静岡県の高校野球

2018年3月19日 (月)

静岡を巣立つ球児たち2018~小川慶太編・下

 オフシーズン企画「静岡を巣立つ球児たち」。今年も「静岡高校野球」編集部が、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、小川慶太(浜松西卒)編です。 「静岡を巣立つ球児たち2018~小川慶太編・上」はコチラ

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★1日8時間以上の勉強で合格を勝ち取る
 高校3年夏は4回戦で常葉菊川に敗れる。先発のマウンドに上がった小川は2回まで強力打線を無失点に抑えたが、3回に6点を与えた。

 03191夏の大会後、進学先を慶應義塾大一本に絞り、机に向かった。
「慶應は考える野球で、チーム全員で勝利を目指していく。高校の時も佐藤先生から、そういう野球を教わって、慶應に憧れました」
 だが、現役では合格ラインに到達することはできなかった。
「壁は高かったという感じですね。自分の実力じゃ、まだまだだって、現役の頃は思いました」
 だが、小川は他の大学を考えることは一切なかった。1年間野球のプレーができなくても、迷うことなく、一浪することを決意する。
 この1年間は学習塾に通い詰め、1日8時間から10時間の猛勉強に励んだ。
「とにかく慶應のユニフォームを着て、早慶戦に出たい。それだけを思って勉強しました」
 そして先月23日、合格を勝ち取った。すぐに交流のあった慶應義塾大・林卓史助監督に報告すると、「ゆっくりでいいから体を動かすように」と指示を受けたという。
 1年間、体を動かしていなかったこともあり、体重は102キロまで増量した。現役時代の体重は86キロ。まずは歩きながら、体を絞ることからスタートした。今は浜松西のグランドを借り、徐々にランニングやスイングで感覚を取り戻している。

★大学でもフルスイングにこだわる
 大学では高校時代と同じ、二塁手で勝負する。慶應義塾大の二塁手と言えば、昨年まで高校の先輩、倉田直幸が守っていたポジションだ。
03192「僕も倉田さんのように、できるだけで早く試合に出て、チームに貢献したいという思いだけです」
 ゆくゆくは高校教師になり、野球を指導したいという夢も持っている。一方で、右の大型スラッガーとしてプロを狙える逸材だ。
「先のことは分かりませんが、大学でもフルスイングは崩さずにやっていきたい。それが自分の強みなので、そこだけは変えたくありません」
 最後に高校球児へのメッセージを聞いた。
「野球をやっている時期は野球に打ち込んで、そこで完全燃焼してほしいです。そこで完全燃焼しないと、その後の勉強にも結びつかないと思います」
 大柄な体格に加え、運動能力も高い小川。まずは破格力のある打撃をアピールして、リーグ戦出場を目指していく。 

<写真上/高校3年夏は7打席連続安打を記録>
<写真下/大学での活躍を誓う小川>

佐藤光監督からの贈る言葉

浪人までして合格を果たしたのは、すごく立派なことです。浪人した選手が活躍するのが慶應義塾大の強さ。小川も「フォア・ザ・チーム」の精神を忘れずに、頑張ってもらいたいです。将来はクリーナップを打てる可能性があると思います。

■小川慶太[おがわ・けいた]内野手/浜松西卒/185cm102Kg/右投右打
1998年4月15日生まれ、静岡県浜松市出身。小学1年時にソフトボールを始め、5年時から「浜松リトル」でプレーする。中学時代は「浜松シニア」に所属。浜松西では1年夏からレギュラーとなり、2年秋は内野手兼投手として県ベスト16入りに貢献。3年夏は7打席連続安打をマークした。高校通算21本塁打。一浪の末、慶應義塾大に進学する。

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 佐藤監督によると、小川は今年も不合格なら、二浪も覚悟していたとのことです。何としても慶應義塾大でプレーしたいという思いは、これからの4年間の財産となるはずです。慶應義塾大は小川の同学年の村田大輔(磐田南出身)がメキメキと力をつけているという情報もあって楽しみ。静岡県出身の2人でレギュラー争いをしてくれたら嬉しいです。
 今回で『静岡を巣立つ球児たち2018』は最終回となります。みなさんの全国での活躍を期待しています!

