静岡を巣立つ球児たち

2017年3月16日 (木)

静岡を巣立つ球児たち2016<特別編>~鈴木大夢&村田大輔

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 先日のブログで予告した「静岡を巣立つ球児たち」の続編です。3月になって磐田南の鈴木大夢が名古屋大、村田大輔が慶應義塾大でそれぞれ野球を続けるという情報が入り、本人たちに会ってきました!

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 鈴木で思い出すのは2年夏の県大会準々決勝(対知徳)です。延長12回裏、2死一二塁の場面で打球はセンター後方へ。誰もがサヨナラだと思った瞬間、鈴木が走り込んでスーパーキャッチ。この神ってるプレーで試合は延長15回引き分けになり、翌日の勝利につながりました。
「後からいろいろな人に『何であの時に前進守備ではなかったの?』と聞かれるのですが、自分では二塁ランナーを刺せるところにいたつもりです。ただ、4月に来た戸塚監督は『自分たちが主体にやらないと、このチームは勝てない』という方針だったので、ポジショニングはみんなで細かく突き詰めて自信を持っていました」
03162 その後、2年秋は捕手、3年春からは球のスピードを買われて投手も務めた鈴木。5月には最速140キロをマークします。夏の大会は肩や足の故障もあって本調子ではなかったものの、3試合に登板。ベスト16進出に貢献しました。
 そして、夏の大会が終わってからは猛勉強の日々。当初は「高校で野球はやり切った」と上のレベルで続ける気持ちは無かったようです。
「実は名古屋大のオープンキャンパスに行った時にアメフト部の方から声をかけられて、アメフトに傾いた時期もありました」
 変化が訪れたのは、秋から冬にかけて。校舎から後輩の練習を眺めるうちに、「もう一度野球がしたい」という思いが強まったそうです。今年2月に名古屋大に合格。最終的には1学年上の先輩・齋藤雄大(現大阪教育大)に合格の報告した際に、「大学野球は面白いから絶対にやった方がいい」という話を聞き、入部を決断したとのことです。
 名古屋大は現在、愛知リーグの3部。鈴木は投打で活躍し、まずはチームを2部まで上げることを目指しています。
「高校で本格的にピッチャーのトレーニングをやったわけではないので、まだ球速は上がると思います。打つことも好きなので、両方やっていきたいです」
 大学でも文武両道を貫き、静岡の野球ファンを驚かせるような選手に成長して欲しいです。

03163 また、主将としてチームを牽引した村田は慶應義塾大に進みます。昨夏は1番打者として計4試合で7安打をマーク。4回戦の東海大静岡翔洋戦では、初回に三塁強襲安打を放ち、その後の大量得点につなげました。
 村田は、もともと東京六大学でプレーしたいという希望を持っていたと言います。
「六大学には華があり憧れていました。去年の秋に早慶戦を見に行ったときも『ザ・大学野球』という感じで、感動しました。自分も、あの舞台でプレーしたいです」 
 甲子園経験者も含め、全国から逸材が集まる名門。村田は「凄いところですが、頑張っていきたい」と誓ってくれました。
 その慶應義塾大は現在、『静岡高校野球2017早春号』でも紹介した倉田直幸が二塁のレギュラーを掴んでいます。その倉田の後釜になるくらいの選手になってくれたら嬉しいです。期待しています!

<写真/上から鈴木大夢、村田大輔(磐田南)>

■鈴木大夢[すずき・ひろむ]投手/磐田南3年/180cm75Kg/右投右打
小学2年時に祖父の影響で野球を始める。「浜松ホークス」、東部中では主に捕手。磐田南入学後、1年秋からレギュラー。2年夏は中堅手としてベスト4進出に貢献する。3年春からは投手。最速140キロのストレートを武器に勝負する。卒業後は名古屋大に進学する。

■村田大輔[むらた・だいすけ]投手/磐田南3年/170cm65Kg/右投左打
6歳の時に、父と兄の影響で野球を始め、「浜松蒲野球少年団」に入団。丸塚中では3年時に谷脇亮介(常葉橘)らとともに、県準優勝を果たす。磐田南では2年秋から主将。3年夏は「1番セカンド」としてチームを引っ張り、ベスト16進出。卒業後は慶應義塾大で野球を続ける。

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2017年3月10日 (金)

静岡を巣立つ球児たち2016~尾濵徹編・下

 オフシーズン企画「静岡を巣立つ球児たち」。今年も「静岡高校野球」編集部が、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、尾濵徹(浜松商3年)編です。 「静岡を巣立つ球児たち2016~尾濵徹編・上」はこちら

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★静高のV3を阻む
 夏の大会、浜松商は城南静岡、静岡西、小山を下して、4回戦に進出する。
 4回戦の相手は戦後初となる3年連続夏の甲子園を狙った静岡高だった。
「静高戦の前の日に、いつも一緒に登下校していた大浜(空)と帰りながら『俺たち、このままなら静高に勝てるんじゃないか』っていう話をしたことを覚えています」
 そう2人が自信を持ったほど、夏の大会に入ってから打線の状態が上向いていた。また、エースの大橋建斗も試合を重ねるごとに、球のキレが増していた。
 さらに、鈴木祥充監督は秘策として2年生の左腕・増田理人も用意していた。
03101 試合は浜松商が初回に1点を先制するも、その後、一進一退の攻防となる。                
 3回、もっとも警戒していた鈴木将平にライトフェンス直撃の一打を浴びて、これがランニング本塁打になってしまう。
「将平君はどこに投げても打たれる感じがあったのですが、逃げてはダメだと思っていたので、インコースの真っすぐとか、強気に攻めていきました」
 浜松商は6回に1点のリードを奪うと、その裏から増田がマウンドに上がった。いきなり、3者連続三振。80キロ台から90キロ台の変化球が冴え渡った。
「この3者連続三振でカーブが通用するなっていうのはありました。鈴木監督からも『カーブは相手に分かっていてもいいから投げろ』って言われていたので、それを徹底しました」 
 そして9回裏、二死2塁のピンチを迎え、打者は鈴木将だった。ここでも尾濵は臆することなく、初球に緩いカーブを使った。結果、ライトフライ。浜松商のスタンドは歓喜に沸き立き、鈴木監督の頬を涙がつたった。
 準々決勝では浜松学院を6対5で破ると、準決勝で待っていたのは因縁の相手・袋井だった。袋井は準々決勝で日大三島を撃破。30年ぶりの準決勝進出で勢いに乗っていた。
 浜松商は初回に3点を先制する。しかし4回に7失点。その裏、すぐに同点に追いつくが、6回と7回に大量失点。結局、10対14で敗れた。
「途中、一気に流れが相手にいってしまって、もうどうすることもできませんでした。雨が降っていて大橋のボールは甘く入ってくることもあったのですが、ボール自体は悪くなかったです。もう少し、自分が何とかできたら…。今でも悔いが残っています」
 
