静岡を巣立つ球児たち

2019年3月29日 (金)

静岡を巣立つ球児たち2019~大代航太郎・下

 オフシーズン企画「静岡を巣立つ球児たち」。今年も「静岡高校野球」編集部が、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、大代航太郎(加藤学園)編です。 「静岡を巣立つ球児たち2019~大代航太郎編・上」はコチラ

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静岡を巣立つ球児たち2019~大代航太郎編・下

★不完全燃焼の夏
 3年の夏前、大代は打撃の状態を上げていく。この時期、打順は8番だったが、2試合に一本のペースで本塁打を打ちまくった。「ボールが良く見えて、打てる気しかしなかった」と振り返る。
 そして絶好調で迎えた夏の大会初戦、大代は「8番ライト」で出場する。2打席目にセンター前安打を放ち、チームも勝利。続く相手はプロ注目の水野喬日を擁する湖西だった。
「甘い変化球を狙っていたのですが、思った以上に球が伸びていて、スライダーにもキレがありました」
 水野相手に第1打席、第2打席ともに空振り三振。第3打席の一塁ゴロを挟み、迎えた9回裏二死。2-0から2球ファウルで粘ったものの、最後も空振り三振に終わった。

★芸術よりも野球を選ぶ
 大代が高校卒業後も野球を続03291けようと思ったのは2年の秋頃だった。それまでの希望進路は芸術系の専門学校。幼い頃から漫画タッチの絵を描くことが好きで、高校では芸術系のコースを選択していた。だが、野球を諦めることはできなかった。
「2年の夏が過ぎ、あと1年しか野球ができないってなったときに、もっと野球をやりたいって思うようになりました」
 3年夏が終わり、セレクションを受けたのは東都大学リーグに所属する東京農業大だった。
「やるなら中途半端ではなく、レベルの高い東都のチームを考えていました」
 セレクションでは持ち味の打撃力を発揮する。バッティング練習で2本塁打を放つと、実戦形式でも安打を放つ。すると、すぐに合格の知らせが届いた。

★大学では本塁打量産を目指す
 3年間、結果が出ずに苦しんだこともあった大代。そんな中、加藤学園で学んだことは「心」だった。
「技術よりも、私生活での取り組み方、人への気遣い、礼儀を学びました。この3年間で人として変われたと思います」
 人間的にも一回り大きくなった大代は大学で、さらなる高みを目指す。
「毎日コツコツと練習をして、ホームランをたくさん打てる選手になれたらと思っています」
 最後に現役球児へのメッセージを聞いた。
「例え1年生のときにダメでも、努力を積み重ねていけば、2年生、3年生で巻き返すことができます。高校の3年間は長いようで短いので、1日1日を大切にして下さい」
 静岡のスラッガーから東都のスラッガーへ。大代は大きく羽ばたく。

米山学監督からの贈る言葉

この3年間、いいときばかりではなく、悔しい思いもした中で最後まで一生懸命にやってくれました。練習も良くやり、コイツを何とかしたいと思わせる人間性が魅力です。パワーのある打撃を武器に、大学ではチームに貢献する活躍をしてもらいたいです。

■大代航太郎[おおしろ・こうたろう]外野手/加藤学園/170cm82kg/右投左打
2000年7月2日生まれ、静岡県静岡市出身。小学3年時に「清水ファイターズ」で野球を始める。中学時代は「静岡蒲原シニア」でプレーし、3年夏はエースで活躍。加藤学園では1年春の公式戦から出場した。高校通算23本塁打。卒業後は東京農業大に入学する。

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 帰り際、「もうイラストへの未練はないの?」と伺うと、「それは趣味程度にします」と笑って答えてくれた大代。野球にかける強い思いを感じました。大学でレギュラーを掴み、チームを2部から1部に導いてください。
 今回で『静岡を巣立つ球児たち2019』は最終回となります。みなさんの全国での活躍を期待しています!

