」。くれぐれもケガだけは気をつけて頑張って下さい。
 次回は静岡学園・三輪泰征編、お楽しみに!

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2016年1月14日 (木)

静岡を巣立つ球児たち2015~村中克晃編・上

 年が明け、いよいよ高校3年生が巣立つ季節となりました。そこで今年も、「静岡高校野球」編集部が、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。第1回は、前々からこの選手に行こうと決めていました。昨夏、「熱きエース」として一躍県内の注目を集めた知徳・村中克晃です。卒業後は道都大に進学する村中のインタビューを2回にわたってお届けします。

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静岡を巣立つ球児たち2015~村中克晃編・上

★小学・中学時代はキャッチャー
 村中が野球を始めたのは7歳の時。「何かしらのスポーツをやらせた方が将来につながる」という母・浜路さんの考えで「海老名サンダース」に入団した。
 低学年の頃はいろいろなポジションを経験し、5年時に定着したのがキャッチャーだった。柏ヶ谷中では「海老名シニア」に所属。そこでも主にキャッチャーを務めた。
 当時の「海老名シニア」は、2年秋にクラストカップ優勝。3年夏にはジャイアンツカップでベスト4進出。神奈川シニア界の中でも指折りの強豪チームだった。メンバーには、のちに東海大相模の三塁コーチャーとして全国優勝メンバーとなった石川和樹もいた。
 しかし、村中はキャッチャーの控え。公式戦には1試合も出場することがなかった。村中はキャッチャーの難しさを痛感したという。
「頭を使わないといけないポジションであり、視野も広くなければならない。正直、自分にはあまり向いてなかったのかなと思います」

01141★名将・初鹿勇氏との出会い
 
高校はシニア時代の監督の勧めで知徳へ。そこで、すぐに転機が訪れる。八木智哉(現中日)、久保亮輔(現Honda鈴鹿)、三木昴(現日本新薬)といった投手を育てた名将・初鹿勇氏(前監督)の目に留まった。初鹿氏は全く投手経験のなかった村中をいきなりブルペンで投げさせた。村中が当時を振り返る。
「不安と緊張でいっぱいでしたね。多少、コントロールは自信がありましたけど、球は遅いし。全然、いいボールを投げられなかったです」
 それでも、村中に投手としての可能性を感じていた初鹿氏は、来る日も来る日もブルペンで指導。秋からは宝刀・スプリットの握り、投げ方を徹底的を伝授した。
「ブルペンではスプリットを全体の半分くらい投げていました。落とすっていうことだけをイメージして。でも、最初は全然…」
 初鹿氏からだけでなく、同じくスプリットを武器に、夏の大会で県ベスト8進出を果たした2学年上の柴崎哲治(現道都大)からもアドバイスをもらった。
 ようやく少し落ち始めたのは、1週間が経過した頃だった。
「落ちた時は嬉しかったです。続けていけば、落ちるだろうと思ったら、本当に落ちてくれました」
 その後、村中は3種類のスプリットをマスターする。一般的なスプリット、シンカー気味に変化するスプリット、空振りを奪うためのスプリット。状況に応じて使い分けた。
 スプリットという武器を手に、練習試合でマウンドに上がる回数が増えると、本人の中で「投手として勝負できる」という自信が徐々に芽生えていった。
 そして一冬を越えた2年春、球速も130キロ台をマークするようになり、エースへと成長を遂げる。本格的にピッチャーとなって、まだ1年。キャッチャーからピッチャーに転向させた初鹿氏の目に狂いはなかった。

01142★2年夏、秋の敗戦
 
迎えた2年夏、初戦の相手は掛川東だった。小雨が降る中、初回のピンチは無失点で切り抜けたものの、3回に自らのパスボールなどで逆転を許す。その後、味方打線が同点に追いついたが、6回に勝ち越しタイムリーを浴びる。結局、その1点が響き、2対4で敗戦。試合後、村中は悔しさで泣き崩れ、顔を上げることができなかった。
「先輩達に申し訳ないっていう後悔がたくさんある試合でした。グランド状況と天候に左右されすぎて。いつも通りの投球ができませんでした」
 大会後、村中は初鹿氏の指導でフォームの修正とともに、縦のスライダーという新たな変化球の習得にとりかかった。
「もう一つ、縦変化のボールがあれば、もっと角度をつけることができるということで覚えました」
 秋、知徳は順調に県大会に駒を進めた。ところが、今度は初戦で常葉菊川相手に9四死球を与えてしまう。チームは強打の常葉菊川打線よりも多い11安打を放ったが、村中の不調が響き、4対7で敗れた。
「ほぼ自滅という感じでした。全然、安定感がなかったです」
 その後、練習試合を重ねていくうちに、ヒジに痛みが走るようになってきた。村中の苦悩は続く。