03102★チームを1部に上げたい
 尾濵は卒業後、愛知工業大に進む。現在は2部に低迷するものの、愛知大学リーグで通算17度優勝の名門だ。西崎幸広(元日本ハム他)、長谷部康平(元楽天)などプロ選手も多数輩出している。今季からチームの指揮をとるOBの平井光親監督も元プロ野球選手。かつてロッテに在籍し、首位打者を獲得した実績もある。
 大学での明確な目標を持っている。2年時にレギュラーを獲得、そしてチームの1部昇格に貢献する。
「最初に(前監督の)奥田好弘さんから誘われた時に、『君の力で1部に上げてほしい』と言われました。まずはそこを目指して頑張っていきます」
 昨夏、引退後は木製バットに慣れるため、主にティーバッティングを行って大学野球に備えた。 

★尾濵徹からのメッセージ
 最後に現役球児へのメッセージを聞いた。
「3年間、終わってみれば、すごく早かったです。後悔のないように、1日1日を大切に使ってください」
 尾濵は高校でもっとも成長した部分に「配球面」を挙げる。1年秋の苦い経験を糧に1球の大事さを学び、3年夏には打者心理を読み解く好リードでチームを8年ぶりとなる県ベスト4に導いた。ひたむきに努力を重ねる精神は、後輩たちにも受け継がれるはずだ。

鈴木祥充監督からの贈る言葉

夏にベスト4まで行けたのは尾濵の力によるところが大きかったです。実直な性格で、まだまだこれから伸びる選手。大学では好きな野球を4年間やり切って、最後は「プロに行きたい」と自分で思えるくらいの選手になって欲しいと思います。

■尾濵徹[おはま・てつ]捕手/浜松商3年/166cm67Kg/右投右打
6歳の時に「岡崎野球スポーツ少年団」で野球を始める。岡崎中時代は「浜松南シニア」でプレーし、投手と捕手を兼任する。浜松商入学後、1年秋からレギュラー。3年夏は県ベスト4進出を果たした。高校通算16本塁打。卒業後は愛知工業大へ進学する。

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 1月に発売した『静岡高校野球2017早春号』の「2016年夏監督が選ぶベストプレーヤーTOP10」という特集で、7位にランクインした尾濵。「特に浜松学院の吉田道監督があの子一人に負けたと絶賛していたよ」と伝えたら、「そんなことないですよ」と照れながら答えてくれた姿が印象に残っています。 鈴木監督も「大学でまだ伸びる可能性がある」と期待する捕手。強肩だけでなく、巧みなインサイドワークは、上のレベルにいくほど目立ってくるはずです。
 さて、2016年版の「静岡を巣立つ球児たち」は今回が最終回の予定でしたが、3月に入って編集部に「合格が決まって野球やります!」という情報が寄せられ、さらに追加で数人に会ってきました。来週以降、ブログで紹介します!

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2017年3月 1日 (水)

静岡を巣立つ球児たち2016~尾濵徹編・上

 4年目を迎えたオフ企画、「静岡を巣立つ球児たち」。「静岡高校野球」編集部が卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。最終回は浜松商の躍進を支えた強肩捕手・尾濵徹。卒業後は愛知工業大に進学する尾濵のインタビューを2回にわたってお届けします。

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★「浜松南シニア」でキャッチャーへ
 尾濵は6歳の時、兄・隼氏の影響で野球を始める。「岡崎野球スポーツ少年団」を経て、中学時代は「浜松南シニア」でプレーした。
 当時、「浜松南シニア」には鈴木嘉基(静岡高)を筆頭に、リトル時代、世界準優勝に輝いたメンバーが多く在籍していた。
030101_2 もともと少年野球では投手を務めていた尾濵だったが、中学2年生になる直前に転機が訪れる。佐野真樹夫総監督から「捕手をやってみないか」と提案された。
 最初は戸惑っていたものの、いざマスクをかぶってみると、辛さよりも楽しさが勝った。基礎を叩き込んでくれたのが、浜松商の捕手として甲子園を経験しているヘッドコーチの鈴木基由氏だった。
「キャッチャーをやるのは初めてでしたし、何も知らない状態だったので、鈴木コーチからキャッチング、ワンバンドストップ、スローイングなど基本的なことから教わりました。やってみると、バッターとの駆け引きが楽しくて、自分には合っているのかなと思いました」
 最上級生になると、捕手と投手を兼任して活躍。そして、高校は佐野総監督の勧めもあり、浜松商に進学する。

★県屈指の強肩捕手に成長
 浜松商入学後、1年夏から背番号12でベンチ入りを果たす。さらに秋からはレギュラーを掴む。
「1年夏からベンチ入り、秋からレギュラーっていうのは、高校に入る時の目標だったので、順調にきたと思いました」
 その後、扇の要として、チームを支えてきた尾濵。3年夏には、県屈指の強肩捕手との評価も受けた。
 今でも教訓となっている一つの試合がある。
03012 1年秋の西部大会初戦、袋井との試合だった。マウンドには、同じ1年生の大橋建斗が上がっていた。大橋、尾濵のバッテリーは大事な場面で走者を二塁に置き、カウント0-2と追い込んだ。ここで尾濵はスライダーで3球勝負にいったのだが、盗塁を許して、しかも、パスボール。一気に走者を生還させてしまった。その失点が響き、1対7で惨敗した。
「相手の監督から、自分たちが変化球で『3球勝負』にいくことがバレていたみたいで。甘さを痛感しました。そこから、練習試合では鈴木(祥充)監督とイニングごとに『なんで、このボールを投げたのか』を徹底的に話し合うようになりました」
 また、尾濵の最大の長所と言えるのが鉄砲肩だが、遠投90メートルと驚くような数字ではない。それが、3年夏前には1試合で3つの盗塁を刺すこともあった。二塁ベースに向かえば向かうほど伸びている球筋に特徴がある。しかも、二塁ベース上からブレない。意識しているのが足のステップだ。
「1つ上の代のショートを守っていた渥美(剛士/現中京大)さんから、『ステップさえ決まっていれば、いい球が来ているから』って言ってもらって。常に、ステップだけを意識して、あとは流れるままに投げていました」
 尾濱の成長と同時に、チームも2年春は県ベスト4、2年秋は県ベスト8進出と、「浜商復活」に向かって躍進を遂げていく。
 ところが、3年春は西部地区大会3回戦で袋井に敗退。「なぜか、袋井には勝てないんですよね」と首をかしげる。夏前になっても、エース・大橋の故障もあり、なかなかチーム状態が上がってこない。「このままでは絶対に夏は勝てない」と、OBから厳しい声をかけられることもあった。