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2018年3月14日 (水)

静岡を巣立つ球児たち2018~小川慶太編・上

 6年目を迎えたオフ企画、「静岡を巣立つ球児たち」。「静岡高校野球」編集部が卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。今年の最終回は、高校3年生ではありませんが、一浪の末に、慶應義塾大合格を果たした小川慶太(浜松西卒)のインタビューを2回に渡ってお届けします。

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静岡を巣立つ球児たち2018~小川慶太編・上

 ★佐藤監督との出会い
 小川は、かつてヤマハでプレーした父・泰生氏と、幼稚園の頃からキャッチボールを始める。小学1年時になり、地元のソフトボールチームに入団。5年生から「浜松リトル」でプレーした。
 03141浜松西中等部時代は「浜松シニア」に所属。最終学年ではサードのレギュラーを務めた。
「シニアではコーチ陣から野球の技術だけじゃなく、コミュニケーションの大事さを学びました。挨拶や先輩に対する接し方とか。そういったところは高校で生きました」
 高校は「文武両道で自分に合っていると思った」と、迷うことなく浜松西に進む。
 入学と同時に赴任したのが、慶應義塾大出身の佐藤光監督だった。小川は「佐藤監督と出会わなかったら、大学で野球を続けようと思わなかったし、その後の自分はなかった」と語る。
「佐藤先生から慶應の野球はこうなんだと教えてもらって。それがすごく魅力的でした。技術的にはバッティングが大きく変わりました。1年から2年の頃は新発見の連続でした」
 佐藤監督の打撃理論を実践すると、徐々に逆方向への強い打球が増えていった。また、チームとしてスイングスピードを上げていく中で、小川は3年時にプロ野球選手並みの157キロを叩きだす。一般的な高校生の速さは125キロ前後。高校生離れした力強いスイングを手に入れ、県屈指の強打者へと進化していく。
 
★早慶戦を目に焼きつけ、夏の大会へ
 高校3年生となり、1ヶ月が経過した頃だった。小川はスライディングした時にスパイクの刃が地面に引っかかり、足首を捻挫する。夏の大会まで2ヶ月を切っていた。周りのメンバーは大会に向かって気持ちを昂らせる時期。小川は思うような練習ができず、焦りが募っていく。
 転機は、佐藤監督からの一言だった。
「練習はいいから、神宮に行って早慶戦を見て来い」
 6月上旬、小川は東京六大学リーグの早稲田大対慶應義塾大の試合を見るために、神宮球場に向かった。
 大観衆に沸く球場で、高校の先輩・倉田直幸がプレーし、岩見雅紀 (現楽天)の本塁打も目にした。
「いつか自分もここでプレーしたい」
 気分を一新した小川は、そこから状態を上げていく。
 高校3年夏は評判通りの大活躍を見せた。
 1回戦は第1打席の初球を豪快に振り抜き、レフト方向へ特大ファウル。すると、続く2球目は右方向へ弾き返して二塁打に。さらに2打席目と3打席目はレフト前安打、4打席目はセンターフェンス直撃の三塁打を放った。 
 2回戦も第1打席から第3打席まで連続安打。初戦から7打席連続安打を記録した。

<写真/浜松シニア時代の小川慶太>

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「静岡を巣立つ球児たち2018~小川慶太編・下」は近日中に更新します!   

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2018年3月 9日 (金)

静岡を巣立つ球児たち2018~若生裕也編・下

 オフシーズン企画「静岡を巣立つ球児たち」。今年も「静岡高校野球」編集部が、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、若生裕也(静岡大成3年)編です。 「静岡を巣立つ球児たち2018~若生裕也編・上」はコラチ

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★まさかの大逆転負け
 夏の大会、若生は初戦に登板することなく、2回戦に照準を絞った。相手はシード校の磐田東。打撃に定評のあるチームだった。
 初登板の緊張もあり、いきなり先頭打者に本塁打を浴びる。それでも、味方打線は2回に逆転すると、3回には一挙10点を奪う猛攻を見せる。
03081 14対2。序盤でなんと12点差をつけた。この時点で誰もが静岡大成の勝利を疑わなかった。ところが、3回裏に2点を献上すると、その後、毎回得点を許し、ジワリ、ジワリと点差がつまる。
「調子自体は良くもなく悪くもなく、普通だったのですが…。4回くらいから、ヤバイかもという感じでした」
 迎えた8回、ついに同点、逆転まで許した。投げても投げても打たれる。若生にとって初めての感覚だった。
「点差があるって余裕を持ってしまったところがいけなかったんです。どこかに油断とスキがあったんだと思います」
 直後の9回、今度は静岡大成が同点に追いつく。その裏、立ち直りの兆しを見せた若生はスライダーがキレてピシャリと3人で抑える。だが、相手に傾いた流れは簡単には戻せなかった。延長11回裏、無死一二塁のピンチから、この日、投じた184球目をライト後方に弾き返された。二塁走者が生還。サヨナラ負けを喫した。