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2019年3月28日 (木)

静岡を巣立つ球児たち2019~大代航太郎・上

 7年目を迎えたオフ企画、「静岡を巣立つ球児たち」。「静岡高校野球」編集部が卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。第3回は高校通算23本塁打を放った強打者・大代航太郎(加藤学園)。卒業後は東京農業大に進学する大代のインタビューを2回にわたってお届けします。

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静岡を巣立つ球児たち2019~大代航太郎編・上

03281父との厳しい練習の乗り越えて
 幼い頃から父・茂雄氏(現清水東監督)の影響でソフトボールをプレーした大代。「清水ファイターズ」に入団したのは、島田市から静岡市に引っ越した小学3年生のときだった。4年生と5年生のときは父の監督の下でプレー。県大会出場は叶わなかったものの、6年時にはエースで活躍した。
「お父さんの監督の時はけっこう大変でした。自分にだけ厳しくて。小学5年生のときには辞めたいって思ったこともありました」
 今では、野球の基礎を教えてくれたと感謝するものの、その頃は「なんで自分だけ」と悩むこともあった。
「グランドでも家でもいつも一緒でしたし…(笑)。でも、あの2年間で鍛えられたことは間違いです。特に試合で負けていたとしても最後まで諦めない姿勢は学びました」
 父との厳しい練習と同時に、大代を成長させたのが剣道だった。大代は野球と同時に、小学3年生から剣道も始めている。
「松坂大輔さん(現中日)も小さい頃にやっていたらしくて。お父さんから『1対1の勝負の勉強になるから』と勧められて、中学2年までやっていました」
 競技は違えど、野球もピッチャーとバッターで1対1で勝負することは同じ。戦う姿勢を培うには剣道が最適だった。
 中学は「静岡蒲原シニア」へ。3年間、楽しかった思い出の方が強いと振り返る。
「蒲原シニアの方針としては、小技を使わないで、どんどん振っていく感じなので。それが自分に合っていたと思います」
 豪快にフルスイングする打撃力を身につけた一方で、3年夏はエースとしてマウンドに上がった。

1年春からベンチ入り
 高校は「早く自立したい」と、寮生活を考えていた。そんなとき、話があったのが加藤学園だった。
 入学すると、その迫力あるスイングが米山学監督の目に留まり、1年春の県大会で「背番号13」でベンチ入りする。2回戦の浜松修学舎戦、「8番ライト」で先発出場した。しかし、2打数無安打。レベルの差を感じたという。
「ピッチャーの変化球のキレが中学とは全然違いました」
 技術面とともに苦労したのが体力面だった。高校で練習量が増え、体重が激減する。食べても食べても維持できず、中学のときに88キロあった体重が一時期70キロまで落ちた。当然、持ち味のスイングに影響し、打球が飛ばない。2年夏はベンチに入ることすらできなかった。
 そんな自信を失いかけた大代を救ったのは米山監督だった。
 「自分に合ったスイングを見つけよう」とプロ野球選手の動画を集め、それを参考にするように大代に提案した。
 柳田悠岐(ソフトバンク)、筒香嘉智(DeNA)…。同じ左の強打者の良いところを取り入れ、本来のスイングを取り戻していく。

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「静岡を巣立つ球児たち2019~大代航太郎編・下」は近日中に更新します! 

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2019年3月25日 (月)

静岡を巣立つ球児たち2019~鈴木颯人編・下

 オフシーズン企画「静岡を巣立つ球児たち」。今年も「静岡高校野球」編集部が、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、鈴木颯人(掛川東)編です。 「静岡を巣立つ球児たち2019~鈴木颯人編・上」はコチラ

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静岡を巣立つ球児たち2019~鈴木颯人編・下

★3イニングで終わった夏…
 エースの座を目指し、2年の冬場は鴨藤忠博監督のアドバイスでフォームの修正に励んだ。
「もともと投げ方に癖があったのですが、体全体を使えるフォームになったと思います」
 上半身と下半身のバランスが良くなり、腕の振りも速くなった。
 しかし、3年春にヒジを痛める。夏の大会前に復帰し、練習試合では最速となる135キロをマークしたものの、一度もエースナンバーをつけることはできなかった。
 背番号10で挑んだ3年夏は、わずか3イニングで終わる。初戦の城南静岡戦は7回途中からマウンドに上がって1安打無失点。2回戦の掛川西戦も2番手で3分の2イニングを無失点に抑えた。
「もっと投げたかったというのはありますが、自分の力不足でした…」
 不完全燃焼に終わった夏をこう振り返る。