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 「静岡を巣立つ球児たち2016~尾濵徹編・下」は近日中に更新します!

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2017年2月24日 (金)

静岡を巣立つ球児たち2016~朝比奈快編・下

 オフシーズン企画「静岡を巣立つ球児たち」。今年も「静岡高校野球」編集部が、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、朝比奈快(伊豆中央3年)編です。 「静岡を巣立つ球児たち2016~朝比奈快編・上」はコチラ

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★影山監督との出会い
 4月、富士宮西から影山英伸監督が異動となり、チームの指揮をとることになった。
「影山先生は凄い熱い先生だと聞いていました。残り4か月で不安もありましたけど、みんなで影山先生についていこうと一致しました」
 小川勇太郎主将が影山監督に「夏はベスト8に入りたい」と口にすると、「それなら俺も本気でお前たちと向き合う。妥協はしない」と気持ちのこもった言葉が返ってきた。
02241 影山監督は朝比奈の投球を毎日、ブルペンでチェックした。
「自分がブルペンに入る時は必ず、キャッチャーの後ろだったり、僕の近くに立って、アドバイスをしてくれました」
 朝比奈は、2年時までいい時と悪い時のムラが多い投手だった。そこで、常に一定の投球ができるように、影山監督とフォームの修正に取り組んだ。できる限り、無駄を減らして、スムーズに投げるフォームへ。時には腕の位置も少し下げるなど、試行錯誤を繰り返した。6月になり、ようやく完成に近づきつつあった。影山監督は朝比奈に対し、「お前は県で10本の指に入るピッチャーだと思う。プロになれる素質があるから頑張れ」と鼓舞した。
 夏前には球速が137キロまでアップ。練習試合では秋県ベスト4の浜松修学舎を5回無失点に抑えた。
 ただ、影山監督、本人ともに、一つだけ心配なことがあった。練習試合を通して、失点する時は序盤が多く、立ち上がりをいかに乗り切るかが課題だった。

★悔しすぎる初戦敗退
 夏の初戦の相手は静岡学園だった。朝比奈は初回に2失点、2回にも4失点と打ち込まれて降板。ベンチに戻ると、涙が溢れた。試合は6対10で敗退。早すぎる夏の終わりだった。
「2年夏も経験しているから、緊張自体はありませんでした。それよりも、最後の夏っていうことで力が入ってしまって。自分のせいで、みんなの夏を壊してしまいました」
 2年秋から、エースで4番。チームの大黒柱として「負けられない」という思いが、逆に力みにつながってしまったと回想する。
 夏の大会が終わり、悔しさからしばらくは放心状態だった。もともと野球を続けることも頭にあったが、自信をなくし、断念しかけていた。
 そんな時、お世話になった「沼津リトル」に挨拶に向かった。
 待っていたのは川口智監督の思いがけない一言だった。
「こんなところで、挫けていてはダメだ。一度、大学のセレクションを受けてみたらどうだ」
 朝比奈は影山監督と相談し、立正大や中央大(準硬式)のセレクションに参加した。結果、合格とはならなかったが、甲子園経験者など、全国から来た選手と混ざってプレーして、「もしかして自分も上でやっていけるのでは」と自信を深めた。 

02242★医療機器を研究したい
 最終的に朝比奈が選んだのは東都大学リーグに所属する芝浦工業大だった。現在は3部と低迷するが、過去には1部で優勝3回の経験がある。
「もともと高校1年の時から勉強の方で第1志望にしていた学校でした。理系で野球部のある大学は少ないのですが、調べてみたら野球部があって、東都リーグっていうレベルの高いところで。ここしかないと思いました」
 大学では「生命科学」という分野を専攻し、医療機器の研究をする予定だ。きっかけは中学3年生時の時だった。最後の夏の大会前、左ヒジに死球があたり、全治一ケ月という診断で夏を諦めかけた。しかし、どうしても試合に出たかった朝比奈は、MRI検査を受けることにした。そこで、レントゲン検査だけでは分からなかった血の塊が見つかったという。
 すぐに、その血を抜き取る治療を施すと、一週間程度で復帰。大会に間に合って、試合にも出場できた。
「僕も、そういう医療器具の開発をして、同じ思いの人を助けられたらと思いました」
 大学では野球と勉強を両立していくと誓う。

★朝比奈快からのメッセージ
 最後に現役球児へのメッセージを聞いた。
「高校野球の2年半、やっている間は辛い時もあって長いと思うんですけど、終わってみれば、あっという間でした。実際に引退してみると、『野球をやりたい』っていう気持ちになるので、高校時代の1日1日を大切にしてほしいです」
 「沼津リトル」で野球の楽しさを知り、「三島リトル」では仲間と競い合った。そして、高校では素質が少しずつ開花した。大学では「155キロを目指す」という朝比奈。持っている能力からすれば、決して不可能な目標ではない。 

影山英伸監督からの贈る言葉

潜在能力は高いものがあると思います。特にホップするようなストレートは魅力です。大学では、自分で考えて練習することを求められるので、そこに順応できれば伸びるでしょう。やるからには、社会人、プロを目指して頑張ってほしいです。

■朝比奈快[あさひな・かい]投手/伊豆中央3年/182cm80Kg/右投右打
小学2年時に「三島東スピリッツ」で野球を始め、6年時に「沼津リトル」に入団。三島南中時代は「三島シニア」に所属する。伊豆中央では2年秋からエース。最速137キロのストレートに加えて、鋭いスライダーなど多彩な変化球も駆使する。卒業後は芝浦工業大に進学。

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 11月に合格が決まり、そこから毎日のように練習に出ているという朝比奈。ブルペンでは感触が良く、本人曰く、140キロは超えているとのことです。芝浦工業大は今春、全面人工芝の新グランドが完成予定。そこで大いに練習を積み、155キロを投げて欲しいです。3年後にドラフト候補になった時、もう一度、取材に伺います。次回は浜松商・尾濵徹編、お楽しみに!