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「静岡を巣立つ球児たち2015~村中克晃編・下」は近日中に更新します!

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2016年1月12日 (火)

岩本喜照(九州共立大)の過去の掲載記事

Dsc_0001 明日(13日)発売の『静岡高校野球2016早春号』でも、県外で活躍する静岡関連選手として登場してもらっている岩本喜照(常葉菊川→九州共立大)。静岡高校野球編集部では創刊号の『静岡高校野球2012』から岩本喜照のインタビューを掲載し、昨夏の『静岡高校野球2015』でも大学で一回り大きくなった岩本を直撃。編集部としては、正直、岩本の名前が全国にまだまだ知られていないことに不満があるぐらいの投手です。

 ということで、岩本をまだ知らない方にはもちろん、すでに知っている方にも是非見てほしい過去の記事をアップします!

『静岡高校野球2012』 P36 あの日、上がれなかったマウンドへ。

『静岡高校野球2015夏直前号』 P56 この人に会いたい~岩本喜照

 岩本が静岡の高校野球界に鮮烈なデビューを飾った高1夏は2010年。当時、『静岡高校野球』という本はまだ誕生前でしたので、編集部ではこのブログや他メディアにて岩本を紹介していました。

 その中でも、『携帯版野球小僧』という携帯野球情報サイトで編集部Hが高1の岩本を取り上げた記事を今回、ご紹介したいと思います。2010年8月にアップされた記事です。
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▼今夏の静岡大会では、1年生の活躍が目立ちました。甲子園に出場する常葉学園橘の城戸健太朗、ベスト8まで進んだ聖隷クリストファーの鈴木寛也&亀山裕輝、そして常葉学園菊川の岩本喜照。岩本は準々決勝の静岡市商戦で先発を任され見事完封。決勝戦でも、負けはしたものの、終盤に登場し、好投を見せました。
▼岩本は身長181センチという長身で、体はまだ細身ですが、1年生とは思えない落ち着いた投手です。制球がまとまっていて、大崩れはしないだろうというタイプ。130キロ前半のストレートに、カーブ、スライダーで緩急を生かします。130キロ前半とはいっても、伸びがあり、速く見えますし、体ができてくれば、スピードガンの数字もこれからどんどん上がってくるでしょう。
▼とは言いつつ、岩本の投球を見たのはテレビでのこと。実際にこの目で見てみたいと、今月4日に常葉学園菊川の練習試合を見に行くと、ちょうど岩本が先発でした。この日は愛知の強豪・東邦を相手に1失点完投。初回に1点を先制されたものの、2回以降は三塁も踏ませない、危なげない投球でした。
▼カーブは外れるボールも目立ちましたが、低めに決まるストレートに、たまに糸を引くようなすごい球が混じっていました。あのボールはちょっと手が出ませんね。完成度の高い投手かと思っていましたが、素材でも十分輝ける逸材なだけで、まだまだ発展途上です。ちなみにこの岩本、下の名前は喜照と書いて「きしょう」と読みます。覚えておいて損はない投手です。
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 まだ全国大会に縁がない岩本。今年こそ、名前を売ってくれることでしょう!
 