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★4年後のプロを目指して
 大学で野球を続けたいと考え始めたのは2年の秋頃だった。「やるからにはレベルの高いところでプレーしたい」と、冬に創価大の練習に参加した。
「創価大は、田中正義さん(現ソフトバンク)、池田隆英さん(現楽天)が、同学年でドラフト1位とか2位で指名されて、どんなチームなんだろうと興味がありました。そういうチームで自分も成長できればと思いました」
 東京新大学リーグに所属する創価大はリーグ通算45回の優勝を誇る強豪。近年は全国大会でも上位に進出している。
 鈴木は練習参加した際、雰囲気の良さにも惹かれた。
「大学って、自由にやっているイメージを持っていたのですが、創価大は全員の意識がすごく高くて。コーチの方も丁寧に教えてくれて、どうしてもココでやりたいと考えるようになっていきました」
 3年夏の大会が終わると、すぐに創価大のセレクションに向けた準備を進めた。 
 8月のセレクションには、東邦(愛知)、遊学館(石川)、敦賀気比(福井)など、甲子園常連校の選手もいて緊張感もあったが、練習の成果を発揮。自信のあるコントロールをアピールした。
「すごい高校から来た選手ばかりなので自信はなかったのですが、受かってくれって思っていました」
 見事合格が決まると、創価大の佐藤康弘コーチからはこんなアドバイスを受けた。
「ウチには鈴木君よりすごいピッチャーがたくさんいるから下級生で活躍するのは難しいかもしれない。でも、焦ることなく、体を大きくしていけば、3年生、4年生でチャンスがある。そこに向けて頑張ってほしい」
 3年生の秋から冬にかけて鈴木は、その佐藤コーチの言葉を胸に、体力作りに励んだ。今は「4年後にプロ入りしたい」とはっきりと口にする。
「創価大のチーム目標は日本一なので、それに貢献できるピッチャーになりたいです。その上で、4年生になったら、140キロ台の後半を投げたいです」
  最後に現役球児へのメッセージを聞いた。
「結果が出なくて、落ち込むときにもあると思います。でも、クヨクヨしていたら前に進まないので、努力を続けて下さい」
 小学、中学と決して目立った存在ではなかった。高校でも故障に苦しんだ。決してエリートコースを歩んできたわけではないが、コツコツと努力を重ねる心の強さは誰にも負けない。全国トップレベルの創価大で花を開かせる。

鴨藤忠博監督からの贈る言葉

高校から投手となり、まだまだこれから伸びていく選手です。レベルの高い大学に入学し、苦労も多いと思いますが、ひたむきに努力を続けて下さい。大学で成長して、神宮球場のマウンドを踏んでほしいと思っています。

■鈴木颯人[すずき・はやと]投手/掛川東/174cm67kg/右投右打
2001年3月14日生まれ、静岡県掛川市出身。小学2年時に「桜木野球少年団」で野球を始め、6年時に「黒潮旗」で県優勝。桜が丘中では内野手として全国ベスト8進出に貢献する。高校入学後、投手となり、2年春の県大会で公式戦初登板。卒業後は創価大に入学する。

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 昨年の4月、掛川東の左腕・野元優作を目当てに見に行った練習試合。その日の2試合目に登板したのが鈴木でした。当時のスコアにはこんなメモが残っていました。「腕がぶっ飛びそうなくらい振れて、ストレートで空振りがとれる。体にバネがあり、大学で伸びるタイプ」。その後、鈴木の進路が気になっていたのですが、創価大で野球を続けると聞いたときにはすごく嬉しく、絶対に「静岡を巣立つ球児たち」で取り上げようと決めていました。3年後、4年後、どんな姿になって驚かせてくれるのか。期待しかありません。次回は加藤学園・大代航太郎編、お楽しみに!

