静岡を巣立つ球児たち2019~大代航太郎・上
7年目を迎えたオフ企画、「静岡を巣立つ球児たち」。「静岡高校野球」編集部が卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。第3回は高校通算23本塁打を放った強打者・大代航太郎(加藤学園)。卒業後は東京農業大に進学する大代のインタビューを2回にわたってお届けします。
---------------------------------------------------
静岡を巣立つ球児たち2019~大代航太郎編・上
★父との厳しい練習の乗り越えて
幼い頃から父・茂雄氏(現清水東監督)の影響でソフトボールをプレーした大代。「清水ファイターズ」に入団したのは、島田市から静岡市に引っ越した小学3年生のときだった。4年生と5年生のときは父の監督の下でプレー。県大会出場は叶わなかったものの、6年時にはエースで活躍した。
「お父さんの監督の時はけっこう大変でした。自分にだけ厳しくて。小学5年生のときには辞めたいって思ったこともありました」
今では、野球の基礎を教えてくれたと感謝するものの、その頃は「なんで自分だけ」と悩むこともあった。
「グランドでも家でもいつも一緒でしたし…(笑)。でも、あの2年間で鍛えられたことは間違いです。特に試合で負けていたとしても最後まで諦めない姿勢は学びました」
父との厳しい練習と同時に、大代を成長させたのが剣道だった。大代は野球と同時に、小学3年生から剣道も始めている。
「松坂大輔さん(現中日)も小さい頃にやっていたらしくて。お父さんから『1対1の勝負の勉強になるから』と勧められて、中学2年までやっていました」
競技は違えど、野球もピッチャーとバッターで1対1で勝負することは同じ。戦う姿勢を培うには剣道が最適だった。
中学は「静岡蒲原シニア」へ。3年間、楽しかった思い出の方が強いと振り返る。
「蒲原シニアの方針としては、小技を使わないで、どんどん振っていく感じなので。それが自分に合っていたと思います」
豪快にフルスイングする打撃力を身につけた一方で、3年夏はエースとしてマウンドに上がった。
★1年春からベンチ入り
高校は「早く自立したい」と、寮生活を考えていた。そんなとき、話があったのが加藤学園だった。
入学すると、その迫力あるスイングが米山学監督の目に留まり、1年春の県大会で「背番号13」でベンチ入りする。2回戦の浜松修学舎戦、「8番ライト」で先発出場した。しかし、2打数無安打。レベルの差を感じたという。
「ピッチャーの変化球のキレが中学とは全然違いました」
技術面とともに苦労したのが体力面だった。高校で練習量が増え、体重が激減する。食べても食べても維持できず、中学のときに88キロあった体重が一時期70キロまで落ちた。当然、持ち味のスイングに影響し、打球が飛ばない。2年夏はベンチに入ることすらできなかった。
そんな自信を失いかけた大代を救ったのは米山監督だった。
「自分に合ったスイングを見つけよう」とプロ野球選手の動画を集め、それを参考にするように大代に提案した。
柳田悠岐(ソフトバンク)、筒香嘉智(DeNA)…。同じ左の強打者の良いところを取り入れ、本来のスイングを取り戻していく。
---------------------------------------------------
「静岡を巣立つ球児たち2019~大代航太郎編・下」は近日中に更新します!
| 固定リンク
「静岡を巣立つ球児たち」カテゴリの記事
- 静岡を巣立つ球児たち2021~野ヶ本英典(磐田東→近畿大)(2021.03.31)
- 静岡を巣立つ球児たち2021~小林亮太(清水桜が丘→皇學館大)(2021.03.30)
- 静岡を巣立つ球児たち2021~内海壮太(御殿場西→法政大)(2021.03.29)
- 静岡を巣立つ球児たち2020~鈴木健介(松商学園→専修大)(2020.03.31)
- 静岡を巣立つ球児たち2020~森田健介(静岡市立→明治大)(2020.03.08)
コメント