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2017年2月22日 (水)

静岡を巣立つ球児たち2016~朝比奈快編・上

 5年目を迎えたオフ企画、「静岡を巣立つ球児たち」。「静岡高校野球」編集部が卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。第5回は気迫溢れる投球スタイルで最速137キロの剛球を投げ込む朝比奈快(伊豆中央)。卒業後は芝浦工業大に進学する朝比奈のインタビューを2回にわたってお届けします。

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★「沼津リトル」で野球の楽しさを知る
 朝比奈は小学2年時に友人に誘われて「三島東スピリッツ」で野球を始めた。主に捕手としてプレーし、県大会にも出場する。その後、6年生になり、「早めに硬式ボールに慣れておきたい」と、「沼津リトル」に入団する。
 「沼津リトル」で出会ったのが、長年チームを率いている川口智監督だった。朝比奈は練習生という形になり、公式戦には出場できなかったが、投手の基礎を一から学んだ。
 川口監督は野球の楽しさを教えながら、一方で「打ち取った打球でも野手がエラーしたら、そこに打たせた投手が悪い。絶対に人にせいにしてはならない」という指導方針の下、厳しく接した。朝比奈は「この1年間こそが自分の原点になっている」と振り返る。
 中学に上がると、「三島シニア」に入団した。「三島の少年野球チームから選手が集まってくる」と聞き、「レベルの高いところで競い合ってみたい」と思ったからだ。
 実際に、山本優輝(静岡高)、佐藤蓮(飛龍)、土屋大樹(日大三島)など、その後、高校野球で活躍する錚々たるメンバーが集まっていた。

★伊豆中央で再び投手に
 最上級生になり、朝比奈は三塁や遊撃で試合に出場した。肩が強く、バッティングもいい。チーム内の30分間の持久走では、トップをキープすることがほとんど。身体能力が高かった。
「三島シニアで学んだのは打撃での積極性です。小学校の時までは自分の好きなボールがくるのを待っていたりしていたんですけど、三島シニアでは積極的に打つ大事さを教わり、それが高校でも生きました」
 3年生になると、将来性に注目した県内の強豪校から誘いをうけた。しかし、実際に練習見学すると、そこで本当にレギュラーを獲ることができるのか不安になった。また、高校では投手に挑戦したかった。声をかけてくれた高校は野手として評価してくれていたが、「沼津リトル」で味わった投手の面白さを忘れることができなかった。 
 そんなとき、「三島シニア」でチームメートだった佐藤諒太の父が伊豆中央の同窓会長を務めていた縁で、一度、伊豆中央を覗きにいくことした。グランドでは、恒例の現役とOBの試合が行われていた。
「チームとして、緩くもなく、厳しくもなく、ここならやっていけると思いました」
 朝比奈は伊豆中央への進学を決意した。

02221_4★体力強化で球威がアップ
 高校入学後、1年秋からは「5番サード」で出場。2番手投手としても、経験を積む。2年夏はエース・成清健智が6回まで無失点に抑えるも、足がつってしまうアクシデントがあり、7回から登板。3回を1失点に抑え、初戦突破に貢献する。しかし、続く三島北戦では5回途中からマウンドに上がり、失点を重ねた。結局、相手の勢いを止めることができず、3対8で敗退した。
 2年秋からエースになると、夏の悔しさを晴らそうと、気合が入った。だが、東部地区大会で敗れ、県大会出場を逃す。
「夏の大会に負けた時、先輩たちから『新チームはお前が背負っていけ』って言われて、へんに責任感を感じてしまうことがありました。気持ちが先走って結果が出ませんでした」 
 朝比奈はその冬、下半身を徹底的に鍛え直した。毎日10キロのランニングを行うと決め、それを実行。筋力トレーニングもメニューを決めて、必死にこなした。効果はすぐに現れる。体重が5キロアップし、それに比例するように、球威も上がっていった。
 迎えた3月、日大三島との練習試合で7回を2失点にまとめる。ほぼベストメンバーだった相手に対しての好投で、大きな手ごたえを掴んだ。

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「静岡を巣立つ球児たち2016~朝比奈快編・下」は近日中に更新します!

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2017年2月15日 (水)

静岡を巣立つ球児たち2016~叺田本気編・下

 オフシーズン企画「静岡を巣立つ球児たち」。今年も「静岡高校野球」編集部が、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、叺田本気(菊川南陵3年)編です。 「静岡を巣立つ球児たち2016~叺田本気編・上」はコチラ

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★高校野球、最初で最後の夏
<エースは140キロを投げて、キャッチャーは県屈指の強肩。その他にも、関西出身のポテンシャルの高い選手が揃っている>
 夏を前にして、菊川南陵の前評判は高くなる一方だった。ところが、実際は春に島田商に敗れたあと、練習試合で投打が噛み合わず、チーム状況は苦しかった。頼みのエース・杉浦一平も今一つ、状態が上がってこなかった。
02141 初戦の相手は強豪・飛龍。相手は菊川南陵打線が苦手としていた左投手だった。
「田中監督と相談し、いろいろと研究して、対策を練っていったのですが…」
 初回、いきなり2点の先制を許すと、2回、4回にも得点を与えてしまう。そして、8回に一挙3失点。打線もキレのある内角のストレートに対応できなかった。
 0対7――。
 まさかの8回コールド負け。叺田にとって高校野球人生、初めての夏の大会は、わずか1試合で幕を閉じた。
 試合後、涙にくれる選手たちは愛鷹球場のスタンド外に移動した。選手を代表して主将の叺田は部員や父兄を前に「ありがとうございます」と声を絞り出した。集まった記者から「今後、進路は?」と問いかけられると、「もう野球はこれで終わりにします。大学では続けません」ときっぱりと語った。

