静岡を巣立つ球児たち

2018年2月23日 (金)

静岡を巣立つ球児たち2018~日高純平編・上

 6年目を迎えたオフ企画、「静岡を巣立つ球児たち」。「静岡高校野球」編集部が卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。第2回は豪快なスイングで長打を連発する日高純平(天竜)。卒業後は上武大に進学する日高のインタビューを2回にわたってお届けします。

★「ありがとう」の始まり
 日高が野球を始めたのは小学4年生の時。幼い頃から水泳、サッカー、空手といった様々なスポーツを経験したが、友人の父親とキャッチボールしたことがきっかけで野球の道に進んだ。友人とは、その後、高校まで一緒プレーすることになる永田一成。父の宗広氏は黄金時代の浜松商で活躍した人物だった。
「一成のお父さんに褒められたことが単純に嬉しくて。そこから、野球ぞっこんになりました」

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日高はバッターボックスに入ると、感謝の意味で「ありがとう」と叫ぶ

 その後、北浜中では3年春に1番打者として県ベスト8入りに貢献する。身体能力の高さを買われて、3年間で全ポジションを周り、最終的にはセンターで落ち着いた。
 そんな中学時代、日高にとって大きな出会いがあった。2年生の時、「株式会社ありがとう」の代表を務める黒柳誠氏の講和を聞く機会があり、その内容に日高は感銘を受けたという。
「黒柳さんは『プラス言葉を言っていれば、人生はいい方向にいくよ』という話をされていました。黒柳さんと直接話す機会もあり、自分はバッターボックスに入った時に、『ありがとう』と叫ぶことに決めたんです」
 日高の「ありがとう」の叫びは高校まで続いていく。最初は周囲から笑われることもあったが気にしなかった。日高には一度決めたらやり通す、芯の強さがある。いつしか、名前は知らなくても、浜松市内の野球関係者の間で「ありがとうの子ね」と有名になる。それほどインパクトが強かった。

★腰痛を乗り越えて
 日高の特徴は何といっても、飛び抜けたスイングスピード、そして猛烈にバットが振れることだ。天竜の中道誠監督は日高が入学すると、すぐにA戦で起用した。最初の試合で、度肝を抜く一発を放つ。ライト方向への本塁打だった。
「正直、高校野球のレベルはこんなものかって、その時は思ってしまいました」
 しかし、その後、県外の強豪との練習試合で出場すると、キレのあるボールを前に、三振の山を築く。まったくバットにあたらない。6月、7月と試合を重ねても変化はなかった。日高は打てない原因が分からず、一人で悶々とした期間を過ごす。
「あの頃はいくら練習をやってもダメで。なにかしら、毎日手を伸ばしてつかみたい状態でした」
 救ったのは外山淳嗣部長(現浜松工部長)だった。来たボールに対して、単純にスイングしていた日高に対し、外山部長は「間の大切さ」を説いた。
「それまでの自分は、力任せにオリャーみたいな感じで振っていたんです。でも、外山先生からタイミングをとる中で『間』を作れって言われました。足の上げるタイミングやトップの位置もマンツーマンで細かく見てもらって、少しずつあたるようになっていきました」
 1年秋からレギュラーをつかむと、2年夏は2試合で4安打をマークする。ところが、秋の西部大会が始まると、腰に痛みが走る。敗者復活戦の菊川南陵との試合前には杖がないと歩けない状態となり、先発出場を回避した。「キャプテンの自分がやらなきゃ」と、気合いだけで代打出場するも、サードフライに終わる。
 病院で診察を受けると、「腰椎分離症」を患っていることが判明した。医者からは「なんでここまで放っておいたんだ」と叱られ、秋から冬にかけてはリハビリに費やした。 
 日高は、それまで軽く考えていたストレッチの大切さを知り、練習前には入念に行うようになった。季節は冬から春に移り変わり、少しずつ暖かくなると、自然と痛みは和らいでいった。
 状態を上げて、いよいよ夏の大会を迎える。

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「静岡を巣立つ球児たち2018~日高純平編・下」は近日中に更新します! 

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2018年2月 9日 (金)

静岡を巣立つ球児たち2018~森伊晃基編・下

 オフシーズン企画「静岡を巣立つ球児たち」。今年も「静岡高校野球」編集部が、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。  前回に引き続き、森伊晃基(知徳3年)編です。 「静岡を巣立つ球児たち2018~森伊晃基編・上」はコチラ

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★故障で苦しんだ2年秋
 2年夏の大会直前でヒジを故障した森伊。すぐに病院に行って検査すると、剥離骨折が見つかった。
「少し前から骨折していたようでした。でも、痛いかなという程度で我慢できていたので、それほど気にはしていなかったんです。それが、その時は折れた骨が神経にあたっていたようで…。痛くてヒジが曲がらなくなり、まともに箸も持てない状態になりました」
 夏の大会は、何とか間に合わせて3回戦の日大三島戦で3分の1イニングを投げたが、本来の球のキレを欠いていた。
 新チームとなると、本人曰く「何が何だか分からない状態」に陥る。
 球速は110キロ台まで落ち込んだ。ストレートが走らなくなると変化球も見極められて、投げても投げても相手打線につかまる。東部大会では3回戦の市立沼津戦で10失点。続く御殿場西戦は序盤につかまって敗退。県大会出場を逃した。ヒジを骨折した影響で、腕を強く振ることに対しての恐怖心が無意識に出ていた。
「自分ではビビッていないつもりですが、周りから見ると腕の振りが弱まっていたみたいでした」
 秋から冬にかけて、森伊はもがき苦しんだ。ときには、「このまま高校野球が終わってしまうのでは」というマイナス思考が頭をよぎることもあった。そんな森伊を救ったのは、初鹿文彦監督の言葉だった。
「初鹿先生から『お前は夏、活躍している姿だけを想像しろ。絶対活躍できるから』って言われて。それがすごく励みになりました」
 冬場はトレーニングと平行して黙々と一人でネットスローを繰り返した。リリースを強くすることだけをイメージした。