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2019年3月13日 (水)

静岡を巣立つ球児たち2019~鈴木楓人・上

 7年目を迎えたオフ企画、「静岡を巣立つ球児たち」。「静岡高校野球」編集部が卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。第2回は柔らかいフォームを持つ本格派右腕・鈴木颯人(掛川東)。卒業後は創価大に進学する鈴木のインタビューを2回にわたってお届けします。 

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静岡を巣立つ球児たち2019~鈴木颯人編・上

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小中時代を振り返る鈴木

★漢人友也の存在
 鈴木が野球を始めたのは小学2年生のときだった。兄の影響で「桜木野球少年団」の「元旦マラソン」に参加し、そのまま入団。すると、同級生の顔が一人あった。
「友也がもう先に入っていて、僕が2番目でした」
 漢人友也(常葉大菊川→中京大)。のちに、甲子園に出場する投手だが、当時からその実力は群を抜いていた。
  漢人は4年時から試合に出場。最上級生になると当然のごとくエースとなる。一方の鈴木はショートやサードを守った。6年時には黒潮旗で県優勝、マクドナルド杯では県準優勝を果たした。
 練習で思い出に残っているのは50センチほどの竹の棒を使い、シャドーピッチングを繰り返したこと。「そこで投げ方の基礎教えてもらい、のちのち生きてきました」と振り返る。
 桜が丘中でも漢人がエースを務め、鈴木は主に「9番セカンド」で出場した。3年春に全国大会に出場。ベスト8に進出した。
「練習で友也が投げたときに、打席に立つのが嫌でした(笑)。すぐ三振してしまうんです。球は速いし、迫力もある。変化球も良かったですね」
 体格的にも、漢人の身長が172センチに対し、鈴木は157センチ。歯が立たない手だったが、そんな逸材と出会ったことを感謝する。
「友也がいたから全国に出場できたし、間近ですごいピッチャーを見ることができて、本当に良かったと思います」

★高校から本格的に投手へ
 高校は掛川東に入学。少しずつ身長も伸び、同学年に投手志望が少なかったことで、「ピッチャーをやってみたい」という気持ちが芽生えていく。学童や中学のときに、わずかながらマウンドに上がる機会があったが、「本格的」と言えるものではなかった。
「最初は『どうしてもピッチャーをやりたい』って、深く考えていたわけではありませんでした。監督から『ピッチャーをできるヤツがいるか』と聞かれ、思わず手を挙げてしまった感じでした」
 そんな鈴木を奮い立たせたのは左腕・野元優作の存在だった。
 03131毎年秋に開催される1年生大会。初戦で常葉大菊川と対戦して敗れた。野元は登板したものの、鈴木の登板機会はなかった。
「その頃、優作がどんどん成長していました。自分は体も技術も追いつかなくて、試合に出られないのは当然ですが、やっぱり悔しくて…。そのあたりから、意識が変わっていったと思います」
 野元に負けられない。自分もマウンドに立って投げたい。ライバル心を燃やし、1年冬は下半身を中心とした体作りと同時に、股関節を柔らかくするトレーニングにも取り組んだ。すると、2年春の県大会は背番号19でベンチ入り。準々決勝ではエース・及川遼のあとを受け、3回途中から登板。試合は7回コールドで敗れたものの、4イニングを投げて2安打1失点の好投を見せる。大きな自信と手応えを掴んだ鈴木は、さらなる高みを目指していく。
 ところが、夏の大会を前に、腰に痛みが走る。
「ちょうど、背番号の発表の日でした。18番をもらったのですが、急に痛くなりました」 
 結局、夏の大会はチームはベスト8に進出するも、1試合も投げずに終わった。一方で野元がブレイクする。準々決勝の日大三島戦でリリーフ登板すると、3回から8回を無失点に抑える快投。そのままの勢いで、秋も野元がエースでチームは勝ち進んだ。

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「静岡を巣立つ球児たち2019~鈴木颯人編・下」は近日中に更新します! 