★全国Vの凄さを味わう
「夏は自分の思い通りにできなくて…。期待されていた分、その期待に応えられなかったっていうことが悔しかったです」
 進路については、夏前まで白紙だった。とにかく、夏の大会で勝ち上がっていけば、必ず東都リーグなどの強豪チームから声がかかる。そう信じていた。
 けれど、実際は初戦負け。実力不足を痛感し、上で続ける自信を失った。
 そこから、約2か月は悶々とした日々を過ごした。野球を続けることに対する情熱と不安が入り交ざった。
 10月初旬、学校関係者から岐阜に中京学院大というチームがあることを教えてもらった。その時点で叺田は中京学院大が春の全日本大学選手権で優勝していたことを知らなかった。
 岐阜聖徳学園大でプレーした経験を持つ谷口翔汰部長から、岐阜リーグのレベルの高さを説明され、一度、見に行くことを決めた。
 そこで叺田は度肝を抜かれた。
 室内練習場に入り、まず目に飛び込んできたのは、打撃練習で快音を響かせていた一人の左バッターだった。
「凄い左バッターがおるんやなと思って。今まで自分が見たことのないようなスイングスピードでした」
 叺田が見たのは、その数日後のドラフト会議で巨人からドラフト1位で指名を受ける、大学ナンバーワン遊撃手とも言われた吉川尚輝だった。 
「打撃はウリではないと聞いていたのですが、驚きました。他の選手もスピード感があって、一瞬で感動してしまいました」
 叺田は中京学院大に進むことを即決すると、すぐに体作りに取り組んだ。食事とウエイトトレーニングに励み、昨年の夏よりも体重を6キロ増やした。目標は1年からレギュラーを掴むことだ。
「まず試合に出ないと、その先のプロとかも見えてこないと思うので、レギュラーを獲って、4年後は凄い選手になっていたいと思います」

02142★叺田本気からのメッセージ
 最後に現役球児へのメッセージを聞いた。
「高校野球は3年間しかありません。その中で、自分の思うような結果が出る人もいれば、出ない人もいると思います。でも、結果が出なくても、めげずに頑張って欲しいです。自分も悩むことがありましたが、その時は仲間と話したり、指導者の方とコミニュケーションをとったりして、いい方向にもっていくことを考えていました」
 叺田は菊川南陵で約2年半を過ごし、「我慢強くなった」という。どちらかというと、中学生までは思ったことをすぐに口に出していたタイプだったが、静岡の地で野球ができる喜びを感じ、周りの人間を大切にする心も養った。
 持っているポテンシャルの高さは誰もが認める。高校で培った苦しさ、悔しさを糧に、全国優勝チームで腕を磨く。

谷口翔汰部長からの贈る言葉

何事も諦めずにやって欲しいです。環境が変わることで、いろいろな苦しいこともあると思いますが、高い目標だけを見ておけば、目の前の小さなことは一個ずつ階段を登っていくことができます。僕も岐阜リーグにいた人間として、レベルの高さを知っていますが、プロになるっていう目標だけは忘れずに頑張ってもらいたいです。4年後、いい報告が聞けるのを待っています。

■叺田本気[かますだ・もとき]捕手/菊川南陵3年/183cm80Kg/右投右打
小学4年時に野球を始め、「富木ロイヤルズ」に入団。中学は「和泉ボーイズ」でプレーし、2年秋には関西選抜に選ばれる。菊川南陵に1年夏に転校。2年秋からレギュラーとなり、主将も務めた。3年夏は初戦敗退。プロも注目した遠投115メートルの強肩を生かし、中京学院大では1年時からレギュラーを目指す。

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 野球部から陸上部に転部し、昨年、全国高校総体のやり投げで8位に輝いた前田秀悟(菊川南陵)と叺田は「和泉ボーイズ」からのチームメートだそうです。この春、前田は法政大に進学。2020年の東京五輪を目指します。前田が陸上部に移ってからも、2人は寮の部屋が一緒だったとのこと。「アイツは陸上をやってから、ストイックに自分を追い込んでいて、自分も影響を受けました」。大学で道は分かれますが、お互いの夢を実現して欲しいと思います。次回は伊豆中央・朝比奈快編、お楽しみに!

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2017年2月11日 (土)

静岡を巣立つ球児たち2016~叺田本気編・上

 5年目を迎えたオフ企画、「静岡を巣立つ球児たち」。「静岡高校野球」編集部が卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。第4回は強肩捕手としてプロもマークした叺田本気(菊川南陵)。卒業後は中京学院大に進学する叺田のインタビューを2回にわたってお届けします。

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★中学2年で受けた衝撃
「なんやコイツら、上手すぎるわ」
 そこには、寺島成輝(履正社→東京ヤクルト)、井町大生(履正社)、納大地(智辯学園)、高垣鋭次(智辯和歌山)、松井永吉(尽誠学園)など、関西のボーイズを代表する逸材が揃っていた。
 中学2年時、ボーイズリーグの関西選抜チームに選ばれた叺田は「その後の自分の人生を変えたと言ってもいいくらい」の衝撃を受けた。 
 場所は京セラドーム大阪。関西を北と南に分けて交流試合を行った。叺田は途中出場ながら、ソツなくプレーをこなした。今でも当時のことを鮮明に覚えている。
「とにかく周りのヤツらが凄くて、自分も負けないように、もっと上を目指したいという気持ちになりました」
02111 叺田が野球を始めたのは小学4年時。それまでは子供会のソフトボールチームに所属していた。どうしても「野球」をプレーしたいという思いが強く、小学4年時にチームを求めて家族で隣町まで引っ越した。
 中学は「和泉ボーイズ」(大阪)に所属。そこで今でも尊敬する吉井裕介監督と出会った。厳しくも、愛情のある指揮官。「吉井監督の方針が自分にはまって成長できた」と振り返る。
 その頃、主に「1番セカンド」で試合に出場。2年秋の全国大会の予選で活躍し、前述の選抜メンバーに選出された。同世代のトップレベルのプレーを間近で見て、次第に「上には上がいる。高校は強豪校で甲子園を狙ってみたい」と考えるようになった。叺田は日本航空(山梨)に進学する。
 