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3年春の東部大会準決勝で完封を飾る

★3年春に復活
 春は完全復活を果たす。準決勝の市立沼津戦ではストレートがコーナーにビシビシと決まり、10奪三振で完封。圧巻の投球を披露した。球速的にも決勝戦では最速となる136キロを表示した。 
「やっぱり、冬のトレーニングが大きかったです。土屋昇彦先生(部長)がメニューを考えてくれて、それをこなしたことで自信がつきました」
 手応えをつかんで迎えた夏の県大会、初戦の富士市立戦では「守備に助けられた」と、ベストピッチングではなかったものの、完封でスタートを切る。さらに2回戦は2失点、3回戦は1失点と、抜群の安定感で勝ち上がった。
 しかし、4回戦の掛川東戦では、初回に4連打を浴びて降板。2回以降は立ち直ったが、8回に3点を失った敗退した。
「課題としていた初回の入りがうまくできなくて。ここで終わるつもりではなかったので、悔いが残りました」

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星槎道都大に進学する右腕・渡邉匠太(左)と森伊。ともに4年後をプロ入りを狙う

★4年後のプロ入りを目指して                                          卒業後は東京国際大に進学する。2011年の大学選手権ではベスト4に進んだ東京新大学リーグの強豪だ。他の名門大学も考えたこともあったが、自分を必要してくれている熱意が決め手となった。
「一度練習会に参加したのですが、施設面が整っていて、自分の練習次第では大きく変わることができると感じ、ここで挑戦したいと思いました」
 今は1年時からの登板を目指して、投球術を磨いている。
「スピードよりは球の回転数を上げていきたいです。あと木製バットになるので、バットの芯を外していく、小さい変化球に取り組んでいます。チェンジアップとスプリットは持っているので、小さい変化があれば、球種に幅が出ると思います」
 目標は4年後にプロ入りすること。そのために、全国大会に出てアピールしたいと誓う。
 最後に現役球児へのメッセージを聞いた。
「自分はケガに苦しんだので、ケガをしない体を作ったり、ケアをしっかりとやってほしいです。悔いの残らないような日々を過ごして頑張って下さい」
 森伊は高校3年間で一番苦しかったのは2年秋から冬にかけての時期だったという。故障で苦しんだ森伊だからこそのメッセージだった。

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初鹿文彦監督からの贈る言葉

誰にも負けない心を持っている子です。どこに出しても恥ずかしくありません。試合で勝てなくて、苦しんだ時期もありました。そんな中でも腐らずにひたむきに取り組む姿を見て、「なんで野球の神様はコイツを勝たせてくれないんだろう」と思ったこともありました。この経験が必ず将来に生きると信じています。

■森伊晃基[もりい・こうき]投手/知徳3年/167cm70Kg/左投左打
1999年6月23日生まれ、大阪府寝屋川市出身。小学1年時に「神田スコーピオン」で野球を始める。中学時代は「大阪球道」に所属。知徳入学後、1年春からベンチ入り。2年秋からエースとなる。最速136キロのストレートにはキレ味があり、多彩な変化球も操る。卒業後は東京国際大に進学する。

 「知徳に来て、初鹿先生と『人柄野球』ができて本当に良かった」と語ってくれた森伊。大学でも、みんなから愛される人間になって下さい。次回は天竜・日高純平編、お楽しみに!

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2018年2月 2日 (金)

静岡を巣立つ球児たち2018~森伊晃基編・上

 「静岡高校野球2018早春号」が発売となり、編集部では卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行っています。
 第1回は1年春から公式戦のマウンドに上がり、好左腕として注目を浴びた森伊晃基(知徳)です。卒業後は東京国際大に進学する森伊のインタビューを2回にわたってお届けします。

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静岡を巣立つ球児たち2018~森伊晃基編・上

★人間性を磨いた中学時代
 そのデビューは衝撃的だった。
 2015年春の県大会、1年生左腕・森伊晃基は甲子園帰りの静岡高・内山竣(現明治大)から三振を奪った。
「ツーストライクスリーボールから、最後はスライダーでした」
 小柄ながら、体全体を使ったバランスのいいフォーム。何より、1年生とは思えない豪快な腕の振りと度胸の良さが魅力だった。「いい左ピッチャーが出てきた」と、スタンドは色めき立った。       

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これまでの野球人生を振り返る森伊(知徳)

 森伊は大阪府寝屋川市に生まれる。幼い頃は体が弱く、体力をつける目的で4歳から水泳教室に通った。野球を始めたのは小学1年生の時。野球好きの祖父の影響で少年野球チーム「神田スコーピオン」に入団した。
 左利きということもあり、すぐにピッチャーを命じられた。すると、入団してまもなく、4年生以下の試合でマウンドに上がった。
「その時は、あまりルールも分かっていなかったので、気にはしていなかったのですが…。あとから考えると、すごいことをしてしまったって思いました」
 森伊がいう「すごいこと」とは三者連続死球。状況がつかめないまま、マウンドを降りた。
 その後、森伊は投げ方の基礎をチームの指導者から学んでいく。右足を上げた時に間を作ること、上から投げることなど、投球スタイルの基盤をこの時期に培った。
「チームに入るまでキャッチボールすらやったことがなかったので、投げ方の基本を身につけた6年間でした」
 6年時にはエースとなり、四条畷市の大会でベスト4まで勝ち進んだ。
 中学は自宅から自転車で30分の距離にグランドがあった「大阪球道」(ヤングリーグ)に入団。全国大会出場は叶わなかったが、小西昭範監督の下で「人間性を学んだ3年間だった」と振り返る。
「『高校野球で活躍できるように』という指導でした。技術的なことはあまり言われず、練習態度や私生活のことをよく言われていた印象があります。あとは、トレーニングをかなりやりました。アップしたあとに、サーキットトレーニングがあって、腹筋、背筋を鍛えました」
 高校は「野球で勝負したい」と、寮生活が可能な学校を求めていた。そんな時、話があったのが知徳だった。森伊を指導した小西監督は日本航空(山梨)出身。高校時代の恩師が知徳・初鹿文彦監督だった。
 森伊は中学2年冬に知徳の練習を見学。その雰囲気の良さに感激し、即入学を決断したという。