 

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2016年1月11日 (月)

準硬式で覚醒した男、杉浦浩介(掛川西出身)・下

 前回に引き続き、日本大準硬式で活躍する掛川西出身・杉浦の記事です。上はこちらからご覧ください。http://tsukasa-baseball.cocolog-shizuoka.com/blog/2016/01/post-4a8e.html

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★1年秋に8勝をマーク!
 杉浦は準硬式のボールを握ると、水を得た魚のように投げまくった。
 「ちょっと硬式よりも軽いかもしれないんですけど、自分には硬式よりも、準硬のボールの方がフィットしました」
 準硬式のボールは、中身は硬式球とほぼ変わらないが、軟式球と同じように天然ゴムで覆われている。もともと、中学時代は軟式球で活躍した杉浦。大学入学後、準硬の球を握ると、あの頃の感覚が戻ってきたという。
 1年春からマウンドに上がった。リリーフで2勝を挙げると、秋に大ブレイク。1年生ながら主に1戦目に先発し、8勝3敗という好成績を収めた。高校時代は満足に投げることができなかった杉浦の覚醒。その要因を本人はこう説明する。
「自分のことを知っている大学が少なくて、急に出てきたから、研究されていなかったんだと思います。あと自分が10点取られても20点取ってくれるチームだったので、打撃に助けられた面もありました」
 それにしても、8勝は凄い。甲子園経験者もいるし、かつてはドラフトで指名されてプロ入りした選手もいる準硬式の世界。その中でチームの9勝のうち、8勝をマークする大活躍だった。

01111★全国大会で優勝
 準硬式の環境は決して恵まれているとは言えない。日本大の場合、専用球場を持っていない。しかも、全員が集まることができるのは朝のみ。調布市のグランドを借りて早朝6時から9時まで全体練習を行う。夕方は各自で軽いキャッチボールやトレーニングで体を動かす程度。朝の練習も、グランドを借りることができない時はキャンパス内の空いている場所で行う。ただ、杉浦の場合、このやり過ぎない感がいい方向に出ているとも言える。
「大学に入って、自分でストップをかけるところはストップをかけるとか、考えながらできるようになったことが大きいです。ほぼケガが無くなりましたし…」
 故障が減った上に、フォークを習得したことで投球の幅が大きく広がった。さらに杉浦の大きな武器は牽制とフィールディングだ。
「そこは自信があります。掛西の時に佐藤先生から、そのあたりのことをみっちりと教わって、それが今生きています。フィールディングとか牽制でピンチをしのいで救われていることが多いです」
 2年夏の全日本大学準硬式野球選手権大会でも存在感を見せる。2回戦と準決勝は先発としてチームの勝利に貢献。そして決勝戦は6対4のリードで迎えた7回、ピンチの場面でマウンドに上がる。2点を失い、同点とされるも、その後は粘りの投球を見せた。すると、延長11回、味方打線が3点を勝ち越し。その裏は杉浦がきっちりと締めた。
「優勝の瞬間ですか? もう、すっごい嬉しかったです。やばかったです」
 日本大の全国優勝は12年ぶり。しかも昨年、敗れた中央大へのリベンジを果たした。杉浦はマウンド上で最高の瞬間を味わった。
 その後、昨年は11月に全関東選抜に選ばれ、9ブロック大会の準決勝でノーヒットノーランを達成。そして、12月には中国遠征を経験し、中国のプロチームに相手に快投を演じた。

01112_2★杉浦vs鶴田に注目!                                            
 リーグ屈指の右腕へと成長を遂げた杉浦。今年は「全国2連覇」に照準を合わせる。その一方で対戦が楽しみな投手がいる。最速149キロを誇る本格派左腕・帝京大の鶴田圭祐。プロのスカウトも注目する逸材だ。昨秋の対戦では杉浦が投げ勝っているものの、「普通に投げられたら準硬のレベルでは打てない」と舌を巻く。
「ストレートは速くて。たまたまウチとやった時とスライダーでストライクを取れていなかったんですが、あれが決まりだしたら、手がつけられません。今年も対戦が楽しみです」
 準硬式という舞台で、次から次へと驚きのニュースを届けてくれる杉浦。今年はどんな活躍でビックリさせてくれるのだろうか。

◆杉浦浩介(すぎうら・こうすけ)
1995年6月27日、静岡県浜松市出身。小学1年時に野球を始め、「春野ジュニアアトラス」でプレーする。春野中ではエースとして西部大会出場。掛川西入学後、2年秋からベンチ入り。3年春はエースナンバーを背負う。その後、日本大に進学し準硬式でプレー。1年秋には8勝を挙げ、最多勝を獲得。2年夏には全日本大学準硬式野球選手権大会で優勝に貢献する。冬には関東選抜に選出され、海外遠征を経験した。180cm69Kg、右投右打。
 
