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2021年3月30日 (火)

静岡を巣立つ球児たち2021~小林亮太(清水桜が丘→皇學館大)

 静岡を巣立ち大学でプレーを続ける注目球児を紹介する企画。第2回は皇學館大に進学する好遊撃手・小林亮太(清水桜が丘)です。

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★中学の全国大会での衝撃
 2018年10月20日。秋季東海大会に初出場した清水桜が丘は岐阜第一と対戦した。9回表が終わり、4対2でリード。二塁を守っていた小林は「このまま勝てるんじゃないか」と期待感を抱き、守備位置についた。しかし、9回裏に同点に追いつかれると、延長11回の末にサヨナラ負け。ダイムスタジアム伊勢で(三重)で悔し涙を流した。
「打つ方では3打数無安打。今振り返ると、ただ試合に出ていただけ。何もできなかったです」
 柔らかいグラブさばきにシャープなスイング。さらに、50m6秒前半の脚力を持ち、走攻守の三拍子が揃う小林。その原点は小中時代にある。
03301_20210330143201  野球を始めたのは9歳のとき。「静岡ベースボールボーイズ」に入団し、東海大一の主砲として甲子園で活躍した経験を持つ羽山忠宏監督から指導を受けた。
「羽山監督はバッティングの方だったので、練習の半分以上はバッティング。ひたすら振り込んだことで力がついたと思います」
 その後、東海大静岡翔洋中に進学。技術も心も大きく成長した。
「守備に関しては先輩の高柳迅さん(現名古屋商科大)の影響が大きかったです。高柳さんの真似をしているうちに技術が上がっていったと思います」
 中学2年夏。そんな小林の意識を変える大きな出来事があった。2年夏の全国大会準々決勝で宇ノ気中(石川)と対戦。相手のバッテリーはその後、星稜で全国準優勝を成し遂げる奥川恭伸(現ヤクルト)、山瀬慎之助(現巨人)だった。
「自分はベンチから見ていただけですが、2人は見たことのないすごいレベルで。全国に行くと、こういうチームと戦っていかないといけないんだって、野球に対する価値観が変わりました」
 その後、小林は2年秋からレギュラーとなった。3年春の全国大会は「たまたまケガ人がいたので」と謙遜するものの、4番打者として出場した。

03302 ★最後までやり切ることをテーマに
 清水桜が丘に入学すると、1年夏から起用された。秋にはレギュラーとなり、県準優勝、東海大会出場に貢献した。
 2年秋からは主将を務めた。だが、秋は中部地区大会の敗者復活戦で逆転負けを喫し、県大会出場を逃した。
「負けた試合は最後、自分たちの甘さが出てしまいました。その反省から冬は何事も最後までやり切ることをテーマに全力で取り組みました」
 ティー打撃やトレーニングなど苦しいメニューも、最後まで全員で歯を食いしばってやり遂げた。主将として小林には春に向けてチームが仕上がっていく実感があった。
 
★伊勢に導かれた男03303
 新型コロナウイルスの影響で春、そして夏の甲子園大会が中止となった。それでも休校期間中は部員の気持ちが切れないように、「LINE」を使って常にコミュニケーションをはかった。そして、県独自の代替が決まったときは「秋の悔しさをぶつける場所を作っていただけた」と素直に感謝した。3回戦で沼津東に敗れたものの、チームは秋になかった粘り強さを発揮。「高校野球をやりきった」という達成感が得ることができた。
「個人としては3試合で2安打しか打てず物足りなかった夏でした。でも、コロナの期間を経て、自分たちが成長したことも分かった大会で、開催していただけたことに感謝しています」
 卒業後は三重県の皇學館大に進学する。ホームグランドは2年秋に悔し涙を流したダイムスタジアム伊勢となる。
「もう絶対に来ることはないと思っていましたが、皇學館大のホームグランドがダイムスタジアムだと知ったときは縁を感じました」
 大学での目標は全国大会に出場し、明治神宮球場でプレーすること。同時に、教員免許を取得し、いずれは高校野球に携わりたいという夢を持つ。
 伊勢に導かれた男の新たな挑戦が始まる。


曲田雄三監督からの贈る言葉

ガムシャラに野球を楽しんでいた2年時の姿と、経験と実績を背負いながらチームを導いた3年時の姿。その両方の小林を見ることができて幸せでした。大学では野球はもちろんのこと、人間的に大きくなり、いつの日か指導者として母校に戻ってくる日があってほしいと願っています。

■小林亮太[こばやし・りょうた]内野手/清水桜が丘/174cm72kg/右投右打
2003年2月18日生まれ、静岡県静岡市出身。9歳のときに「静岡ベースボールボーイズ」で野球を始める。東海大静岡翔洋中では3年春にレギュラーで全国大会出場。清水桜が丘では1年夏からベンチ入り。秋の東海大会出場に貢献した。2年秋から主将。3年夏は3回戦で敗退した。卒業後は皇學館大に進学する。

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