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1年夏の県大会準々決勝では2番手として登板する

★1年冬に球速アップ
 知徳に入学すると、2学年上に村中克晃、1学年上に平林萌(ともに現星槎道都大)がいたが、春からベンチ入り。前述のように、県大会の静岡高戦で初登板した。
「僕の中で、静岡のチームと言えば、常葉菊川でした。その頃は静高がどんなチームか知らなかったんです。周りは『静高はすごい』って言っていましたが、自分は何も分からなくて。だから、意識することなく思い切っていけたのかもしれません」
 そして、夏の大会は背番号20をつけ、ベンチから「熱きエース」と呼ばれた村中の熱投を見守った。
「自分があの場所に立っていたらと考えると、村中さんはすごいと思いました。自分も投げたいという思いはありましたが、やっぱり、あの人に勝てないなっていう…」
 寮では村中と同部屋で過ごした森伊。自分と比べて、普段の生活から意識が違っていたという。
 「村中さんのすごいところは、自分のしっかりとしたルーティンがあるところです。練習から帰ってきたら、洗濯して、ご飯を食べて、また練習するっていう流れが決まっていて。自分の考えている通りに動いていく。夏の大会中も、誰よりも先にグランドに出て、走っていて。ここまでやらないと、あそこまでいけないのかと感じました」
 知徳は、村中の快投で優勝候補の常葉菊川を撃破すると、準々決勝の磐田南戦は延長15回再試合に。再試合の初回、2死一三塁というピンチの場面で出番はやってくる。夏は初登板だった。
 初球が大きく高めに抜けると、2球目が甘く入った。レフト前安打を浴び、結局、この1点が決勝点となってチームは敗れた。
「悔しかったです。先輩たちに申し訳ないという気持ちでいっぱいで。まだまだボールが遅くて、対応されてしまっていた。全体的にレベルアップしないとダメだと思いました」
 そこから森伊は練習で自分を追い込んでいく。冬の期間で上半身と下半身のトレーニングに励み、体重も10キロ増やした。春先になると、球質が変わっていた。秋までの最速は118キロだったが、約15キロアップし、130キロを超えてきた。
 順調な成長曲線を描いていた。
 ところが――。
 夏の大会を一ケ月後に控えた練習試合での出来事だった。
 リリーフでマウンドに上がった成立学園戦(東京)の8回、ヒジに猛烈な痛みが走った。「ピキッ」という初めての感覚だった。ここから森伊の苦悩が始まる。

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「静岡を巣立つ球児たち2018~森伊晃基編・下」は近日中に更新します!

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2017年3月16日 (木)

静岡を巣立つ球児たち2016<特別編>~鈴木大夢&村田大輔

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 先日のブログで予告した「静岡を巣立つ球児たち」の続編です。3月になって磐田南の鈴木大夢が名古屋大、村田大輔が慶應義塾大でそれぞれ野球を続けるという情報が入り、本人たちに会ってきました!

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 鈴木で思い出すのは2年夏の県大会準々決勝(対知徳)です。延長12回裏、2死一二塁の場面で打球はセンター後方へ。誰もがサヨナラだと思った瞬間、鈴木が走り込んでスーパーキャッチ。この神ってるプレーで試合は延長15回引き分けになり、翌日の勝利につながりました。
「後からいろいろな人に『何であの時に前進守備ではなかったの?』と聞かれるのですが、自分では二塁ランナーを刺せるところにいたつもりです。ただ、4月に来た戸塚監督は『自分たちが主体にやらないと、このチームは勝てない』という方針だったので、ポジショニングはみんなで細かく突き詰めて自信を持っていました」
03162 その後、2年秋は捕手、3年春からは球のスピードを買われて投手も務めた鈴木。5月には最速140キロをマークします。夏の大会は肩や足の故障もあって本調子ではなかったものの、3試合に登板。ベスト16進出に貢献しました。
 そして、夏の大会が終わってからは猛勉強の日々。当初は「高校で野球はやり切った」と上のレベルで続ける気持ちは無かったようです。
「実は名古屋大のオープンキャンパスに行った時にアメフト部の方から声をかけられて、アメフトに傾いた時期もありました」
 変化が訪れたのは、秋から冬にかけて。校舎から後輩の練習を眺めるうちに、「もう一度野球がしたい」という思いが強まったそうです。今年2月に名古屋大に合格。最終的には1学年上の先輩・齋藤雄大(現大阪教育大)に合格の報告した際に、「大学野球は面白いから絶対にやった方がいい」という話を聞き、入部を決断したとのことです。
 名古屋大は現在、愛知リーグの3部。鈴木は投打で活躍し、まずはチームを2部まで上げることを目指しています。
「高校で本格的にピッチャーのトレーニングをやったわけではないので、まだ球速は上がると思います。打つことも好きなので、両方やっていきたいです」
 大学でも文武両道を貫き、静岡の野球ファンを驚かせるような選手に成長して欲しいです。

03163 また、主将としてチームを牽引した村田は慶應義塾大に進みます。昨夏は1番打者として計4試合で7安打をマーク。4回戦の東海大静岡翔洋戦では、初回に三塁強襲安打を放ち、その後の大量得点につなげました。
 村田は、もともと東京六大学でプレーしたいという希望を持っていたと言います。
「六大学には華があり憧れていました。去年の秋に早慶戦を見に行ったときも『ザ・大学野球』という感じで、感動しました。自分も、あの舞台でプレーしたいです」 
 甲子園経験者も含め、全国から逸材が集まる名門。村田は「凄いところですが、頑張っていきたい」と誓ってくれました。
 その慶應義塾大は現在、『静岡高校野球2017早春号』でも紹介した倉田直幸が二塁のレギュラーを掴んでいます。その倉田の後釜になるくらいの選手になってくれたら嬉しいです。期待しています!