★転校して捕手に挑戦
 しかし、入学早々、部内のトラブルに巻き込まれて7月に退学。菊川南陵に転校した。「静岡の地でもう一度甲子園へ目指す」と決意する。
 ここで叺田は本格的にキャッチャーに挑戦する。じつは中学3年夏に一度だけ、レギュラーのキャッチャーが故障し、急遽、大会でマスクをかぶったことがあった。菊川南陵には肩の強さを知っていた「和泉ボーイズ」の仲間もいて、「ウチはキャッチャーが少ないから、やってみろよ」と勧められた。
 ただ、高校野球の規定で転校生は1年間、公式戦に出場できない。その間、練習試合に出場しながら腕を磨いた。走者が盗塁を試みれば、二塁ベース手前でホップするような強肩を披露。相手チームを驚かせたことは一度や二度ではない。
 ようやく1年が過ぎたが、2年秋は部内の不祥事で出場は叶わず。公式戦デビューは3年春までお預けとなった。

021102
2015年秋から監督を務めた田中幸雄氏

★田中監督から基本を学ぶ
 その間、元プロの田中幸雄氏(現和歌山南陵コーチ)が監督に就任。キャッチャーとしてのイロハを学んだ。
「プロ野球って派手なプレーのイメージがあったんですけど、それよりも、田中監督は基本を大事にされている方で。捕る動作、投げる動作、配球などを一から丁寧に教えてもらいました」
 チームは本格派右腕・杉浦一平と叺田のバッテリーを中心に、いい形に仕上がっていった。
「秋から冬の練習試合での勝率が良くて、冬も高いモチベーションで練習ができました」
 迎えた春季大会、西部大会の準々決勝で常葉菊川に敗れたものの、県大会出場を決める。4番に座った叺田は6打席連続安打を含む、3試合で打率・703をマーク。能力をいかんなく発揮した。
 しかし、県大会では島田商相手に0対4で完敗。好左腕・北川裕登の緩急を使った投球の前に、チームは14奪三振を喫した。
「この試合の後からですね。チームが噛み合わず、勝てなくなったんです…」
 叺田は俯きながら、そう呟いた。

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「静岡を巣立つ球児たち2016~叺田本気編・下」は近日中に更新します!

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2017年2月 8日 (水)

静岡を巣立つ球児たち2016~佐藤蓮編・下

 オフシーズン企画「静岡を巣立つ球児たち」。今年も「静岡高校野球」編集部が、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、佐藤蓮(飛龍3年)編です。 「静岡を巣立つ球児たち2016~佐藤蓮編・上」はコチラ

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★3年夏は野手に専念
 2年夏に140キロをマークした佐藤だったが、ムラのある投球は改善されていなかった。
 秋の公式戦は安定感のある杉山京吾が中心で投げた。
 その冬、佐藤はこれまでのフォームを一度リセットした。濱野洋監督とともに、無駄のないフォーム作りに取り組んだ。背中に大きく入っていたテークバックをコンパクトにして、常の一定の位置で球を離せる練習を繰り返し行った。
 迎えた春、練習試合の最初の相手は常葉菊川だった。
 7回から登板した佐藤は2イニングで5四死球を与えて5失点。試合後は「全然ダメです」とコメントし、俯いたまま、バスに乗り込んだ。
「あの時は、冬にいろいろなことをやって、自信をもって入っていったんです。でも、余分なことを考えてしまって…。ストライクをいれなきゃとか、フォアボールになったらどうしようとか、そんなことばっかり頭にありました。それよりも、フォアボールになってもいいから、やってきたことを出すべきでした」
 この試合の反省を生かし、続く関西遠征では報徳学園(兵庫)、東大阪柏原(大阪)相手に好投を見せる。しかし、その状態を維持できなかった。
 春の東部大会、初戦で三島南と対戦。3点リードの6回からマウンドに上がるも、4四死球に加え小技で崩されて5失点。この大量失点が響き、チームは初戦敗退を喫した。
02081 その後、投手の練習をこなしていたものの、夏の大会が近づいた6月になり、最後の夏は野手としてチームに貢献すると決断する。
「最後は自分じゃなくて、チームじゃないですか。チームが勝つためにどうするかって考えた時に、野手の方が貢献できると思いました」
 打球を飛ばす力はチームで誰にも負けない。佐藤は投手への思いを封印し、一塁手で夏を迎えた。
 飛龍は初戦、菊川南陵相手に7対0で快勝。続く、加藤学園との2回戦では、4回にレフトスタンドへ豪快な一発を放つ。
「初戦は緊張感はありましたが、2回戦はガンガンいこうと思って、思い切り振りました」
 ところが、3回戦では浜松学院の手嶋航平の緩い変化球に翻弄された。佐藤は2打数無安打。チームは0対4で敗れた。
「不完全燃焼で終わったし、納得はしていません」
 佐藤は悔しさを滲ませながら、夏を振り返った。

★170キロを投げて五輪を目指す!
 夏が終わり、進路をどうすべきか、佐藤は悩んだ。もともと、高校に入学した時はプロ入りを目標にしていた。2年冬から3年夏かけ、プロのスカウトも注目してくれた。
 だが、佐藤は大学進学という道を選ぶ。
「正直、何でもいいからプロに行きたいっていう気持ちはありましたが、今のままじゃ無理だって思いました」
 そんな佐藤の気持ちを汲み取り、濱野監督が提案したのが上武大への進学だった。
 上武大といえば、昨年は春秋ともに全国ベスト4入りを果たした強豪だ。全国各地から上を目指す選手が集まり、そこで勝ち抜くためには人間力も要求される。
 飛龍出身では現在、小豆澤誠がレギュラーを獲得している。しかし、元気が良く、いい意味で馬鹿になれる小豆澤と佐藤はタイプが正反対。濱野監督は「お前、そこに飛び込む勇気があるのか?」と投げかけた。
「行かせて下さい。厳しい環境でやらせて下さい」
 その佐藤の返事に、濱野監督は大きな成長を感じた。
 夏休みは誰から指示されるわけでもなく、自ら考えながら、練習で追い込んだ。そして、8月の上武大のセレクションでは、自己最速となる144キロをマークする。
「あとから聞いて、そんなに出ているんだってビックリしました」
 上武大・谷口英規監督からは、これ以上ない言葉をもらった。
「冗談かもしれないですけど、『俺と一緒に160キロ、いや170キロ投げるぞ』って。それは本当に嬉しかったです」
 4年後、当然プロを目指す中、2020年の東京オリンピックも狙っているという。この3年間で160キロ以上を連発するレベルまで達すれば、夢は現実に変わる。