◆2017年7月17日 全国高等学校野球選手権静岡大会 2回戦   

 チーム
静岡大成 1 3 10 0 0 0 0 0 1 0 15
磐田東 2 0 2 1 1 4 2 3 0 1 16

★大学でブレイクを狙う
 あれから8か月。未だに悔しさとショックから、まともに夏の大会を振り返ることができないという。そんな中で、横山力監督の勧めもあり、大学でプレーを続けることを決断する。
「2年生の頃までは就職を考えていました。でも、2年冬にJX-ENEOSの練習見学に行ったり、都市対抗を見に行ったりして、こういう舞台で勝負したいなと、少しずつ思うようになっていきました」
 03082進路先として選んだのは関甲信学生リーグに所属する山梨学院大だった。昨春に1部昇格を果たし、近年、メキメキと力をつけている大学だ。
 すでに、2月上旬からチームに合流。今は走り込みなどのトレーニングで体を鍛えている。
「まだ下半身が弱く、それでフォームにバラつきが出てしまうので、今は下半身の筋力と柔軟性のアップが課題です」
 大学4年間の目標を聞くと、「今はそういうレベルの投手ではないので」と控えめに話すものの、体力強化に比例して球威アップが見込める左腕。まずはリーグ戦での登板を目指して、一歩ずつ前進していく。
 最後に高校球児へのメッセージを聞いた。
「2年半は長いようで意外と短いので、一日一日、自分が成長するために時間を使ってほしいと思います」
 高校3年夏に結果は出なかったが、やってきたことには後悔はない。大学で大輪の花を咲かせる。

横山力監督からの贈る言葉

真面目な選手ですので、大学でもブレることなく取り組めば、きっとチャンスはあるはずです。そのチャンスを生かして、勝ち上がってほしい。あの高校3年夏の悔しさが、この先の若生を作ってくれると信じています。

■若生裕也[わこう・ゆうや]投手/静岡大成3年/175cm71Kg/左投左打
1999年11月18日生まれ、静岡県焼津市出身。小学1年時に「焼津港エンゼルス」で野球を始める。港中時代は「静岡中央シニア」に所属し、エースとなる。高校入学後、1年夏の県大会から登板。3年夏は2回戦で敗退した。ストレートの最速は130キロながら、抜群の腕のしなりを持つ本格派左腕だ。卒業後は山梨学院大に進学する。

 2月から山梨学院大の練習に参加し、一番苦労しているのが生活面だそうです。平日の朝と夜は学食があるそうですが、それ以外は自炊。また、「洗濯もなかなか慣れないんです」と打ち明けてくれました。ここからの4年間は心技体で大きく逞しくなる時期。数年後、どんな成長を果たしているのか、今から楽しみです。次回は特別編として、一浪を経て慶應義塾大に合格した小川慶太(浜松西卒)を紹介します。お楽しみ!

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2018年3月 7日 (水)

静岡を巣立つ球児たち2018~若生裕也編・上

 6年目を迎えたオフ企画、「静岡を巣立つ球児たち」。「静岡高校野球」編集部が卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。第3回は柔らかいフォームが魅力の左腕・若生裕也(静岡大成)。卒業後は山梨学院大に進学する若生のインタビューを2回にわたってお届けします。

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静岡を巣立つ球児たち2018~若生裕也編・上

★横山監督との出会い
 若生は小学1年時から野球を始め、「焼津港エンゼルス」でプレーする。秋山彪監督からフォームの基礎を教わり、6年時にはエースとなった。
 中学時代は「静岡中央シニア」に所属。目立った成績を残していないが、「中央シニアにいい左腕がいる」と噂が広まり、強豪校からも目をつけられる存在となっていく。その中で最終的に本人が進学先として決めたのは静岡大成だった。
 静岡大成は環境面に恵まれていない。平日は校舎に囲まれた狭いスペース内で活動。月に1回から2回程度、近隣の球場を借りることもあるが、基本的には内野面程度(グラウンド半面)の中で練習する。
「それは関係ないと思っていました。それよりも、横山(力)先生が何回もグランドに足を運んでくれて、自分を欲しがってくれていると感じ、大成に決めました」

★フォームを探求する
 高校入学後、若生は横山監督とマンツーマンで練習に励む。肩甲骨や股関節の柔軟性を高めていき、トレーニングジムではイチロー(マリナーズ)や岩瀬仁紀(中日)など多くのプロ野球選手も実践している「初動負荷理論」を取り入れた。
「もともと小学校の頃から体の柔らかさには自信を持っていた方でしたが、高校でのトレーニングで、もっと柔らかくなりました」
 また、横山監督の影響で、フォームの細かい点について興味を持つようになる。自宅では菊池雄星(西武)、則元昴大(楽天)などのプロ野球選手の動画を見ながら研究。自分のフォームとの違いを探った。
「フォームを詳しく知ることで、好不調の波がなくなりました。自分の中で、今日はどこが良くて、どこが悪いのかが自然と分かるようになりました」