<写真/上から鈴木大夢、村田大輔(磐田南)>

■鈴木大夢[すずき・ひろむ]投手/磐田南3年/180cm75Kg/右投右打
小学2年時に祖父の影響で野球を始める。「浜松ホークス」、東部中では主に捕手。磐田南入学後、1年秋からレギュラー。2年夏は中堅手としてベスト4進出に貢献する。3年春からは投手。最速140キロのストレートを武器に勝負する。卒業後は名古屋大に進学する。

■村田大輔[むらた・だいすけ]投手/磐田南3年/170cm65Kg/右投左打
6歳の時に、父と兄の影響で野球を始め、「浜松蒲野球少年団」に入団。丸塚中では3年時に谷脇亮介(常葉橘)らとともに、県準優勝を果たす。磐田南では2年秋から主将。3年夏は「1番セカンド」としてチームを引っ張り、ベスト16進出。卒業後は慶應義塾大で野球を続ける。

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2017年3月10日 (金)

静岡を巣立つ球児たち2016~尾濵徹編・下

 オフシーズン企画「静岡を巣立つ球児たち」。今年も「静岡高校野球」編集部が、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、尾濵徹(浜松商3年)編です。 「静岡を巣立つ球児たち2016~尾濵徹編・上」はこちら

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★静高のV3を阻む
 夏の大会、浜松商は城南静岡、静岡西、小山を下して、4回戦に進出する。
 4回戦の相手は戦後初となる3年連続夏の甲子園を狙った静岡高だった。
「静高戦の前の日に、いつも一緒に登下校していた大浜(空)と帰りながら『俺たち、このままなら静高に勝てるんじゃないか』っていう話をしたことを覚えています」
 そう2人が自信を持ったほど、夏の大会に入ってから打線の状態が上向いていた。また、エースの大橋建斗も試合を重ねるごとに、球のキレが増していた。
 さらに、鈴木祥充監督は秘策として2年生の左腕・増田理人も用意していた。
03101 試合は浜松商が初回に1点を先制するも、その後、一進一退の攻防となる。                
 3回、もっとも警戒していた鈴木将平にライトフェンス直撃の一打を浴びて、これがランニング本塁打になってしまう。
「将平君はどこに投げても打たれる感じがあったのですが、逃げてはダメだと思っていたので、インコースの真っすぐとか、強気に攻めていきました」
 浜松商は6回に1点のリードを奪うと、その裏から増田がマウンドに上がった。いきなり、3者連続三振。80キロ台から90キロ台の変化球が冴え渡った。
「この3者連続三振でカーブが通用するなっていうのはありました。鈴木監督からも『カーブは相手に分かっていてもいいから投げろ』って言われていたので、それを徹底しました」 
 そして9回裏、二死2塁のピンチを迎え、打者は鈴木将だった。ここでも尾濵は臆することなく、初球に緩いカーブを使った。結果、ライトフライ。浜松商のスタンドは歓喜に沸き立き、鈴木監督の頬を涙がつたった。
 準々決勝では浜松学院を6対5で破ると、準決勝で待っていたのは因縁の相手・袋井だった。袋井は準々決勝で日大三島を撃破。30年ぶりの準決勝進出で勢いに乗っていた。
 浜松商は初回に3点を先制する。しかし4回に7失点。その裏、すぐに同点に追いつくが、6回と7回に大量失点。結局、10対14で敗れた。
「途中、一気に流れが相手にいってしまって、もうどうすることもできませんでした。雨が降っていて大橋のボールは甘く入ってくることもあったのですが、ボール自体は悪くなかったです。もう少し、自分が何とかできたら…。今でも悔いが残っています」
 
03102★チームを1部に上げたい
 尾濵は卒業後、愛知工業大に進む。現在は2部に低迷するものの、愛知大学リーグで通算17度優勝の名門だ。西崎幸広(元日本ハム他)、長谷部康平(元楽天)などプロ選手も多数輩出している。今季からチームの指揮をとるOBの平井光親監督も元プロ野球選手。かつてロッテに在籍し、首位打者を獲得した実績もある。
 大学での明確な目標を持っている。2年時にレギュラーを獲得、そしてチームの1部昇格に貢献する。
「最初に(前監督の)奥田好弘さんから誘われた時に、『君の力で1部に上げてほしい』と言われました。まずはそこを目指して頑張っていきます」
 昨夏、引退後は木製バットに慣れるため、主にティーバッティングを行って大学野球に備えた。 

★尾濵徹からのメッセージ
 最後に現役球児へのメッセージを聞いた。
「3年間、終わってみれば、すごく早かったです。後悔のないように、1日1日を大切に使ってください」
 尾濵は高校でもっとも成長した部分に「配球面」を挙げる。1年秋の苦い経験を糧に1球の大事さを学び、3年夏には打者心理を読み解く好リードでチームを8年ぶりとなる県ベスト4に導いた。ひたむきに努力を重ねる精神は、後輩たちにも受け継がれるはずだ。

鈴木祥充監督からの贈る言葉

夏にベスト4まで行けたのは尾濵の力によるところが大きかったです。実直な性格で、まだまだこれから伸びる選手。大学では好きな野球を4年間やり切って、最後は「プロに行きたい」と自分で思えるくらいの選手になって欲しいと思います。

■尾濵徹[おはま・てつ]捕手/浜松商3年/166cm67Kg/右投右打
6歳の時に「岡崎野球スポーツ少年団」で野球を始める。岡崎中時代は「浜松南シニア」でプレーし、投手と捕手を兼任する。浜松商入学後、1年秋からレギュラー。3年夏は県ベスト4進出を果たした。高校通算16本塁打。卒業後は愛知工業大へ進学する。

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 1月に発売した『静岡高校野球2017早春号』の「2016年夏監督が選ぶベストプレーヤーTOP10」という特集で、7位にランクインした尾濵。「特に浜松学院の吉田道監督があの子一人に負けたと絶賛していたよ」と伝えたら、「そんなことないですよ」と照れながら答えてくれた姿が印象に残っています。 鈴木監督も「大学でまだ伸びる可能性がある」と期待する捕手。強肩だけでなく、巧みなインサイドワークは、上のレベルにいくほど目立ってくるはずです。
 さて、2016年版の「静岡を巣立つ球児たち」は今回が最終回の予定でしたが、3月に入って編集部に「合格が決まって野球やります!」という情報が寄せられ、さらに追加で数人に会ってきました。来週以降、ブログで紹介します!