<写真上/力強いフォームから最速139キロのストレートを投げ込む杉浦浩介>
<写真下/昨年、関東選抜で一緒にプレーした掛川西出身の大井健都(左)と杉浦(右)>

※写真提供/日本大準硬式野球部

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 1月13日発売の『静岡高校野球2016早春号』では、今回、取材に協力していただいた立教大の大井健都を取り上げています。そちらも、一緒に読んでもらえると嬉しいです!(編集部・栗山)

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2016年1月 8日 (金)

準硬式で覚醒した男、杉浦浩介(掛川西出身)・上

 昨年末、軟式で151キロを投げる畠山高弥(静岡ガス)を取り上げましたが、準硬式にも注目のピッチャーがいます!
 掛川西出身の杉浦浩介(日本大2年)です。杉浦が所属するのは東都リーグ。準硬式の世界でも全国屈指と呼ばれるリーグです。その中で1年春からリーグ戦に登板し、秋には8勝で最多勝をマーク。さらに2年夏に全国大会で優勝に貢献すると、昨年11月には全関東選抜に選出され、全国9ブロック大会の準決勝でノーヒットノーランを達成しました。(ノーヒットノーランの記事はこちら→http://junkoh.jp/archives/3059
 先日、そんな杉浦が同じく準硬式で活躍する大井健都(立教大)と母校・掛川西で練習を行うということで話を伺ってきました。

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★故障に泣いた高校3年間
 春野中ではエースとしてチームを初の西部大会出場に導いた杉浦。中学3年の夏以降は「浜松ケイスポーツBC」が主催するトレセンでプレーした。素材の良さが目につき、様々な高校が誘いを受けたが、最終的に選んだのは名門・掛川西だった。
「先のことを考えて、勉強と野球、両方頑張れる学校ということで掛西を選びました」 
01081_2  しかし、1年冬に腰椎分離症を患い、約半年間投げることができず。その後も故障の連続。ヒジ、肩甲骨の痛み…。2年冬までは満足に練習ができる状態ではなかった。
 それでも、佐藤光監督(現浜松西監督)からの期待は高く、ようやく3年春に表舞台に立つ。
 当時の掛川西と言えば、安定感のある杉森亮太(現龍谷大準硬式)、大型左腕の辻村亮介(現静岡大)、速球派の中野佑太朗(中京大)とタレントを揃えていたが、この春、杉浦は130キロ台中盤のストレートを武器に初めてエースナンバーを背負った。そして、西部地区大会2回戦(対菊川南陵)で杉浦は先発を任される。しかし、4回に得点を失い、降板。チームも6対7で敗れた。
 その後も故障とプレッシャーに苦しみ、背番号18で夏の大会を迎えた。チームは初戦で日大三島、2回戦で下田を下すも、3回戦で東海大翔洋に敗退。杉浦は一度も登板することがなかった。
「東海大翔洋戦は自分がブルペンで肩を作っていたら、いつの間にか、コールドになっていました。学校に戻って、佐藤先生やみんなの言葉を聞いて、『投げたかった』という感情が徐々に沸いてきました」

★「準硬式」で勝負する!
  右の本格派としてチームや周囲から常に期待を受けながらも不本意な結果に終わった高校3年間。そんな杉浦が大学進学にあたり、選んだ道は「準硬式」だった。
「現役の頃は佐藤先生と話して、『大学で硬式をやりたいです』って言っていたんですけど、故障も多かったですし、実績もないですし。結局、3年夏が終わったあと、自分の気持ちが硬式には向かいませんでした。でも、高校時代の悔しさを残したままでは野球人生が終われないと…」
 もともと準硬式の存在は知っていた。毎年、年末になると、準硬式に進んだ先輩達がグランドに訪れ、準硬式のボールを使ってキャッチボールを行っていた。硬式でプレーする自信が持てなかった杉浦は、「やるなら準硬式」と決意し、指定校推薦で日本大への進学を決める。
 この一つの選択が大学でのブレイクにつながった――。