03071_2★静高相手に好投
  
1年夏の大会からマウンドに上がると、秋から主戦となった。そして、2年春の中部大会では「高校3年間で一番の出来だった」と、静岡高相手に好投を演じる。
 試合には敗れたものの、強力打線を3点に抑えた。立ち上がりから集中して、攻めの投球を展開。しなやかな腕から繰り出すストレートとスライダーが冴えた。
「この時は静高よりも強いチームはないと思っていたので、こういう投球ができれば、どのチームにも通用すると自信をつけました」
 しかし、2年夏は3回戦で浜名と対戦し、4回5失点で降板。チームも敗退した。続く秋、3年春も好投手として注目を浴びながらも県大会出場を逃す。
「もっと勝てると思っていたのですが…。静高戦以降、自分の理想のパフォーマンスが出せなくて、いつも苦しんでいました」
 そんな中でも、2年冬には大きな収穫を手にする。社会人野球の名門として君臨するJX-ENEOSの練習見学に行った際のことだった。同じ左投手の大城基志からこんなアドバイスをもらう。
「ピッチャーはスピードが全てじゃない。コントロールとキレで勝負できるんだよ」
 大城といえば、球速は常時130キロ台も、多彩な変化球と投球術を武器に、社会人トップレベルまで登りつめた左腕だ。その言葉は若生の胸に響いた。
「大城さんは体も大きくないし、球が速いわけではない。それでも上でやっている人がいるって勉強になりました」
 勝負に勝てない苦しみにもがきながらも、少しずつ自分の目指すべき方向性を定めていった。

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「静岡を巣立つ球児たち2018~若生裕也編・下」は近日中に更新します! 

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2018年3月 1日 (木)

静岡を巣立つ球児たち2018~日高純平編・下

 オフシーズン企画「静岡を巣立つ球児たち」。今年も「静岡高校野球」編集部が、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。  
 前回に引き続き、日高純平(天竜3年)編です。 「静岡を巣立つ球児たち2018~日高純平編・上」はコチラ

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★夏のやりきった感はゼロ
 「ベスト8に入り、そこから甲子園を狙いにいくぞ」。
 そんな目標を立てて挑んだ3年夏。しかし、たった2打席で終わりを迎える。
 初戦の相手は富士宮北だった。好左腕・神橋欣太郎に対し、第1打席はレフトフライ、第2打席はライトフライ。快音は聞かれなかった。投手陣が崩れ、3回途中からマウンドに上がったが、流れを止めることができず。0対17。5回コールド負けで、試合時間は1時間26分という短さだった。
「やりきった感はゼロでした。悔しさしか残らない夏でした」
 この瞬間、日高は一つの決断を下した。
<このまま野球人生を終わらせるわけにはいかない>
 もともとは就職希望だった。社会人やプロといった高いレベルでプレーしたい意向があったが、現実的な職業として高校の実習で興味を持った林業を考えていた。
「ここで腹をくくりました。(野球を)続けなきゃダメだって」 

★求めていた野球を見つける                                     
 8月、日高が向かった先は群馬県の上武大だった。上武大といえば、プロ選手を多数輩出し、2013年の全日本大学野球選手権で初優勝を飾っている全国屈指の強豪だ。とにかく自分の実力をセレクションで見てもらいたかった。
 日高がグランドにつくと、選手たちのランニングが始まった。
「ただのランニングなんですけど、突然声かけが始まって、それからエンジン全開で。誰一人、叫んでいる人のことを笑っていないし、先輩方の姿に胸を打たれました」

03012

練習メニューをノートに記入し、トレーニングに励む日高

 200人を超える部員が一体となり、まとまりで勝負するのが上武大のスタイル。その姿に、日高は圧倒された。同時に「絶対にここでやりたい」と強く感じた。セレクションでは必死にアピールして、合格をもらう。
「自分の野球に対する情熱は間違ってなかったんだと。今まで、自分は周りから浮いているような気がして、『俺っておかしいのかも』って思った時期もあります。でも、上武大では、全然そんなことはなくて、逆に『もっとやっていいじゃん』って思いました」  
 その後、谷口英規監督との面談でも衝撃を受ける。谷口監督から「なんでウチに来たいんだ」と質問を受け、日高はこう答える。
「プロ野球選手になりたいからです」
 すぐに谷口監督は「それだけなら、別にウチではなくてもいいと思うよ」と語りかけ、広い視野を持つ大切さを説いたという。
「それまでの自分には谷口監督のような考えはなくて。感動しました」
 その上で、谷口監督は「君は面白い能力を持っている。でも、それは他の新入生も同じこと。自分の能力を伸ばすのか、止めるのか。入学するまでが大事だ」と、成長に期待をかけた。

03011★1年時からアピールする
 秋から冬にかけて、日高は後輩に混ざって毎日練習をこなした。その日、その日で、自分なりにメニューを考え、体を管理していった。すべては、大学でブレイクするために。
「大口を叩くことになるんですけど、1年からベンチに入り、レギュラーを目指していかないとダメだと思っています。監督やコーチにアピールして使ってもらって、上級生になったら、大学日本代表に選ばれて、ドラフト1位でプロに行くのが目標です」
 最後に現役球児へのメッセージを聞いた。
「野球ができることは当たり前ではないので、その当たり前のことに感謝できた瞬間、本当に力が出てきます。例えば、お母さんが弁当を作ってくれたりすることにも、感謝してほしいと思います」
 チームメート、監督やコーチ、そして家族に対して感謝の言葉を口にする日高。天竜のスラッガーは今日卒業式を迎え、明日2日、大きな夢に向かって浜松を発つ。