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2017年3月 1日 (水)

静岡を巣立つ球児たち2016~尾濵徹編・上

 4年目を迎えたオフ企画、「静岡を巣立つ球児たち」。「静岡高校野球」編集部が卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。最終回は浜松商の躍進を支えた強肩捕手・尾濵徹。卒業後は愛知工業大に進学する尾濵のインタビューを2回にわたってお届けします。

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★「浜松南シニア」でキャッチャーへ
 尾濵は6歳の時、兄・隼氏の影響で野球を始める。「岡崎野球スポーツ少年団」を経て、中学時代は「浜松南シニア」でプレーした。
 当時、「浜松南シニア」には鈴木嘉基(静岡高)を筆頭に、リトル時代、世界準優勝に輝いたメンバーが多く在籍していた。
030101_2 もともと少年野球では投手を務めていた尾濵だったが、中学2年生になる直前に転機が訪れる。佐野真樹夫総監督から「捕手をやってみないか」と提案された。
 最初は戸惑っていたものの、いざマスクをかぶってみると、辛さよりも楽しさが勝った。基礎を叩き込んでくれたのが、浜松商の捕手として甲子園を経験しているヘッドコーチの鈴木基由氏だった。
「キャッチャーをやるのは初めてでしたし、何も知らない状態だったので、鈴木コーチからキャッチング、ワンバンドストップ、スローイングなど基本的なことから教わりました。やってみると、バッターとの駆け引きが楽しくて、自分には合っているのかなと思いました」
 最上級生になると、捕手と投手を兼任して活躍。そして、高校は佐野総監督の勧めもあり、浜松商に進学する。

★県屈指の強肩捕手に成長
 浜松商入学後、1年夏から背番号12でベンチ入りを果たす。さらに秋からはレギュラーを掴む。
「1年夏からベンチ入り、秋からレギュラーっていうのは、高校に入る時の目標だったので、順調にきたと思いました」
 その後、扇の要として、チームを支えてきた尾濵。3年夏には、県屈指の強肩捕手との評価も受けた。
 今でも教訓となっている一つの試合がある。
03012 1年秋の西部大会初戦、袋井との試合だった。マウンドには、同じ1年生の大橋建斗が上がっていた。大橋、尾濵のバッテリーは大事な場面で走者を二塁に置き、カウント0-2と追い込んだ。ここで尾濵はスライダーで3球勝負にいったのだが、盗塁を許して、しかも、パスボール。一気に走者を生還させてしまった。その失点が響き、1対7で惨敗した。
「相手の監督から、自分たちが変化球で『3球勝負』にいくことがバレていたみたいで。甘さを痛感しました。そこから、練習試合では鈴木(祥充)監督とイニングごとに『なんで、このボールを投げたのか』を徹底的に話し合うようになりました」
 また、尾濵の最大の長所と言えるのが鉄砲肩だが、遠投90メートルと驚くような数字ではない。それが、3年夏前には1試合で3つの盗塁を刺すこともあった。二塁ベースに向かえば向かうほど伸びている球筋に特徴がある。しかも、二塁ベース上からブレない。意識しているのが足のステップだ。
「1つ上の代のショートを守っていた渥美(剛士/現中京大)さんから、『ステップさえ決まっていれば、いい球が来ているから』って言ってもらって。常に、ステップだけを意識して、あとは流れるままに投げていました」
 尾濱の成長と同時に、チームも2年春は県ベスト4、2年秋は県ベスト8進出と、「浜商復活」に向かって躍進を遂げていく。
 ところが、3年春は西部地区大会3回戦で袋井に敗退。「なぜか、袋井には勝てないんですよね」と首をかしげる。夏前になっても、エース・大橋の故障もあり、なかなかチーム状態が上がってこない。「このままでは絶対に夏は勝てない」と、OBから厳しい声をかけられることもあった。

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 「静岡を巣立つ球児たち2016~尾濵徹編・下」は近日中に更新します!

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2017年2月24日 (金)

静岡を巣立つ球児たち2016~朝比奈快編・下

 オフシーズン企画「静岡を巣立つ球児たち」。今年も「静岡高校野球」編集部が、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、朝比奈快(伊豆中央3年)編です。 「静岡を巣立つ球児たち2016~朝比奈快編・上」はコチラ

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★影山監督との出会い
 4月、富士宮西から影山英伸監督が異動となり、チームの指揮をとることになった。
「影山先生は凄い熱い先生だと聞いていました。残り4か月で不安もありましたけど、みんなで影山先生についていこうと一致しました」
 小川勇太郎主将が影山監督に「夏はベスト8に入りたい」と口にすると、「それなら俺も本気でお前たちと向き合う。妥協はしない」と気持ちのこもった言葉が返ってきた。
02241 影山監督は朝比奈の投球を毎日、ブルペンでチェックした。
「自分がブルペンに入る時は必ず、キャッチャーの後ろだったり、僕の近くに立って、アドバイスをしてくれました」
 朝比奈は、2年時までいい時と悪い時のムラが多い投手だった。そこで、常に一定の投球ができるように、影山監督とフォームの修正に取り組んだ。できる限り、無駄を減らして、スムーズに投げるフォームへ。時には腕の位置も少し下げるなど、試行錯誤を繰り返した。6月になり、ようやく完成に近づきつつあった。影山監督は朝比奈に対し、「お前は県で10本の指に入るピッチャーだと思う。プロになれる素質があるから頑張れ」と鼓舞した。
 夏前には球速が137キロまでアップ。練習試合では秋県ベスト4の浜松修学舎を5回無失点に抑えた。
 ただ、影山監督、本人ともに、一つだけ心配なことがあった。練習試合を通して、失点する時は序盤が多く、立ち上がりをいかに乗り切るかが課題だった。