<写真/掛川西時代は期待されながらも故障に苦しんだ杉浦浩介(日本大)>

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「準硬式で覚醒した男、杉浦浩介(掛川西出身)下」は近日中にアップします。(編集部・栗山)

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2016年1月 3日 (日)

「静岡高校野球2016早春号」目次紹介

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 1月13日発売予定の『静岡高校野球早春号』、何とか年末に校了しました。そこで今日は目次を紹介します。
 今回は「俺たち2012年世代」と題して、静岡県出身の現大学3年生を徹底的に特集しています。全国的には「大谷世代」と呼ばれている学年ですが、この代の県内出身選手も人材が豊富でそれぞれの舞台で活躍を見せています。編集部では昨年秋から冬にかけて、全国各地に飛び回り、直接選手たちに会ってきました!
 また、巻頭の「2016年静岡注目選手名鑑」では、今年見逃せない中学生、高校生、大学・社会人、全62名を紹介しています。全32ページ、価格は税込み500円です。

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静岡高校野球2016早春号
CONTENTS

2016年静岡注目選手名鑑
 

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PICK UP PLAYER'S INTERVIEW
鈴木将平(静岡高)勝負の春へ。

CLOSE UP TEAM 2016 WINTER
富士宮西 1987年春以来の甲子園出場へ
「宮西スタイルを貫け」

浜松学院 甲子園準優勝投手・吉田道監督の野球道
「泥臭く1点を奪い、必死に守るだけ」

静岡高校野球ノンフィクション
全国制覇のために心血を注ぐ
本田仁哉(新潟・中越監督)
「静岡野球こそ、私の原点」

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注目の大学3年生を追え!
特集 俺たち2012年世代 

[九州で成長を続ける本格派右腕]
岩本喜照(常葉菊川→九州共立大)
「あと、2イニングの壁。」

[世代最強スラッガーの誓い]
中澤彰太(静岡高→早稲田大)
「打率4割を目指して、首位打者を獲る」

[市立沼津で競い合った2人]
小林弘郁(愛知東邦大)&今村 亮(東海大海洋学部)
「いつかプロで投げ合おう」

注目2012年世代インタビュー
宮崎 悟(日本大)/夏目 旭(至学館大)/金田周也(岐阜聖徳学園大)/武安雄暉(東海大九州キャンパス) /大井健都(立教大準硬式)/日吉達也(明治大マネージャー)

県外からやってきた2012年世代
直井大将(静岡産業大)
豪快な腕の振りから最速142キロを投げ込む怪腕 30

もう一人の2012年世代
竹安大知が号泣した日

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『静岡高校野球』編集部のこの人に会いたい
堀尾恵美子部長(掛川東)

静岡野球ニュース

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電話 054-275-3335/FAX 054-275-1301
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※amazonでは1月16日の発売を予定しています。
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2016年1月 2日 (土)

<新春対談>市立沼津出身 小林×今村・下

 昨日アップした、市立沼津出身の小林弘郁(愛知東邦大)、今村亮(東海大海洋学部)の対談の続きです。今回は、ツイッター上で拡散し、話題となった今村の独特のフォームについて、さらに2人の今季にかける思いを伺いました。

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★プロも真似する今村のフォーム

01021_2――そういえば去年、東海選抜と中日2軍の試合の時、中日の選手達が今村君のフォームを真似していたんですよね。
今村 カメラで撮られていたっていうのは分かっていたんですけど。
小林 えっ、撮られていたの?
今村 ブルペンでセットに入った時に、絶対、スマホがこっちに向いているよなと思って。スマホしか目に入らなかった(苦笑)。
小林 逆にインパクトを与えられて良かったんじゃないの?
――その時の様子が、ツイッター上で話題になりましたよね。竹安大知君(熊本ゴールデンラークス→阪神)も、その話を知っていました。
小林 だいぶ広がっていますよね(笑)。
――次の巨人戦の時も、スタンドで今村君のフォームを真似している人が続出して。
今村 そうなんですよ。なんか、初回、投げ終わってベンチに戻る時に「岡島だ!」って言われて。
小林 いいアピールになって羨ましいよ。そもそも、亮は何であのフォームに辿りついたの?
今村 わかんない。たぶん、あれが一番、投げやすかった。
小林 最初はふざけていたとか?
今村 違う。気づいたら。一つ言っていい? 俺、投げる時、あのフォームで投げている感覚ないから。むしろ、平行に投げているつもり。後から映像で見ると、こんなに下がっていたのっていう感じ。
小林 傾斜と逆いっているから、分かると思うんだけどな。
今村 分かんない。俺、体幹が強いのかも。
小林 本当に無意識なの?
今村 気づいたら、なっていたんだって(笑)。

★秋に直接対決しよう!

