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2018年2月 2日 (金)

静岡を巣立つ球児たち2018~森伊晃基編・上

 「静岡高校野球2018早春号」が発売となり、編集部では卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行っています。
 第1回は1年春から公式戦のマウンドに上がり、好左腕として注目を浴びた森伊晃基(知徳)です。卒業後は東京国際大に進学する森伊のインタビューを2回にわたってお届けします。

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静岡を巣立つ球児たち2018~森伊晃基編・上

★人間性を磨いた中学時代
 そのデビューは衝撃的だった。
 2015年春の県大会、1年生左腕・森伊晃基は甲子園帰りの静岡高・内山竣(現明治大)から三振を奪った。
「ツーストライクスリーボールから、最後はスライダーでした」
 小柄ながら、体全体を使ったバランスのいいフォーム。何より、1年生とは思えない豪快な腕の振りと度胸の良さが魅力だった。「いい左ピッチャーが出てきた」と、スタンドは色めき立った。       

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これまでの野球人生を振り返る森伊(知徳)

 森伊は大阪府寝屋川市に生まれる。幼い頃は体が弱く、体力をつける目的で4歳から水泳教室に通った。野球を始めたのは小学1年生の時。野球好きの祖父の影響で少年野球チーム「神田スコーピオン」に入団した。
 左利きということもあり、すぐにピッチャーを命じられた。すると、入団してまもなく、4年生以下の試合でマウンドに上がった。
「その時は、あまりルールも分かっていなかったので、気にはしていなかったのですが…。あとから考えると、すごいことをしてしまったって思いました」
 森伊がいう「すごいこと」とは三者連続死球。状況がつかめないまま、マウンドを降りた。
 その後、森伊は投げ方の基礎をチームの指導者から学んでいく。右足を上げた時に間を作ること、上から投げることなど、投球スタイルの基盤をこの時期に培った。
「チームに入るまでキャッチボールすらやったことがなかったので、投げ方の基本を身につけた6年間でした」
 6年時にはエースとなり、四条畷市の大会でベスト4まで勝ち進んだ。
 中学は自宅から自転車で30分の距離にグランドがあった「大阪球道」(ヤングリーグ)に入団。全国大会出場は叶わなかったが、小西昭範監督の下で「人間性を学んだ3年間だった」と振り返る。
「『高校野球で活躍できるように』という指導でした。技術的なことはあまり言われず、練習態度や私生活のことをよく言われていた印象があります。あとは、トレーニングをかなりやりました。アップしたあとに、サーキットトレーニングがあって、腹筋、背筋を鍛えました」
 高校は「野球で勝負したい」と、寮生活が可能な学校を求めていた。そんな時、話があったのが知徳だった。森伊を指導した小西監督は日本航空(山梨)出身。高校時代の恩師が知徳・初鹿文彦監督だった。
 森伊は中学2年冬に知徳の練習を見学。その雰囲気の良さに感激し、即入学を決断したという。

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1年夏の県大会準々決勝では2番手として登板する

★1年冬に球速アップ
 知徳に入学すると、2学年上に村中克晃、1学年上に平林萌(ともに現星槎道都大)がいたが、春からベンチ入り。前述のように、県大会の静岡高戦で初登板した。
「僕の中で、静岡のチームと言えば、常葉菊川でした。その頃は静高がどんなチームか知らなかったんです。周りは『静高はすごい』って言っていましたが、自分は何も分からなくて。だから、意識することなく思い切っていけたのかもしれません」
 そして、夏の大会は背番号20をつけ、ベンチから「熱きエース」と呼ばれた村中の熱投を見守った。
「自分があの場所に立っていたらと考えると、村中さんはすごいと思いました。自分も投げたいという思いはありましたが、やっぱり、あの人に勝てないなっていう…」
 寮では村中と同部屋で過ごした森伊。自分と比べて、普段の生活から意識が違っていたという。
 「村中さんのすごいところは、自分のしっかりとしたルーティンがあるところです。練習から帰ってきたら、洗濯して、ご飯を食べて、また練習するっていう流れが決まっていて。自分の考えている通りに動いていく。夏の大会中も、誰よりも先にグランドに出て、走っていて。ここまでやらないと、あそこまでいけないのかと感じました」
 知徳は、村中の快投で優勝候補の常葉菊川を撃破すると、準々決勝の磐田南戦は延長15回再試合に。再試合の初回、2死一三塁というピンチの場面で出番はやってくる。夏は初登板だった。
 初球が大きく高めに抜けると、2球目が甘く入った。レフト前安打を浴び、結局、この1点が決勝点となってチームは敗れた。
「悔しかったです。先輩たちに申し訳ないという気持ちでいっぱいで。まだまだボールが遅くて、対応されてしまっていた。全体的にレベルアップしないとダメだと思いました」
 そこから森伊は練習で自分を追い込んでいく。冬の期間で上半身と下半身のトレーニングに励み、体重も10キロ増やした。春先になると、球質が変わっていた。秋までの最速は118キロだったが、約15キロアップし、130キロを超えてきた。
 順調な成長曲線を描いていた。
 ところが――。
 夏の大会を一ケ月後に控えた練習試合での出来事だった。
 リリーフでマウンドに上がった成立学園戦(東京)の8回、ヒジに猛烈な痛みが走った。「ピキッ」という初めての感覚だった。ここから森伊の苦悩が始まる。

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「静岡を巣立つ球児たち2018~森伊晃基編・下」は近日中に更新します!

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