ロッテ・柿沼友哉、育成から支配下へ・上
今季、育成から支配下昇格を果たしたロッテ・柿沼友哉。誠恵、日大国際関係学部と7年間を過ごした「第二の故郷・静岡」で来季に向けてスタートを切りました。
7月にフレッシュオールスターに出場すると、同月の29日に支配下登録。さらに10月末から開催された第1回WBSCワールドカップでは侍ジャパンU-23代表の正捕手として、世界一に貢献しました。果たしてこの1年、どんな成長があったのでしょうか。柿沼のインタビューを2回に渡って掲載します。
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★勉強になったプロのブルペン
まず、激動の1年をこう振り返る。
「いろいろな経験をさせてもらいました。ただ、自分の中では、支配化イコール一軍だと考えていたので、そこは満足していません」
柿沼はあくまで、「最低限のことしかできていない」と強調した。
誠恵時代、3年夏は3回戦止まり。日大国際関係部では2年春に右ヒジを痛め、トミー・ジョン手術を行った。レギュラーとなったのは4年生になってから。全国的には全く無名の存在だったが、ロッテ・小野晋吾スカウト(現ロッテ二軍投手コーチ)から「スローイングの良さ」を買われて育成枠2位で指名を受ける。
春のキャンプでは積極的にブルペンに向かい、まずプロのボールを受けたという。
「大学の時のブルペンとは違って、プロのブルペンは緊張感が違います。1球1球、しっかり音を立て、丁寧に捕らなければいけない。それが自分には何よりの勉強になりました」
2軍の公式戦は3月15日に初出場、17日にはスタメンマスクをかぶる。投手のいいところを引き出す抜群のインサイドワークが評価され、徐々に出場機会が増えていく。ベンチにいる時は、常にバッテリーコーチがプレーのどこを見ているのかチェックした。
「コーチから、俺とよく目が合うなと言われました(笑)。少しずつ、見ているポイントが近くなってきたと思うのですが、まだ違うところも多いです」
遠投115メートルの地肩の強さも発揮。初めて盗塁を刺したのは、その後、一軍でレギュラーに定着した西武・金子侑司だった。
★代役からチャンスを掴む
7月のフレッシュオールスターは、当初メンバーに入っていなかった。しかし、選ばれていた他球団の捕手が故障の影響で辞退。そこで急遽、柿沼に白羽の矢が立った。絶好のアピール機会ととらえた柿沼はこのチャンスを逃さなかった。途中から出場し、9回には左中間を破る二塁打。堅実な守りだけではなく、打撃でも存在感を見せた。
7月29日、ついにその日はやってくる。育成契約から支配下登録へ。
「あの日のことは忘れられません。実は、前日に監督から伝えられて、まだ誰にも話すなと言われていましたが、朝の新聞やインターネットで、もう記事になっていて…。親もそこで初めて知ったそうです」
背番号は122から二桁の99に軽くなった。
「キャッチャーといえば22番ですが、99番も同じぞろ目で気に入っています。99番といえば、柿沼と言われるくらいになりたいです」
最終的にはファームで55試合にマスクをかぶり、盗塁防止率は4割をマーク。打っても打率・279の成績を残した。(次回に続く)
<写真上/日大国際関係学部時代の柿沼友哉>
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