02082佐藤蓮からのメッセージ
 最後に現役球児へのメッセージを聞いた。
「自分で考えて練習することの大切さをこの3年間で気づかされました。自分の悪いところを探して研究して、どうしたら上手くなるかを自主練習するのが、一番自分のためになります。そのことに、もっと早く気づいていれば良かったなと…。高校生はそこを意識して取り組んだら、絶対に伸びると思います」
 佐藤は3年夏が終わってから、トレーニングや栄養学の本を読み漁り、プランを立てながら、練習するようになったという。苦しい練習の中でも、楽しさも覚えるようにもなった。今の気持ちを忘れずに「未完の大器」から脱却し、再び世界を相手に戦う日を待ちたい。

濱野洋監督からの贈る言葉

2年生までは、自分の持っているポテンシャルの高さに気づけていませんでした。欲がないというか…。それが、「このままではダメなんだ」と、3年春くらいから、行動が変わりましたね。雨の日も風の日も、自主練習に黙々と取り組む姿がありました。本人的には不完全燃焼に終わった3年間だったかもしれませんが、最後になって、そこに気づけたことは大きいと思っています。谷口監督には「コイツを男にしてあげて下さい」と頼みました。4年後はドラフト上位で指名される選手になってほしいです。

■佐藤蓮[さとう・れん]投手/飛龍3年/188cm95Kg/右投右打
小学4年時に「長伏ヴィーナス」で野球を始める。中郷西中時代は「三島シニア」でプレー。3年時には全日本メンバーとして米国遠征を経験する。飛龍では1年秋からエース。3年夏は「7番ファースト」で出場する。最速144キロを誇る大型右腕としての期待が高く、上武大では投手で勝負する。

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 佐藤を最初に取材したのは高校1年の夏前でした。それから2年間、試合を見たり、試合後に取材したりしてきましたが、意外にも、二人きりでじっくりと話したのは、今回が初めてでした。夏が終わってからのトレーニングの成果なのでしょう。会った瞬間に「ウワ~、デカいね~」と思わず口に出してしまうほど、現役時代よりも、体が出来上がっていました。高校での悔しさをバネに、大学ではきっとやってくれるはずです。次回は菊川南陵・叺田本気編、お楽しみに!

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2017年2月 2日 (木)

静岡を巣立つ球児たち2016~佐藤蓮編・上

 5年目を迎えたオフ企画、「静岡を巣立つ球児たち」。「静岡高校野球」編集部が卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。第3回は最速144キロをマークする大型右腕・佐藤蓮(飛龍)。卒業後は上武大に進学する佐藤のインタビューを2回にわたってお届けします。

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静岡を巣立つ球児たち2016~佐藤蓮編・上

★「日本代表」として全米選手権へ
 佐藤が野球を始めたのは10歳からと少し遅い。幼い頃から3歳年上の兄とともに水泳に夢中になっていた。「水泳は得意で結構、泳げた方だった」と振り返る。
 帰宅すると、沼津学園(現飛龍)野球部出身の祖父が毎日のようにテレビで野球を見ていた。次第に佐藤も、野球というスポーツに興味を抱くようになっていった。
 そして、小学4年生の時に、友達と一緒に地元の少年野球チーム、「長伏ヴィーナス」に入団する。
 最初はポジションと転々としていたが、5年生になり、自分から「キャッチャーをやってみたい」と名乗り出た。
「それまでピッチャーを含めてキャッチャー以外の全ポジションを経験したのですが、一個上の先輩のキャッチャー姿を見て、単純にかっこいいなって思いました」
 小学6年生になると、すでに身長は162センチまで伸びていた。同級生と並ぶと、頭一つ、いや二つほど出ていた。
「長伏に大きなキャッチャーがいる」
 そんな噂は、すぐに三島の野球関係者の間に広がっていった。
02021 当初、本人は中学では軟式野球を考えていたが、谷勝利総監督から誘いを受けて、「三島シニア」に進む。
 「三島シニア」に入団すると、同学年に、もう一人捕手がいた。のちに、日大三島で活躍する土屋大樹だった。佐藤は、そのセンスの良さに目を奪われた。
「シニアに入ってすぐ、土屋と二人で先輩のボールを受けたんです。それまで、自分は変化球を見たことなくてポロポロしていたんですけど、土屋は普通に捕っていました。ヤバいと思いました」
 ピッチャーに転向したのは中学2年の時だった。ある日、飛龍の室内練習場を借りて練習を行った際、バッティングピッチャーとして投げていた。それを後ろから見ていた長津正幸監督から「蓮、お前、ピッチャーいけるじゃないか」と声をかけられたことがきっかけだった。
 そこから佐藤は投手の練習に取り組み、徐々に頭角を現していく。2年秋からは、山本優輝(現静岡高)とダブルエースでチームを牽引。全国大会には縁がなかったが、3年夏にシニアの全日本メンバーに選出され、アメリカ・イリノイ州で開催された全米選手権大会に出場した。
 佐藤は海外チーム相手に、130キロ台中盤のストレートを武器に好投。打っても、大事な場面で安打を放った。
 