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2019年2月15日 (金)

静岡を巣立つ球児たち2019~菊地涼編・下

 オフシーズン企画「静岡を巣立つ球児たち」。今年も「静岡高校野球」編集部が、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、菊地涼(島田商)編です。 「静岡を巣立つ球児たち2019~菊地涼編・上」はコチラ

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静岡を巣立つ球児たち2019~菊地涼編・下

★初戦の3日前に鼻を手術
 菊地涼は6月に入って練習試合で17打席連続ノーヒット。まさかの不振が続いた。それでも、社会人野球のヤオハンでプレーした経験を持つ父・浩二さんからの「打てなくても常にプラス志向でいろ」というアドバイスを貫き、決して下を向くことはなかった。
 すると、大会直前の練習試合で4安打をマーク。「これならいける」と感覚を掴んでいた。
 02151そんな矢先、初戦を4日後に控えた練習でアクシデントが起きる。
 打撃練習で自らの打った打球が顔面に直撃。すぐに病院で診察を受けると、鼻の骨折が判明した。翌日、手術を受けて初戦に間に合わせたが、フルスイングすると、顔面に痛みが走った。
 それでも、初戦(対富士)でタイムリー二塁打を放つと、続く3回戦(対浜松工)でも2安打。骨折の影響を感じさせない働きを見せる。
「夏の大会はどうしてもホームランを打ちたいと思って3回戦までは振り回していましたが、チーム打撃に徹することで結果もついてくると分かって、そこから冷静に打てるようになっていきました」
 4回戦(対浜松大平台)では4打数4安打。そして、準々決勝の静岡市立戦を迎える。
 
★静岡市立との死闘
「あの試合は本当にきつかったですね…」
 静岡市立との一戦は菊地にとって、これまでの野球人生最大と言ってもいいほどの過酷な試合となった。
 島田商が序盤に2点を先制。7回に1点を追加するも、静岡市立が終盤に反撃し、同点に追いつく。延長11回、ライト前安打で出塁した菊地は1死二塁の場面で盗塁を仕掛ける。それが相手のミスを誘い、勝ち越し点をもぎ取る。
「盗塁は単独でした。池田(新之介)監督から、『自分の行けると思ったときには自由にやってこい』と言われていましたので。あの場面は確信を持って走ることができました」
 しかし、試合はこれで終わらなかった。
 その裏、2死二三塁のピンチを迎える。打球はセカンドへ。菊地がさばき、一塁に送球。だが、一塁手・西村卓也のグラブからボールがこぼれる。すぐに、西村はホームへ送球。三塁ランナーは生還したが、二塁ランナーは間一髪で刺してサヨナラを許さなかった。
 ベンチに戻った菊地は、すぐに西村に駆け寄った。「大丈夫。気にするな。次は一番捕りやすいところに投げてやるから任せておけ」
 死闘は続く。
 タイブレークとなった延長13回は、両チームともに1点を奪う。そして14回、島田商は一挙に5点を挙げる。その裏、静岡市立に4点を奪われるも、紙一重で勝ち切った。
 試合終了の瞬間、菊地は嬉しくて、その場にかがんで何度も何度も地面を叩いた。
「なんとも言えない気持ちでした。最高でした」
 勢いにのった島田商は準決勝で掛川西を下す。菊地も4安打2打点の大活躍。夢の甲子園まであと一勝と迫った。

★菊川との実力差
 決勝の相手は常葉大菊川。1点を追う7回、菊地の2点タイムリーで逆転した。だが、常葉大菊川の壁は厚かった。5対6で敗退。菊地は「点差以上の差があった」と振り返る。
「菊川はやっぱり強かったです。試合をやっていて、一度も勝てるとは思いませんでした。こっちがどれだけ粘って逆転しても、あっさりと1点を取ってくる。これが甲子園常連チームの強さなのかなと思いました。積み上げてきた量が違いましたね」
 試合後、菊地の表情は清々しかった。そこには「やりきった」という充実感が漂っていた。