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中道誠監督からの贈る言葉

高校3年間、一生懸命にチームを引っ張ってくれて、自分としては感謝しかないです。上武大さんは全国トップクラスのチームですが、日高の性格なら、這い上がっていく力があると思っています。本人は大学から先も目指しているようですので、その夢を叶えてほしいです。

■日高純平[ひだか・じゅんぺい]外野手/天竜3年/171cm80Kg/右投左打
1999年9月9日生まれ、静岡県浜松市出身。小学4年時に「浜北スモールジャイアンツ」に入団。北浜中では3年春に県大会出場。浜松選抜に選ばれる。高校入学後、1年秋からレギュラー。鋭いスイングから高校通算23本塁打を放った。卒業後は上武大に進学する。

 取材に伺ったのは1月中旬。まず、目に飛び込んできたのが髪の毛の長さでした。「いつ来いと言われてもいいように年始に五厘にしました」と、極端に短い頭髪。実はネットで調べ、「上武は五厘」だと思い込んでいたそうです。「普段はみんな五厘にしているわけでないんだよ」と教えてあげると、驚いていた日高。でも、気持ちは十分に伝わってきました。次回は静岡大成・若生裕也編、お楽しみ!

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2018年2月23日 (金)

静岡を巣立つ球児たち2018~日高純平編・上

 6年目を迎えたオフ企画、「静岡を巣立つ球児たち」。「静岡高校野球」編集部が卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。第2回は豪快なスイングで長打を連発する日高純平(天竜)。卒業後は上武大に進学する日高のインタビューを2回にわたってお届けします。

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静岡を巣立つ球児たち2018~日高純平編・上

★「ありがとう」の始まり
 日高が野球を始めたのは小学4年生の時。幼い頃から水泳、サッカー、空手といった様々なスポーツを経験したが、友人の父親とキャッチボールしたことがきっかけで野球の道に進んだ。友人とは、その後、高校まで一緒プレーすることになる永田一成。父の宗広氏は黄金時代の浜松商で活躍した人物だった。
「一成のお父さんに褒められたことが単純に嬉しくて。そこから、野球ぞっこんになりました」

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日高はバッターボックスに入ると、感謝の意味で「ありがとう」と叫ぶ

 その後、北浜中では3年春に1番打者として県ベスト8入りに貢献する。身体能力の高さを買われて、3年間で全ポジションを周り、最終的にはセンターで落ち着いた。
 そんな中学時代、日高にとって大きな出会いがあった。2年生の時、「株式会社ありがとう」の代表を務める黒柳誠氏の講和を聞く機会があり、その内容に日高は感銘を受けたという。
「黒柳さんは『プラス言葉を言っていれば、人生はいい方向にいくよ』という話をされていました。黒柳さんと直接話す機会もあり、自分はバッターボックスに入った時に、『ありがとう』と叫ぶことに決めたんです」
 日高の「ありがとう」の叫びは高校まで続いていく。最初は周囲から笑われることもあったが気にしなかった。日高には一度決めたらやり通す、芯の強さがある。いつしか、名前は知らなくても、浜松市内の野球関係者の間で「ありがとうの子ね」と有名になる。それほどインパクトが強かった。

★腰痛を乗り越えて
 日高の特徴は何といっても、飛び抜けたスイングスピード、そして猛烈にバットが振れることだ。天竜の中道誠監督は日高が入学すると、すぐにA戦で起用した。最初の試合で、度肝を抜く一発を放つ。ライト方向への本塁打だった。
「正直、高校野球のレベルはこんなものかって、その時は思ってしまいました」
 しかし、その後、県外の強豪との練習試合で出場すると、キレのあるボールを前に、三振の山を築く。まったくバットにあたらない。6月、7月と試合を重ねても変化はなかった。日高は打てない原因が分からず、一人で悶々とした期間を過ごす。
「あの頃はいくら練習をやってもダメで。なにかしら、毎日手を伸ばしてつかみたい状態でした」
 救ったのは外山淳嗣部長(現浜松工部長)だった。来たボールに対して、単純にスイングしていた日高に対し、外山部長は「間の大切さ」を説いた。
「それまでの自分は、力任せにオリャーみたいな感じで振っていたんです。でも、外山先生からタイミングをとる中で『間』を作れって言われました。足の上げるタイミングやトップの位置もマンツーマンで細かく見てもらって、少しずつあたるようになっていきました」
 1年秋からレギュラーをつかむと、2年夏は2試合で4安打をマークする。ところが、秋の西部大会が始まると、腰に痛みが走る。敗者復活戦の菊川南陵との試合前には杖がないと歩けない状態となり、先発出場を回避した。「キャプテンの自分がやらなきゃ」と、気合いだけで代打出場するも、サードフライに終わる。
 病院で診察を受けると、「腰椎分離症」を患っていることが判明した。医者からは「なんでここまで放っておいたんだ」と叱られ、秋から冬にかけてはリハビリに費やした。 
 日高は、それまで軽く考えていたストレッチの大切さを知り、練習前には入念に行うようになった。季節は冬から春に移り変わり、少しずつ暖かくなると、自然と痛みは和らいでいった。
 状態を上げて、いよいよ夏の大会を迎える。

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「静岡を巣立つ球児たち2018~日高純平編・下」は近日中に更新します! 