★ガムシャラに投げた1年秋
 高校からプロに行きたい。そんな夢を叶えるため、佐藤が選んだ進学先は飛龍だった。
「僕が中学1年生の時にシニアの練習を見に来た濱野(洋/監督)先生が、3年生と間違えたそうで、『この選手が欲しい』って言ってくれたそうなんです。そこから、ずっと飛龍のことが頭にあって、中学3年生になってから、本格的に熱心に誘ってもらって、ここで勝負しようと決めました」
 一方、東部の宝として、じっくりと育てたいと考えていた濱野監督は1年夏のベンチ入りを見送り、秋から起用した。その秋の東部大会、初戦は沼津東と対戦し、好左腕・久郷太雅(現早稲田大準硬式)に投げ勝つ。続く相手は小澤怜史(現福岡ソフトバンク)を擁する日大三島だった。
02022_2 佐藤は序盤に3点を許したものの、その後は要所を締め、飛龍の1点リードで終盤を迎える。
 だが、9回に無死一二塁のピンチを迎え、何でもない投手前への送りバントを三塁へ悪送球。自らのミスで逆転負けを喫した。結局、飛龍は敗者復活戦でも敗れて県大会を逃した。
「1年の秋はけっこう、ガムシャラにやっていた感じです。冷静に考えないで、あたって砕けろって…。今思うと、そこからの自分に足りなかったのは、その姿勢だったかもしれません」
 佐藤は、そうポツリと呟いた。
 その後、制球面やフィールディング面に課題を残しつつ、「未完の大器」として月日だけが過ぎていった。
「どうやったら良くなるんだろう、どうやったら抑えられるんだろうって、考え込むようになってしまって…」
 2年夏は背番号11でベンチ入り。佐藤に代わり、エースとなった伊藤塁(現静岡産業大)や同学年の杉山京吾の好投でチームは勝ち上がっていく。
 ようやく佐藤に出番が回ってきたのは準決勝の磐田南戦だった。
 11対1の大量リードの9回、初めて夏のマウンドを踏む。「緊張感して頭が真っ白だった」というものの、140キロをマークし、1イニングを無失点。あらためてポテンシャルの高さを見せつけた。
 けれど、佐藤の苦悩は続いていく。

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「静岡を巣立つ球児たち2016~佐藤蓮編・下」は近日中に更新します!

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2017年1月24日 (火)

静岡を巣立つ球児たち2016~道田洸人編

 5年目を迎えたオフ企画、「静岡を巣立つ球児たち」。「静岡高校野球」編集部が卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。第2回は伸びしろ十分の期待の内野手・道田洸人(遠江総合)。卒業後は岐阜経済大に進学する道田のインタビューをお届けします。

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★高校でショートに転向
 道田は小学3年の時に、父・佳浩氏の影響で野球を始めた。「掛二野球少年団」でキャッチャーを経験。中学に入学するとファーストを守った。
 小中学生時代は目立った成績を残していないが、掛川西高野球部出身の佳浩氏から基礎を徹底的に叩き込まれた。
「少年野球の時は凡打が続いた時、家に帰ってから『こういうところがダメだったんだ』と細かく教えてもらいました。中学の時は打撃フォームをビデオに撮り、それを父と一緒にパソコンで見て研究しました」
 遠江総合に進学し、まずはファーストからスタート。夏は背番号3をつけてベンチ入りした。その後、様々なポジションを転々とし、2年春からショートに入った。山本浩正監督は道田の持っているポテンシャルに可能性を感じていた。しかし、本人は初めてのポジションで戸惑いの連続だったと振り返る。
「最初はすごい大変で…。ファーストの時と違って、左右に動くことが多いし、牽制でのベースへの入り方とか、分からないことだらけでした」
 それでも、国際武道大で内野手を務めた山本監督の丁寧な指導で、一冬を越えた頃には、動けるショートになっていた。シングルハンドで前の打球をキャッチし、華麗に一塁送球。山本監督からバックアップの大切さも学び、充実にこなした。
 また、ショートに入ることで、それまではどちらかというと周りに合わせるタイプだった選手が、自分から声を出してチームを引っ張るようになった。

01241★最後の夏で掴んだ手応え
 3年夏の大会は「4番ショート」で迎えた。初戦で金谷と対戦し、センター前2本と左中間1本。試合は敗れたものの、3安打を放ち、大きな自信を掴んだ。
「それまでチャンスの場面で緊張することが多かったんですけど、最後の大会で、緊張せず、打てたっていうのは、心の面で強くなれたのかなとは思います」
 道田は大学で野球を続けることを決意する。 
「もともとは、野球を続けようか、迷っていたところがありました。でも、この試合をきっかけに、上のレベルで自分を試してみたいという気持ちがすごく強くなりました」
 8月、山本監督のつながりで、岐阜経済大のセレクションを受けた。
 岐阜経済大は昨秋、強豪ひしめく岐阜リーグで3位。春の日本一チーム・中京学院大からも勝ち点を奪った。専用グランド、室内練習場も完備され、今後が楽しみなチームだ。
「セレクションに行ってみて、正直、レベルの違いを感じました。基本を大事にしている感じがあって、そこを学んでいきたいです」
 上田和宏監督からは「セカンドで使ってみたい」という、ありがたい話をもらったという。今は2月に合流に向けて、山本監督のノックを毎日必死に受けている。

01243★道田洸人からのメッセージ 
 最後に現役球児へのメッセージを聞いた。
「どれだけ人の見えないところで努力できるかが最後の夏につながると思います。今は苦しいかもしれないのですが、頑張って下さい」
 道田はこの3年間、自宅に帰ってからも黙々と素振りを続けた。それが、3年夏の3安打につながったと信じている。大学でも地道な努力を重ね、最後は大きな花を咲かせる。

山本浩正監督からの贈る言葉

2年冬が過ぎたあたりから、精神面でも成長してきました。体力面は手足が長いのですが、まだ体が出来上がっていません。それだけに大学4年間でどうなるのか、本当に楽しみな選手です。ゆくゆくは社会人でプレーするくらいのレベルの選手になってもらいたいですね。


■道田洸人[みたち・ひろと] 内野手/遠江総合3年/178cm68kg/右投右打
小学3年時に「掛二野球少年団」に入団。掛川西中では一塁手として出場する。遠江総合入学後、1年夏からベンチ入り。2年春から遊撃手となり、3年夏は「4番ショート」で活躍した。卒業後は岐阜経済大に進学する。

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 取材当日、3学年上の先輩で最速146キロ右腕として注目を浴びる朝日大・原田瞬矢もグランドに訪れていました。原田と嬉しそうにキャッチボールを行っている姿が印象的だった道田。同じリーグに所属するだけに、2人が対戦する可能性は十分。「僕にとっては原田さんは偉大な先輩です。1年からベンチ入りして、対決してみたいです」と目を輝かせていました。
 次回は飛龍・佐藤蓮編、お楽しみに!

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