02152_2★プロ野球選手を目指す
 卒業後は熊本県で活動する社会人企業チーム「鮮度市場ゴールデンラークス」でプレーする。
 昨年、同チームの練習に参加した際に「レベルの高さ」に衝撃を受けたという。
「あの選手たちには勝てないなと思いました。でも、自分はそういう感覚が大好きなんです。絶対にそれを追い抜いてやろうと思うんです」
 メラメラと燃える菊地は数年後のプロ入りも狙っている。
「3年でプロに行けるのは理想ですが、あの舞台に立てるのなら、4年かかっても5年かかっても行きたいと思います」
 最後に現役球児へのメッセージを聞いた。
「どんなにすごい相手でも、思い切ってやってほしいです。『俺が上なんだ』と負けない気持ちを持って戦えば、それだけで自信になると思います」
 野性味溢れる走塁と守備、フルスイング、そして果敢に相手に向かう強い気持ちを武器に熊本で大暴れする。

池田新之介監督からの贈る言葉

独特な感性を持っている子で、プレーでの思い切りの良さが魅力です。なので、その良さを消さないように接してきました。体は小さいのですが、将来はプロ野球選手になり、子供たちに夢を与えられるような存在になってくれたら嬉しいです。まだまだ道のりは険しいと思いますが、期待しています。

■菊地涼[きくち・りょう]内野手/島田商/168cm70kg/右投右打
2001年1月31日生まれ、フィリピン・タバオ市出身。小学4年時に「自彊スポーツ少年団」で野球を始める。吉田中では3年時に県選抜大会、中体連で県優勝。島田商入学後、1年秋からレギュラー。3年夏は「1番セカンド」で県準優勝の成績を収める。50m5秒9。高校通算16本塁打。卒業後は「鮮ど市場ゴールデンラークス」に入社する。

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 「鮮度市場ゴールデンラークス」には湖西の最速145キロ右腕・水野喬日も入社します。2人には面識がなかったそうですが、入社が決まってからLINEでやり取りするようになったとか。水野が投げて、後ろで菊地が守る。そんなシーンを想像するだけでワクワクします。次回は掛川東・鈴木颯人編、お楽しみに!

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2019年2月 3日 (日)

静岡を巣立つ球児たち2019~菊地涼・上

 「静岡高校野球2019春号」の作業が佳境に入っていますが、編集部では卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちにも会いに行っています!
 第1回はアクロバティックな守備と勝負強い打撃で、昨夏の大会を沸かせた菊地涼(島田商)です。卒業後は社会人野球の「鮮ど市場ゴールデンラークス」でプレーする菊地のインタビューを2回にわたってお届けします。

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静岡を巣立つ球児たち2019~菊地涼編・上

★吉田中で基礎を学ぶ
 
菊地涼はとにかく明るい。初対面の相手でもすぐに打ち解け、仲良くなってしまう。
 その原点は幼少期にある。菊地は母の実家のあるフィリピン・ダバオ市で生まれた。3歳まではそのフィリピンで過ごした。
「さすがに小さかったので、よく覚えていませんが、フィリピンの方って、大人数で住んでいて、みんなものすごくハイテンションなんです。しかも、周りに振り回されず、自分を持っている人が多い。父は、そういう環境で育てば、『人見知りしない性格になる』って考えたみたいで、あえて、3歳までフィリピンで過ごさせたらしいんです」
 フィリピンから日本に移った菊地は、小学4年生から野球を始めた。友達の中村冠太(現清水桜が丘)から誘われたことがきっかけだった。「自彊スポーツ少年団」に入団すると、選手数が少なかったこともあり、すぐに外野手として試合に出場。徐々に「プロ野球選手になる」という夢を抱くようになる。

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「中学3年間で基本ができた」という菊地(島田商)