★悔しすぎる初戦敗退
 夏の初戦の相手は静岡学園だった。朝比奈は初回に2失点、2回にも4失点と打ち込まれて降板。ベンチに戻ると、涙が溢れた。試合は6対10で敗退。早すぎる夏の終わりだった。
「2年夏も経験しているから、緊張自体はありませんでした。それよりも、最後の夏っていうことで力が入ってしまって。自分のせいで、みんなの夏を壊してしまいました」
 2年秋から、エースで4番。チームの大黒柱として「負けられない」という思いが、逆に力みにつながってしまったと回想する。
 夏の大会が終わり、悔しさからしばらくは放心状態だった。もともと野球を続けることも頭にあったが、自信をなくし、断念しかけていた。
 そんな時、お世話になった「沼津リトル」に挨拶に向かった。
 待っていたのは川口智監督の思いがけない一言だった。
「こんなところで、挫けていてはダメだ。一度、大学のセレクションを受けてみたらどうだ」
 朝比奈は影山監督と相談し、立正大や中央大(準硬式)のセレクションに参加した。結果、合格とはならなかったが、甲子園経験者など、全国から来た選手と混ざってプレーして、「もしかして自分も上でやっていけるのでは」と自信を深めた。 

02242★医療機器を研究したい
 最終的に朝比奈が選んだのは東都大学リーグに所属する芝浦工業大だった。現在は3部と低迷するが、過去には1部で優勝3回の経験がある。
「もともと高校1年の時から勉強の方で第1志望にしていた学校でした。理系で野球部のある大学は少ないのですが、調べてみたら野球部があって、東都リーグっていうレベルの高いところで。ここしかないと思いました」
 大学では「生命科学」という分野を専攻し、医療機器の研究をする予定だ。きっかけは中学3年生時の時だった。最後の夏の大会前、左ヒジに死球があたり、全治一ケ月という診断で夏を諦めかけた。しかし、どうしても試合に出たかった朝比奈は、MRI検査を受けることにした。そこで、レントゲン検査だけでは分からなかった血の塊が見つかったという。
 すぐに、その血を抜き取る治療を施すと、一週間程度で復帰。大会に間に合って、試合にも出場できた。
「僕も、そういう医療器具の開発をして、同じ思いの人を助けられたらと思いました」
 大学では野球と勉強を両立していくと誓う。

★朝比奈快からのメッセージ
 最後に現役球児へのメッセージを聞いた。
「高校野球の2年半、やっている間は辛い時もあって長いと思うんですけど、終わってみれば、あっという間でした。実際に引退してみると、『野球をやりたい』っていう気持ちになるので、高校時代の1日1日を大切にしてほしいです」
 「沼津リトル」で野球の楽しさを知り、「三島リトル」では仲間と競い合った。そして、高校では素質が少しずつ開花した。大学では「155キロを目指す」という朝比奈。持っている能力からすれば、決して不可能な目標ではない。 

影山英伸監督からの贈る言葉

潜在能力は高いものがあると思います。特にホップするようなストレートは魅力です。大学では、自分で考えて練習することを求められるので、そこに順応できれば伸びるでしょう。やるからには、社会人、プロを目指して頑張ってほしいです。

■朝比奈快[あさひな・かい]投手/伊豆中央3年/182cm80Kg/右投右打
小学2年時に「三島東スピリッツ」で野球を始め、6年時に「沼津リトル」に入団。三島南中時代は「三島シニア」に所属する。伊豆中央では2年秋からエース。最速137キロのストレートに加えて、鋭いスライダーなど多彩な変化球も駆使する。卒業後は芝浦工業大に進学。

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 11月に合格が決まり、そこから毎日のように練習に出ているという朝比奈。ブルペンでは感触が良く、本人曰く、140キロは超えているとのことです。芝浦工業大は今春、全面人工芝の新グランドが完成予定。そこで大いに練習を積み、155キロを投げて欲しいです。3年後にドラフト候補になった時、もう一度、取材に伺います。次回は浜松商・尾濵徹編、お楽しみに!

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2017年2月22日 (水)

静岡を巣立つ球児たち2016~朝比奈快編・上

 5年目を迎えたオフ企画、「静岡を巣立つ球児たち」。「静岡高校野球」編集部が卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。第5回は気迫溢れる投球スタイルで最速137キロの剛球を投げ込む朝比奈快(伊豆中央)。卒業後は芝浦工業大に進学する朝比奈のインタビューを2回にわたってお届けします。

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★「沼津リトル」で野球の楽しさを知る
 朝比奈は小学2年時に友人に誘われて「三島東スピリッツ」で野球を始めた。主に捕手としてプレーし、県大会にも出場する。その後、6年生になり、「早めに硬式ボールに慣れておきたい」と、「沼津リトル」に入団する。
 「沼津リトル」で出会ったのが、長年チームを率いている川口智監督だった。朝比奈は練習生という形になり、公式戦には出場できなかったが、投手の基礎を一から学んだ。
 川口監督は野球の楽しさを教えながら、一方で「打ち取った打球でも野手がエラーしたら、そこに打たせた投手が悪い。絶対に人にせいにしてはならない」という指導方針の下、厳しく接した。朝比奈は「この1年間こそが自分の原点になっている」と振り返る。
 中学に上がると、「三島シニア」に入団した。「三島の少年野球チームから選手が集まってくる」と聞き、「レベルの高いところで競い合ってみたい」と思ったからだ。
 実際に、山本優輝(静岡高)、佐藤蓮(飛龍)、土屋大樹(日大三島)など、その後、高校野球で活躍する錚々たるメンバーが集まっていた。