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2018年2月 9日 (金)

静岡を巣立つ球児たち2018~森伊晃基編・下

 オフシーズン企画「静岡を巣立つ球児たち」。今年も「静岡高校野球」編集部が、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、森伊晃基(知徳3年)編です。 「静岡を巣立つ球児たち2018~森伊晃基編・上」はコチラ

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★故障で苦しんだ2年秋
 2年夏の大会直前でヒジを故障した森伊。すぐに病院に行って検査すると、剥離骨折が見つかった。
「少し前から骨折していたようでした。でも、痛いかなという程度で我慢できていたので、それほど気にはしていなかったんです。それが、その時は折れた骨が神経にあたっていたようで…。痛くてヒジが曲がらなくなり、まともに箸も持てない状態になりました」
 夏の大会は、何とか間に合わせて3回戦の日大三島戦で3分の1イニングを投げたが、本来の球のキレを欠いていた。
 新チームとなると、本人曰く「何が何だか分からない状態」に陥る。
 球速は110キロ台まで落ち込んだ。ストレートが走らなくなると変化球も見極められて、投げても投げても相手打線につかまる。東部大会では3回戦の市立沼津戦で10失点。続く御殿場西戦は序盤につかまって敗退。県大会出場を逃した。ヒジを骨折した影響で、腕を強く振ることに対しての恐怖心が無意識に出ていた。
「自分ではビビッていないつもりですが、周りから見ると腕の振りが弱まっていたみたいでした」
 秋から冬にかけて、森伊はもがき苦しんだ。ときには、「このまま高校野球が終わってしまうのでは」というマイナス思考が頭をよぎることもあった。そんな森伊を救ったのは、初鹿文彦監督の言葉だった。
「初鹿先生から『お前は夏、活躍している姿だけを想像しろ。絶対活躍できるから』って言われて。それがすごく励みになりました」
 冬場はトレーニングと平行して黙々と一人でネットスローを繰り返した。リリースを強くすることだけをイメージした。

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3年春の東部大会準決勝で完封を飾る

★3年春に復活
 春は完全復活を果たす。準決勝の市立沼津戦ではストレートがコーナーにビシビシと決まり、10奪三振で完封。圧巻の投球を披露した。球速的にも決勝戦では最速となる136キロを表示した。 
「やっぱり、冬のトレーニングが大きかったです。土屋昇彦先生(部長)がメニューを考えてくれて、それをこなしたことで自信がつきました」
 手応えをつかんで迎えた夏の県大会、初戦の富士市立戦では「守備に助けられた」と、ベストピッチングではなかったものの、完封でスタートを切る。さらに2回戦は2失点、3回戦は1失点と、抜群の安定感で勝ち上がった。
 しかし、4回戦の掛川東戦では、初回に4連打を浴びて降板。2回以降は立ち直ったが、8回に3点を失った敗退した。
「課題としていた初回の入りがうまくできなくて。ここで終わるつもりではなかったので、悔いが残りました」

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星槎道都大に進学する右腕・渡邉匠太(左)と森伊。ともに4年後をプロ入りを狙う

★4年後のプロ入りを目指して                                          卒業後は東京国際大に進学する。2011年の大学選手権ではベスト4に進んだ東京新大学リーグの強豪だ。他の名門大学も考えたこともあったが、自分を必要してくれている熱意が決め手となった。
「一度練習会に参加したのですが、施設面が整っていて、自分の練習次第では大きく変わることができると感じ、ここで挑戦したいと思いました」
 今は1年時からの登板を目指して、投球術を磨いている。
「スピードよりは球の回転数を上げていきたいです。あと木製バットになるので、バットの芯を外していく、小さい変化球に取り組んでいます。チェンジアップとスプリットは持っているので、小さい変化があれば、球種に幅が出ると思います」
 目標は4年後にプロ入りすること。そのために、全国大会に出てアピールしたいと誓う。
 最後に現役球児へのメッセージを聞いた。
「自分はケガに苦しんだので、ケガをしない体を作ったり、ケアをしっかりとやってほしいです。悔いの残らないような日々を過ごして頑張って下さい」
 森伊は高校3年間で一番苦しかったのは2年秋から冬にかけての時期だったという。故障で苦しんだ森伊だからこそのメッセージだった。