   中学は吉田中でプレー。硬式チームも選択肢にあったが、6年時に吉田中の練習を見学し、大きな衝撃を受けた。
「やっぱり、澤入(信也)先生の存在が大きかったです。厳しさもあり、自分が成長するならここしかないと感じました」
 吉田中といえば、無安打で1点奪う細かい野球を武器に、毎年県上位に顔を出す強豪だ。入学すると、菊地は澤入監督から基礎を叩き込まれた。
「まず、一番は足が速くなりました。守備もセカンドになり、確実にアウトにする堅実さが身につきました」
 一方で、澤入監督は他の選手とは違う独特の野球勘を持っている菊地のスタイルも尊重してくれた。
「僕は吉田中の野球には全然あっていなかったかもしれません。でも、それを理解してくれたのも澤入先生でした。バッティングも、レベルで入る打ち方だけ教えてもらい、あとは自分の打ちやすい方法でやらせてもらいました」
 菊地の個性と澤入監督の緻密な野球がマッチング。小柄の菊地に対し、「上のレベルで絶対に役立つから」と、小技のテクニックを教えてくれたのも澤入監督だった。
 3年春の選抜大会、夏の中体連で県優勝。菊地は1番打者として、核弾頭の役割を担った。春の決勝戦では漢人友也(現常葉大菊川)を擁する桜が丘中と対戦し、7回裏にサヨナラ安打を放つ活躍。夏の決勝戦ではマウンドに上がり、5回を無失点に抑え、エースの遠藤龍成(現清水桜が丘)につないだ。
 技術とともに、澤入監督の下でメンタル面も鍛えられた菊地。高校につながる勝負強さも、この時期に養われた。

★硬式の壁を乗り越えて
 高校は「公立で地元の選手だけで勝ったら、かっこいいな」と、島田商へ進学する。
 1年秋から三塁手のレギュラーとして出場。だが、順調なスタートではなかった。菊地は野球人生で初めてと言ってもいい、壁にぶち当たる。
 打撃では凡退の山を築き、守備でもエラーの連続。「このままどうなってしまうんだろう」と苦悩したという。
「打球が飛ばないし、守っていてもバウンドの合わせ方が分からないし…。監督さんが、『何でレギュラーで使ってくれているんだろう』って、自分でも不思議に思うくらいに本当にひどかったと思います」
 020321年の冬が過ぎた頃、ようやく一筋の光が見えた。バットを振り込んでいく中で、硬式ボールに対する怖さや痛さを払拭していった。菊地本来のフルスイングができるようになると、守備でのミスも減っていく。
「技術云々じゃなく、気持ち的にプラス思考になって自信を持てたことが大きかったです。僕、昔から何かを一回掴むと、一気にボ~ンっていけるタイプなんです。そのときは、まさにそんな感じでした」
 2年春からは二塁へ。池田新之介監督と当時二塁を守っていた海野英一に相談し、守備位置を変更した。
「サードは一瞬の動きを求められるのですが、僕はセカンドの方が守備範囲が広くて守りやすかったです」
 そして、2年秋からは不動の1番打者に。3年春には県ベスト4入りに貢献し、県屈指の二塁手としてあの夏を迎える。

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「静岡を巣立つ球児たち2019~菊地涼編・下」は近日中に更新します! 

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2018年3月19日 (月)

静岡を巣立つ球児たち2018~小川慶太編・下

 オフシーズン企画「静岡を巣立つ球児たち」。今年も「静岡高校野球」編集部が、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、小川慶太(浜松西卒)編です。 「静岡を巣立つ球児たち2018~小川慶太編・上」はコチラ

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★1日8時間以上の勉強で合格を勝ち取る
 高校3年夏は4回戦で常葉菊川に敗れる。先発のマウンドに上がった小川は2回まで強力打線を無失点に抑えたが、3回に6点を与えた。