01022――さて、今年は大学最終学年となります。2人の意気込みを聞かせて下さい。まず、小林君は1部昇格ですよね。
小林 もちろんです。この春に1部に行けなかったら、もう1部で投げることはないので。
今村 入学した時は3部からだったんだよね。
小林 そう。3部スタートですぐに2部に上がったんですけど、そこから長いですね。2部で2位、2位、2位できて、もう少しなんですけど。今年は1部から落ちてきた愛知学院大、夏目旭君(浜北西出身)がいる至学館もいるので、おそらく10勝0敗とか、9勝1敗くらいが求められると思うんです。
――全勝するつもりでいかないと。
小林 そのくらいの覚悟でいかないと厳しいです。去年までは、アルバイトもやっていましたが、監督やコーチから「バイトやっている場合じゃないだろ」と言われて、去年いっぱいで辞めて、今年にかけています。
――どんなアルバイトをしていたんですか?
小林 ナゴヤドームの近くのラーメン屋さんでバイトしていて、試合が終わってから食べに来るお客さんも多いんです。去年、一度、鈴木翔太(聖隷クリストファー出身)の話をしているお客さんがいて。その時は思わず、「自分高校の時に鈴木翔太と試合しているんですよ」って自慢気に話してしまいました(笑)。
今村 春に聖隷とやった試合、懐かしいね。
――今村君はまず、春はリーグ優勝?
今村 はい。で、東海で勝って、全国に。全国に出ないことには…。
小林 でも、門は狭いけど、静岡リーグと東海大会で頑張ったら、全国行けるからいいよな。自分の場合は、この春は頑張っても1部しかないから。
――今年は2人の対決も見たいですよね。
小林 自分が春に1部に上がって、秋に1部で2位以内に入れば、「東海・北陸・愛知三連盟王座決定戦」で、対戦できるかもしれないです。
今村 春に1部に上がれなかったら。
小林 もうないよ。
今村 頑張れよ。
小林 お前もな!

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 今回の対談で話題となった昨年8月の巨人戦のレポートと、今村のフォームはこちらをご覧ください。
http://tsukasa-baseball.cocolog-shizuoka.com/blog/2015/08/post-23e6.html

 小林、今村ともにプロ志望ということ。まずは、この春、結果を残してアピールしてもらいたいと思います。

<写真上/最速148キロを誇る今村亮(東海大海洋学部)>
<写真下/左腕から重いストレートを投げ込む小林弘郁(愛知東邦大)>

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2016年1月 1日 (金)

<新春対談>市立沼津出身 小林×今村・上

 明けまして、おめでとうございます。
 本年も、『静岡高校野球』並びに『静岡野球スカウティングレポート』をよろしくお願いします。

 さて、今年は新春企画として、市立沼津出身の小林弘郁(愛知東邦大)、今村亮(東海大海洋学部)の対談をお届けします。
 小林は高校時代、エース左腕として3年夏に県ベスト8進出に貢献。愛知東邦大では1年春からリーグ戦に登板し、昨春は2部リーグで春夏合わせて7勝をマークしました。
 一方の今村は高校時代は主にセンターを守り、大学入学後、ピッチャーとして急成長。独特なフォームから最速148キロをマークし、一躍今秋のドラフト候補に挙がる剛腕です。
 そんな、プロが注目する2人は大の仲良し。今回は、母校・市立沼津のグランドで対談してもらいました!

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01011★高校時代から仲良し!