★伊豆中央で再び投手に
 最上級生になり、朝比奈は三塁や遊撃で試合に出場した。肩が強く、バッティングもいい。チーム内の30分間の持久走では、トップをキープすることがほとんど。身体能力が高かった。
「三島シニアで学んだのは打撃での積極性です。小学校の時までは自分の好きなボールがくるのを待っていたりしていたんですけど、三島シニアでは積極的に打つ大事さを教わり、それが高校でも生きました」
 3年生になると、将来性に注目した県内の強豪校から誘いをうけた。しかし、実際に練習見学すると、そこで本当にレギュラーを獲ることができるのか不安になった。また、高校では投手に挑戦したかった。声をかけてくれた高校は野手として評価してくれていたが、「沼津リトル」で味わった投手の面白さを忘れることができなかった。 
 そんなとき、「三島シニア」でチームメートだった佐藤諒太の父が伊豆中央の同窓会長を務めていた縁で、一度、伊豆中央を覗きにいくことした。グランドでは、恒例の現役とOBの試合が行われていた。
「チームとして、緩くもなく、厳しくもなく、ここならやっていけると思いました」
 朝比奈は伊豆中央への進学を決意した。

02221_4★体力強化で球威がアップ
 高校入学後、1年秋からは「5番サード」で出場。2番手投手としても、経験を積む。2年夏はエース・成清健智が6回まで無失点に抑えるも、足がつってしまうアクシデントがあり、7回から登板。3回を1失点に抑え、初戦突破に貢献する。しかし、続く三島北戦では5回途中からマウンドに上がり、失点を重ねた。結局、相手の勢いを止めることができず、3対8で敗退した。
 2年秋からエースになると、夏の悔しさを晴らそうと、気合が入った。だが、東部地区大会で敗れ、県大会出場を逃す。
「夏の大会に負けた時、先輩たちから『新チームはお前が背負っていけ』って言われて、へんに責任感を感じてしまうことがありました。気持ちが先走って結果が出ませんでした」 
 朝比奈はその冬、下半身を徹底的に鍛え直した。毎日10キロのランニングを行うと決め、それを実行。筋力トレーニングもメニューを決めて、必死にこなした。効果はすぐに現れる。体重が5キロアップし、それに比例するように、球威も上がっていった。
 迎えた3月、日大三島との練習試合で7回を2失点にまとめる。ほぼベストメンバーだった相手に対しての好投で、大きな手ごたえを掴んだ。

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「静岡を巣立つ球児たち2016~朝比奈快編・下」は近日中に更新します!

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2017年2月15日 (水)

静岡を巣立つ球児たち2016~叺田本気編・下

 オフシーズン企画「静岡を巣立つ球児たち」。今年も「静岡高校野球」編集部が、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、叺田本気(菊川南陵3年)編です。 「静岡を巣立つ球児たち2016~叺田本気編・上」はコチラ

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★高校野球、最初で最後の夏
<エースは140キロを投げて、キャッチャーは県屈指の強肩。その他にも、関西出身のポテンシャルの高い選手が揃っている>
 夏を前にして、菊川南陵の前評判は高くなる一方だった。ところが、実際は春に島田商に敗れたあと、練習試合で投打が噛み合わず、チーム状況は苦しかった。頼みのエース・杉浦一平も今一つ、状態が上がってこなかった。
02141 初戦の相手は強豪・飛龍。相手は菊川南陵打線が苦手としていた左投手だった。
「田中監督と相談し、いろいろと研究して、対策を練っていったのですが…」
 初回、いきなり2点の先制を許すと、2回、4回にも得点を与えてしまう。そして、8回に一挙3失点。打線もキレのある内角のストレートに対応できなかった。
 0対7――。
 まさかの8回コールド負け。叺田にとって高校野球人生、初めての夏の大会は、わずか1試合で幕を閉じた。
 試合後、涙にくれる選手たちは愛鷹球場のスタンド外に移動した。選手を代表して主将の叺田は部員や父兄を前に「ありがとうございます」と声を絞り出した。集まった記者から「今後、進路は?」と問いかけられると、「もう野球はこれで終わりにします。大学では続けません」ときっぱりと語った。

★全国Vの凄さを味わう
「夏は自分の思い通りにできなくて…。期待されていた分、その期待に応えられなかったっていうことが悔しかったです」
 進路については、夏前まで白紙だった。とにかく、夏の大会で勝ち上がっていけば、必ず東都リーグなどの強豪チームから声がかかる。そう信じていた。
 けれど、実際は初戦負け。実力不足を痛感し、上で続ける自信を失った。
 そこから、約2か月は悶々とした日々を過ごした。野球を続けることに対する情熱と不安が入り交ざった。
 10月初旬、学校関係者から岐阜に中京学院大というチームがあることを教えてもらった。その時点で叺田は中京学院大が春の全日本大学選手権で優勝していたことを知らなかった。
 岐阜聖徳学園大でプレーした経験を持つ谷口翔汰部長から、岐阜リーグのレベルの高さを説明され、一度、見に行くことを決めた。
 そこで叺田は度肝を抜かれた。
 室内練習場に入り、まず目に飛び込んできたのは、打撃練習で快音を響かせていた一人の左バッターだった。
「凄い左バッターがおるんやなと思って。今まで自分が見たことのないようなスイングスピードでした」
 叺田が見たのは、その数日後のドラフト会議で巨人からドラフト1位で指名を受ける、大学ナンバーワン遊撃手とも言われた吉川尚輝だった。 
「打撃はウリではないと聞いていたのですが、驚きました。他の選手もスピード感があって、一瞬で感動してしまいました」
 叺田は中京学院大に進むことを即決すると、すぐに体作りに取り組んだ。食事とウエイトトレーニングに励み、昨年の夏よりも体重を6キロ増やした。目標は1年からレギュラーを掴むことだ。
「まず試合に出ないと、その先のプロとかも見えてこないと思うので、レギュラーを獲って、4年後は凄い選手になっていたいと思います」

02142★叺田本気からのメッセージ
 最後に現役球児へのメッセージを聞いた。
「高校野球は3年間しかありません。その中で、自分の思うような結果が出る人もいれば、出ない人もいると思います。でも、結果が出なくても、めげずに頑張って欲しいです。自分も悩むことがありましたが、その時は仲間と話したり、指導者の方とコミニュケーションをとったりして、いい方向にもっていくことを考えていました」
 叺田は菊川南陵で約2年半を過ごし、「我慢強くなった」という。どちらかというと、中学生までは思ったことをすぐに口に出していたタイプだったが、静岡の地で野球ができる喜びを感じ、周りの人間を大切にする心も養った。
 持っているポテンシャルの高さは誰もが認める。高校で培った苦しさ、悔しさを糧に、全国優勝チームで腕を磨く。

