静岡を巣立つ球児たち2021~野ヶ本英典(磐田東→近畿大)
静岡を巣立ち大学でプレーを続ける注目球児を紹介する企画。第3回は近畿大に進学する大型左腕・野ヶ本英典(磐田東)です。
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★才能の開花
全力で腕を振り抜いた夏だった。190センチの長身から投げ込むストレートは最速139キロをマーク。高校入学後、期待され続けてきた左腕が3年春から夏にかけて急成長を遂げていた。
転機は2年夏にベンチを外れたことだったという。
「2年夏は大会前にギリギリまで遠征に連れていってもらっていたんですけど、最終選考でメンバーから落とされて。このままではダメだって思いました」
小学3年生から始めた野球。学童の「相良スワローズ野球スポーツ少年団」、中学の「小笠浜岡シニア」を通じ、いつも身長は同学年の選手に比べて飛び抜けて大きかった。一方で体が堅く、そのポテンシャルを十分に生かしきれていなかった。
高校2年秋から取り組んだのが柔軟性の強化だった。
山内克之監督(前監督)からアドバイスをもらい、風呂上がりのストレッチはもちろん、時間があれば常に体をほぐした。すると、2年冬が過ぎた3年春から球速が伸び始める。
「投げる際の足の歩幅が一歩半くらい伸びました。二俣(翔一)のキャッチングを見ていても、球が伸びていることを感じました」
球速が上がることで試合中に爪が割れることもあったが、「それも指にかかっている証拠」と前向きにとらえた。
「山内監督からは『指にかかりすぎてリリースでピチピチ聞こえるぞ』と言われました。でも『いいことだ』ともアドバイスをもらったので、割れた爪はマネキュアで固めたりして投げていました」
★悩み抜いて決断した夏
だが、初めてエースナンバーを背負った3年夏、思わぬアクシデントに見舞われる。
2回戦の掛川西戦。3回途中に突如、連続でボールがすっぽ抜けた。ヒジが痺れる。それまでの野球人生で味わったことのない感覚だった。異変に気付いた二俣がマウンドに駆け寄って「どうしたんだ? 球が全然違うぞ」と心配すると、野ヶ本は「ヒジがヤバイかも」と話し、次の回から交代した。
それでも野ヶ本は「仲間のために投げたい」と4回戦の常葉大菊川戦に照準を合わせた。
「病院の先生からは大学で続けたいのなら、注射を打つのは止めた方がいいって言われて。本当に悩んで……。3年間一緒にやってきた仲間と戦う最後の夏なので、正直投げたいという気持ちもありました」
逡巡を繰り返した野ヶ本。最終的に注射を打つことはなく、球場に向かった。
「ヒジをテーピングで巻いてもらい出来る限りのことはしました」
しかし、球場入りしてキャッチボールすると、塁間の距離しか球が届かなかった。
「それで投げるのは止めようと思いました。逆にこれで投げたら、チームに迷惑をかけてしまうので仲間を信じました」
結果、1対4で敗戦。この夏を最後に勇退する山内監督の最後の試合となった。
「高校に入って2年間は伸び悩みましたが、監督には1年のときからフォームやトレーニング方法など、たくさんのことを教えてもらいました。最後は優勝で送ることができませんでしたが、大学で頑張り、今度は神宮球場に監督を招待したいです」
★ドラフト1位を目指す
卒業後は近畿大に進学する。夏の大会後、これまで以上に体の柔軟性を高めた。ヒジの故障も少しずつ癒え、大学での飛躍を誓う。狙うは4年後のプロ入りだ。
「ドラフト1位でプロに行きたいです。中学のときから一緒にやってきた二俣には負けていられないので。そのためには大学で150キロを出すことが通過点だと思っています」
高校時代に支え合ったチームメートや恩師のために、必ず夢を実現する。
山本幸司監督からの贈る言葉 高校3年間で安定感が出てきました。ですが、まだまだ大きく伸びる選手。まずは大学で地道に体を作り、社会人やプロの世界を目指してほしいです。 |
■野ヶ本英典[のがもと・ひでのり]投手/磐田東/190cm90kg/左投左打
2002年6月1日生まれ、静岡県牧之原市出身。小学3年時に「相良スワローズ野球スポーツ少年団」で野球を始める。中学時代は「小笠浜岡シニア」に所属し、3年春に関東大会出場。高校入学後、1年秋から登板。3年夏はエースを務めた。卒業後は近畿大に進学する。