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2016年2月 2日 (火)

静岡を巣立つ球児たち2015~中川怜士編・上

 4年目を迎えたオフ企画、「静岡を巣立つ球児たち」。「静岡高校野球」編集部が卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。今回は大型捕手として将来性抜群の中川怜士(静岡市立)。卒業後は白鴎大に進学する中川のインタビューを2回にわたってお届けします。

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★中学は選抜大会で県準V
 中川怜士は小学生時代、6歳離れた兄の影響でソフトボールをプレーした。地元の「井宮ドジャーズ」に入団し、ピッチャーとして6年時にはSBSマイホーム杯で県優勝を果たす。
 籠上中では野球部に入部。サード、ショート、キャッチャーと様々なポジションをこなした。3年春の県選抜大会では酒井一樹(静岡商)、堤光太朗(静岡高)らとともに県準優勝。中川はキャプテンを務め、好守でチームを牽引した。
 籠上中の山城史人監督からは、細かな野球を教わったと振り返る。
「個々の能力は高くないけれど、山城先生から守備とか走塁を中心に基礎から応用まで教わって。チームとしてまとまっていたと思います」
 そんな活躍が認められ、中川の下には複数の市内の高校から誘いがあった。最終的には「自分のスタイルと合っている」という理由で静岡市立に決めた。
「市高の試合を見に行った時に、選手同士で話し合っていて雰囲気が良かったし、伸び伸びやっている感じがして。ここでプレーしてみたいなと思いました」

01301★キャッチャーへのコンバート
 
 高校はキャッチャーではなく、内野手一本で行こうと決めていた。もともとキャッチャーというポジションがあまり好きではなく、内野を守っている方が楽しかった。
 1年夏はベンチ入りできなかったものの、秋からショートのレギュラーとして公式戦に出場する。身長180センチを超える大型ショートとして見栄えが良かった。
  ところが、一冬を越して春を迎えると、今まで捕れていたボールが急に追いつかなくなったり、弾いてしまったりすることが増えた。
「もう自分の中でわけが分からなくなって。このままではヤバいなって…」
 あれから2年が経過する今でも、不調に陥った原因が分からないという。
 2年春は中部大会初戦で焼津水産に敗退。そこで、監督、コーチから、「ショートではなく、キャッチャーとして勝負しないか」と打診を受ける。
「ほんと、ショートで自信を無くしかけていたところでキャッチャーを勧められて、嫌とか何とか言ってられない。もうやるしかないと決めました」
 あらためて中川のキャッチャーとしての野球人生が始まった。

01302★掛川西・坂元のリードを学ぶ
 中学時代にキャッチャーの経験があるとはいえ、最初は苦労の連続だった。
「送球は何とかなかったのですが、配球面が大変でした。中学の時は、ベンチの監督からサインを出してもらっていたので考えることがありませんでした。でも、高校は自分で全部出すので。そこが大変でした」
 2年夏、静岡市立は2年生の本格派左腕・小澤大義の好投に加え、打撃にも勢いがあり、3試合連続でコールド勝ちを飾った。
 4回戦の相手は掛川西だった。小澤が3失点に抑えたが、打線が相手エース・森脇一樹(現法政大)を攻略できず。完封負けに終わる。
 中川は「キャッチャーの差が出た」と痛感した。相手は坂元勇海(現立命館大)。その後、決勝戦をテレビで観戦し、よりその思いが強くなった。坂元の動きに目が釘付けになったという。
「坂元さんは釣り球をうまく使って、外したり…。そんなの今まで考えたこともなかったし、勉強になりました」
 夏を経験し、キャッチャーとして一回り成長した。

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 「静岡を巣立つ球児たち2015~中川怜士編・下」は近日中に更新します!

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