――会うのはいつ以来ですか?  
小林 去年の夏以来ですかね。自分がこっちに帰って来た時に一緒に遊んで、それ以来ですね。あれっ、6月か。やっ、違う、海に行っているから、やっぱり夏か。
今村 うん。白浜に行ったよね。
――えっ、2人で海に行ったの?
小林 2人で行きました(苦笑)。
――仲いいんですね。2人が最初に出会ったのはいつですか?
小林 高校入試のテストを受けた教室が一緒だったんですよ。で、お互い、坊主頭だったんで、「野球部?」みたいな話になって。
今村 まあ、自然と仲が良くなり。
小林 それからずっとです。ことあるごとに一緒ですから。
――高校3年夏が終わってからも一緒に練習していたと聞きましたが。
小林 いつも週末になると、どちらかの家に泊まって。あれは、お泊り会だったよな。
今村 うん。必ず、お互いの家に週末になるといるっていう。俺が家に帰ると、小林がウチの家族と飯を食っていたこともあって…。
小林 そうそう、一緒に食べていた。
今村 そこに、自分が帰ってくるっていう。
小林 「あ~、お帰り~」みたいな感じで。
今村 あれっ、俺、家を間違えたかなって…。むしろ、「お邪魔します」でした(笑)。
――でも、その期間の経験が大学で飛躍するきっかけになったと思うのですが。
今村 そうですね。小林と楽しく野球ができたっていうのはありますよね。いい機会でした。

★大学に入ってからのお互いの印象

――ところで、大学に入ってからのお互いの成長をどう見ていますか? 昨年の夏の東海大海洋学部と愛知東邦大のオープン戦では、今村君が2イニング投げたんですよね。
小林 自分は、前の日に投げていた関係で、その日は投げなかったので、亮をじっくり見ていました。制球力がついて、球の質が変わったなという感じです。スピードであったり、キレであったり、全体的にレベルアップしていますよね。
――あのフォームはビックリしませんでしたか?
小林 ある程度は写真とかを見て分かっていたので。もともと、けっこう暴れるフォームだったので、想定の範囲内って言えば、範囲内ですね。でも、よくあれでストライクが入るなっていう感じです。
――逆に今村君が小林君の投球を見たのはいつですか?
今村 一昨年だから、2年生の時ですね。最後の1イニングしか投げていなかったので…。
小林
 あんまり高校の時と変わってなかったんじゃない?
今村 うん。遠征帰りで疲れていたからな。確か、東北遠征の帰りで。
小林 最終日だったんで。
――小林君がこの大学3年間で成長した部分っていうのはどのあたりになりますか?
小林 試合を見られるようになったことですかね。自分が投げている時に、今まではどうしてもバッターバッターっていうふうになってしまい、1打席1打席で考えてしまっていたんですけど、1巡目ごとのリードの考え方とか、今の得失点差とか、そういうのを考えてピッチングができるようになりました。
――高校の時から周りが見えている印象がありましたが。
今村 そうですよね。よく考えているなって。高校の時は、センターフライが飛んでこなかったもん。
小林 いや~、センターフライ、けっこう多かったと思うんだけど。
今村 暇で、レフトと雑談していたよ(笑)
小林 それはありましたね。それがピッチャーまで聞こえるんですよ。コイツら、やじるんですよ。
今村 敵はやじったら、申し訳ないじゃないですか。一番やじって大丈夫そうなのは小林だったんで。
一同 爆笑。
小林 話を戻しますと、高校の頃はキャッチャーの大村(祐麻/現愛知東邦大)に任せてしまっているところもあったので。今は自分で考えて、力を入れるところ、入れないところを、さらに突き詰めています。
――今村君は球速が最速148キロに。かなりアップしましたね? 
今村 球速は自然についてきたので。大学に入って、練習の質が変わりました。2つ上に、愛工大名電出身の竹内(庸泰)さんっていうキャッチャーがいて。その人に受けてもらって、その人のおかげで先発できるまでになりましたね。
小林 でも、あの球は凄いよな~。

<写真/小林弘郁(左)と今村亮(右)>

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 次回は、今季にかける2人の意気込みなどを紹介したいと思います。
 また、1月13日発売の『静岡高校野球早春号』でも小林と今村を取り上げています。今回の対談と一緒に、雑誌の記事も読んでいただけると嬉しいです!

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