谷口翔汰部長からの贈る言葉

何事も諦めずにやって欲しいです。環境が変わることで、いろいろな苦しいこともあると思いますが、高い目標だけを見ておけば、目の前の小さなことは一個ずつ階段を登っていくことができます。僕も岐阜リーグにいた人間として、レベルの高さを知っていますが、プロになるっていう目標だけは忘れずに頑張ってもらいたいです。4年後、いい報告が聞けるのを待っています。

■叺田本気[かますだ・もとき]捕手/菊川南陵3年/183cm80Kg/右投右打
小学4年時に野球を始め、「富木ロイヤルズ」に入団。中学は「和泉ボーイズ」でプレーし、2年秋には関西選抜に選ばれる。菊川南陵に1年夏に転校。2年秋からレギュラーとなり、主将も務めた。3年夏は初戦敗退。プロも注目した遠投115メートルの強肩を生かし、中京学院大では1年時からレギュラーを目指す。

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 野球部から陸上部に転部し、昨年、全国高校総体のやり投げで8位に輝いた前田秀悟(菊川南陵)と叺田は「和泉ボーイズ」からのチームメートだそうです。この春、前田は法政大に進学。2020年の東京五輪を目指します。前田が陸上部に移ってからも、2人は寮の部屋が一緒だったとのこと。「アイツは陸上をやってから、ストイックに自分を追い込んでいて、自分も影響を受けました」。大学で道は分かれますが、お互いの夢を実現して欲しいと思います。次回は伊豆中央・朝比奈快編、お楽しみに!

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2017年2月11日 (土)

静岡を巣立つ球児たち2016~叺田本気編・上

 5年目を迎えたオフ企画、「静岡を巣立つ球児たち」。「静岡高校野球」編集部が卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。第4回は強肩捕手としてプロもマークした叺田本気(菊川南陵)。卒業後は中京学院大に進学する叺田のインタビューを2回にわたってお届けします。

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★中学2年で受けた衝撃
「なんやコイツら、上手すぎるわ」
 そこには、寺島成輝(履正社→東京ヤクルト)、井町大生(履正社)、納大地(智辯学園)、高垣鋭次(智辯和歌山)、松井永吉(尽誠学園)など、関西のボーイズを代表する逸材が揃っていた。
 中学2年時、ボーイズリーグの関西選抜チームに選ばれた叺田は「その後の自分の人生を変えたと言ってもいいくらい」の衝撃を受けた。 
 場所は京セラドーム大阪。関西を北と南に分けて交流試合を行った。叺田は途中出場ながら、ソツなくプレーをこなした。今でも当時のことを鮮明に覚えている。
「とにかく周りのヤツらが凄くて、自分も負けないように、もっと上を目指したいという気持ちになりました」
02111 叺田が野球を始めたのは小学4年時。それまでは子供会のソフトボールチームに所属していた。どうしても「野球」をプレーしたいという思いが強く、小学4年時にチームを求めて家族で隣町まで引っ越した。
 中学は「和泉ボーイズ」(大阪)に所属。そこで今でも尊敬する吉井裕介監督と出会った。厳しくも、愛情のある指揮官。「吉井監督の方針が自分にはまって成長できた」と振り返る。
 その頃、主に「1番セカンド」で試合に出場。2年秋の全国大会の予選で活躍し、前述の選抜メンバーに選出された。同世代のトップレベルのプレーを間近で見て、次第に「上には上がいる。高校は強豪校で甲子園を狙ってみたい」と考えるようになった。叺田は日本航空(山梨)に進学する。
 
★転校して捕手に挑戦
 しかし、入学早々、部内のトラブルに巻き込まれて7月に退学。菊川南陵に転校した。「静岡の地でもう一度甲子園へ目指す」と決意する。
 ここで叺田は本格的にキャッチャーに挑戦する。じつは中学3年夏に一度だけ、レギュラーのキャッチャーが故障し、急遽、大会でマスクをかぶったことがあった。菊川南陵には肩の強さを知っていた「和泉ボーイズ」の仲間もいて、「ウチはキャッチャーが少ないから、やってみろよ」と勧められた。
 ただ、高校野球の規定で転校生は1年間、公式戦に出場できない。その間、練習試合に出場しながら腕を磨いた。走者が盗塁を試みれば、二塁ベース手前でホップするような強肩を披露。相手チームを驚かせたことは一度や二度ではない。
 ようやく1年が過ぎたが、2年秋は部内の不祥事で出場は叶わず。公式戦デビューは3年春までお預けとなった。

021102
2015年秋から監督を務めた田中幸雄氏

★田中監督から基本を学ぶ
 その間、元プロの田中幸雄氏(現和歌山南陵コーチ)が監督に就任。キャッチャーとしてのイロハを学んだ。
「プロ野球って派手なプレーのイメージがあったんですけど、それよりも、田中監督は基本を大事にされている方で。捕る動作、投げる動作、配球などを一から丁寧に教えてもらいました」
 チームは本格派右腕・杉浦一平と叺田のバッテリーを中心に、いい形に仕上がっていった。
「秋から冬の練習試合での勝率が良くて、冬も高いモチベーションで練習ができました」
 迎えた春季大会、西部大会の準々決勝で常葉菊川に敗れたものの、県大会出場を決める。4番に座った叺田は6打席連続安打を含む、3試合で打率・703をマーク。能力をいかんなく発揮した。
 しかし、県大会では島田商相手に0対4で完敗。好左腕・北川裕登の緩急を使った投球の前に、チームは14奪三振を喫した。
「この試合の後からですね。チームが噛み合わず、勝てなくなったんです…」
 叺田は俯きながら、そう呟いた。

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「静岡を巣立つ球児たち2016~叺田本気編・下」は近日中に更新します!

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