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初鹿文彦監督からの贈る言葉

誰にも負けない心を持っている子です。どこに出しても恥ずかしくありません。試合で勝てなくて、苦しんだ時期もありました。そんな中でも腐らずにひたむきに取り組む姿を見て、「なんで野球の神様はコイツを勝たせてくれないんだろう」と思ったこともありました。この経験が必ず将来に生きると信じています。

■森伊晃基[もりい・こうき]投手/知徳3年/167cm70Kg/左投左打
1999年6月23日生まれ、大阪府寝屋川市出身。小学1年時に「神田スコーピオン」で野球を始める。中学時代は「大阪球道」に所属。知徳入学後、1年春からベンチ入り。2年秋からエースとなる。最速136キロのストレートにはキレ味があり、多彩な変化球も操る。卒業後は東京国際大に進学する。

 「知徳に来て、初鹿先生と『人柄野球』ができて本当に良かった」と語ってくれた森伊。大学でも、みんなから愛される人間になって下さい。次回は天竜・日高純平編、お楽しみに!

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2018年2月 2日 (金)

静岡を巣立つ球児たち2018~森伊晃基編・上

 「静岡高校野球2018早春号」が発売となり、編集部では卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行っています。
 第1回は1年春から公式戦のマウンドに上がり、好左腕として注目を浴びた森伊晃基(知徳)です。卒業後は東京国際大に進学する森伊のインタビューを2回にわたってお届けします。

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静岡を巣立つ球児たち2018~森伊晃基編・上

★人間性を磨いた中学時代
 そのデビューは衝撃的だった。
 2015年春の県大会、1年生左腕・森伊晃基は甲子園帰りの静岡高・内山竣(現明治大)から三振を奪った。
「ツーストライクスリーボールから、最後はスライダーでした」
 小柄ながら、体全体を使ったバランスのいいフォーム。何より、1年生とは思えない豪快な腕の振りと度胸の良さが魅力だった。「いい左ピッチャーが出てきた」と、スタンドは色めき立った。       

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これまでの野球人生を振り返る森伊(知徳)

 森伊は大阪府寝屋川市に生まれる。幼い頃は体が弱く、体力をつける目的で4歳から水泳教室に通った。野球を始めたのは小学1年生の時。野球好きの祖父の影響で少年野球チーム「神田スコーピオン」に入団した。
 左利きということもあり、すぐにピッチャーを命じられた。すると、入団してまもなく、4年生以下の試合でマウンドに上がった。
「その時は、あまりルールも分かっていなかったので、気にはしていなかったのですが…。あとから考えると、すごいことをしてしまったって思いました」
 森伊がいう「すごいこと」とは三者連続死球。状況がつかめないまま、マウンドを降りた。
 その後、森伊は投げ方の基礎をチームの指導者から学んでいく。右足を上げた時に間を作ること、上から投げることなど、投球スタイルの基盤をこの時期に培った。
「チームに入るまでキャッチボールすらやったことがなかったので、投げ方の基本を身につけた6年間でした」
 6年時にはエースとなり、四条畷市の大会でベスト4まで勝ち進んだ。
 中学は自宅から自転車で30分の距離にグランドがあった「大阪球道」(ヤングリーグ)に入団。全国大会出場は叶わなかったが、小西昭範監督の下で「人間性を学んだ3年間だった」と振り返る。
「『高校野球で活躍できるように』という指導でした。技術的なことはあまり言われず、練習態度や私生活のことをよく言われていた印象があります。あとは、トレーニングをかなりやりました。アップしたあとに、サーキットトレーニングがあって、腹筋、背筋を鍛えました」
 高校は「野球で勝負したい」と、寮生活が可能な学校を求めていた。そんな時、話があったのが知徳だった。森伊を指導した小西監督は日本航空(山梨)出身。高校時代の恩師が知徳・初鹿文彦監督だった。
 森伊は中学2年冬に知徳の練習を見学。その雰囲気の良さに感激し、即入学を決断したという。

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1年夏の県大会準々決勝では2番手として登板する

★1年冬に球速アップ
 知徳に入学すると、2学年上に村中克晃、1学年上に平林萌(ともに現星槎道都大)がいたが、春からベンチ入り。前述のように、県大会の静岡高戦で初登板した。
「僕の中で、静岡のチームと言えば、常葉菊川でした。その頃は静高がどんなチームか知らなかったんです。周りは『静高はすごい』って言っていましたが、自分は何も分からなくて。だから、意識することなく思い切っていけたのかもしれません」
 そして、夏の大会は背番号20をつけ、ベンチから「熱きエース」と呼ばれた村中の熱投を見守った。
「自分があの場所に立っていたらと考えると、村中さんはすごいと思いました。自分も投げたいという思いはありましたが、やっぱり、あの人に勝てないなっていう…」
 寮では村中と同部屋で過ごした森伊。自分と比べて、普段の生活から意識が違っていたという。
 「村中さんのすごいところは、自分のしっかりとしたルーティンがあるところです。練習から帰ってきたら、洗濯して、ご飯を食べて、また練習するっていう流れが決まっていて。自分の考えている通りに動いていく。夏の大会中も、誰よりも先にグランドに出て、走っていて。ここまでやらないと、あそこまでいけないのかと感じました」
 知徳は、村中の快投で優勝候補の常葉菊川を撃破すると、準々決勝の磐田南戦は延長15回再試合に。再試合の初回、2死一三塁というピンチの場面で出番はやってくる。夏は初登板だった。
 初球が大きく高めに抜けると、2球目が甘く入った。レフト前安打を浴び、結局、この1点が決勝点となってチームは敗れた。
「悔しかったです。先輩たちに申し訳ないという気持ちでいっぱいで。まだまだボールが遅くて、対応されてしまっていた。全体的にレベルアップしないとダメだと思いました」
 そこから森伊は練習で自分を追い込んでいく。冬の期間で上半身と下半身のトレーニングに励み、体重も10キロ増やした。春先になると、球質が変わっていた。秋までの最速は118キロだったが、約15キロアップし、130キロを超えてきた。
 順調な成長曲線を描いていた。
 ところが――。
 夏の大会を一ケ月後に控えた練習試合での出来事だった。
 リリーフでマウンドに上がった成立学園戦(東京)の8回、ヒジに猛烈な痛みが走った。「ピキッ」という初めての感覚だった。ここから森伊の苦悩が始まる。

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「静岡を巣立つ球児たち2018~森伊晃基編・下」は近日中に更新します!

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2018年1月26日 (金)

静高、2年連続17度目センバツ出場決定!

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 本日、静岡高の2年連続17度目センバツ出場が決定しました。おめでとうございます!
午後3時19分、出場決定の一報が入り、志村剛和校長がグランドへ。志村校長から選手に対して、「周りの期待の思いを背負って頑張ってほしい」と伝えられると、栗林俊輔監督、黒岩陽介主将が胴上げをされました。
 その後の取材では選手たちが口を揃え、「目標は戦後初のベスト4、その上で全国制覇」と宣言。東海大会で優勝したとはいえ、まだまだ伸びしろのあるチーム。大いに期待したいと思います。(編集部・栗山)

栗林俊輔監督
「嬉しく感じています。日頃からいろんな人に支えられて、感謝の気持ちでいっぱいです。今年は飛び抜けた選手こそいませんが、彩豊かな個性溢れる選手が揃っています。今までのペースを崩すことなく、コツコツと取り組んで大会に挑みたいです」

黒岩陽介主将
「(センバツが決定して)ホッとしたという思いが強いです。ただ、自分たちは、センバツで勝つことが目標なので、まだここは通過点だと思っています。センバツまでの期間でチームの完成度を高めていきたいです」

春翔一朗
「オフは順調にきています。センバツでは失点を減らすピッチングをしていきたいです」

※1月30日発売の『静岡高校野球2018早春号』では「静高選手名鑑」と題して、静岡高の各選手を紹介しています! 

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2017年10月30日 (月)

静高がセンバツ当確! 秋季東海大会準決勝(10月30日)~岡崎球場レポート

 秋季東海大会準決勝で静岡高は中京学院中京(岐阜)を下して決勝進出。2年連続のセンバツ大会出場を確実にしました! 明日は明治神宮大会出場をかけて東邦(愛知)と対戦します。

★10月30日 秋季東海準決勝 岡崎市民球場   

  チーム
中京学院中京 1 0 1 1 0 0 0 1 0 4
静岡高 2 2 0 3 0 0 0 0 × 7

(中)不後、後藤、不後-藤田健
(静)春-黒岩
▽二塁打=林、福島(中)、齋藤來(静)

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10302 1点を追う静岡高は初回、1番・村松開人、2番・齋藤來音の連打でチャンスを作り、4番・成瀬和人の犠飛などで逆転。2回には村松の2点タイムリーでリードを広げる。1点差に詰め寄られた4回には相手投手の乱調に乗じて打者9人を送り、一挙3点を奪った。投げては先発の春翔一朗が初戦に続いて好投。強風の影響で4回までは苦しい投球が続いたが、最小失点に抑える粘り強さを見せる。その後、5回以降はテンポの良い投球を展開。風を利用しながら巧みに変化球を操り、最後まで投げ切った。

静岡高・栗林俊輔監督
「この風だったので、お互いにミスが出ることは予想していた。その中で春はよく投げてくれた。延期が続き、タフな大会となっているが、『こうなったら我慢比べだよ』と選手に言ってきた。明日も勝って神宮大会に行きたい」

<写真/4安打2打点の活躍でチームを牽引した村松開人(静岡)>

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