 03191夏の大会後、進学先を慶應義塾大一本に絞り、机に向かった。
「慶應は考える野球で、チーム全員で勝利を目指していく。高校の時も佐藤先生から、そういう野球を教わって、慶應に憧れました」
 だが、現役では合格ラインに到達することはできなかった。
「壁は高かったという感じですね。自分の実力じゃ、まだまだだって、現役の頃は思いました」
 だが、小川は他の大学を考えることは一切なかった。1年間野球のプレーができなくても、迷うことなく、一浪することを決意する。
 この1年間は学習塾に通い詰め、1日8時間から10時間の猛勉強に励んだ。
「とにかく慶應のユニフォームを着て、早慶戦に出たい。それだけを思って勉強しました」
 そして先月23日、合格を勝ち取った。すぐに交流のあった慶應義塾大・林卓史助監督に報告すると、「ゆっくりでいいから体を動かすように」と指示を受けたという。
 1年間、体を動かしていなかったこともあり、体重は102キロまで増量した。現役時代の体重は86キロ。まずは歩きながら、体を絞ることからスタートした。今は浜松西のグランドを借り、徐々にランニングやスイングで感覚を取り戻している。

★大学でもフルスイングにこだわる
 大学では高校時代と同じ、二塁手で勝負する。慶應義塾大の二塁手と言えば、昨年まで高校の先輩、倉田直幸が守っていたポジションだ。
03192「僕も倉田さんのように、できるだけで早く試合に出て、チームに貢献したいという思いだけです」
 ゆくゆくは高校教師になり、野球を指導したいという夢も持っている。一方で、右の大型スラッガーとしてプロを狙える逸材だ。
「先のことは分かりませんが、大学でもフルスイングは崩さずにやっていきたい。それが自分の強みなので、そこだけは変えたくありません」
 最後に高校球児へのメッセージを聞いた。
「野球をやっている時期は野球に打ち込んで、そこで完全燃焼してほしいです。そこで完全燃焼しないと、その後の勉強にも結びつかないと思います」
 大柄な体格に加え、運動能力も高い小川。まずは破格力のある打撃をアピールして、リーグ戦出場を目指していく。 

<写真上/高校3年夏は7打席連続安打を記録>
<写真下/大学での活躍を誓う小川>

佐藤光監督からの贈る言葉

浪人までして合格を果たしたのは、すごく立派なことです。浪人した選手が活躍するのが慶應義塾大の強さ。小川も「フォア・ザ・チーム」の精神を忘れずに、頑張ってもらいたいです。将来はクリーナップを打てる可能性があると思います。

■小川慶太[おがわ・けいた]内野手/浜松西卒/185cm102Kg/右投右打
1998年4月15日生まれ、静岡県浜松市出身。小学1年時にソフトボールを始め、5年時から「浜松リトル」でプレーする。中学時代は「浜松シニア」に所属。浜松西では1年夏からレギュラーとなり、2年秋は内野手兼投手として県ベスト16入りに貢献。3年夏は7打席連続安打をマークした。高校通算21本塁打。一浪の末、慶應義塾大に進学する。

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 佐藤監督によると、小川は今年も不合格なら、二浪も覚悟していたとのことです。何としても慶應義塾大でプレーしたいという思いは、これからの4年間の財産となるはずです。慶應義塾大は小川の同学年の村田大輔(磐田南出身)がメキメキと力をつけているという情報もあって楽しみ。静岡県出身の2人でレギュラー争いをしてくれたら嬉しいです。
 今回で『静岡を巣立つ球児たち2018』は最終回となります。みなさんの全国での活躍を期待しています!

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2018年3月14日 (水)

静岡を巣立つ球児たち2018~小川慶太編・上

 6年目を迎えたオフ企画、「静岡を巣立つ球児たち」。「静岡高校野球」編集部が卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。今年の最終回は、高校3年生ではありませんが、一浪の末に、慶應義塾大合格を果たした小川慶太(浜松西卒)のインタビューを2回に渡ってお届けします。

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静岡を巣立つ球児たち2018~小川慶太編・上

 ★佐藤監督との出会い
 小川は、かつてヤマハでプレーした父・泰生氏と、幼稚園の頃からキャッチボールを始める。小学1年時になり、地元のソフトボールチームに入団。5年生から「浜松リトル」でプレーした。
 03141浜松西中等部時代は「浜松シニア」に所属。最終学年ではサードのレギュラーを務めた。
「シニアではコーチ陣から野球の技術だけじゃなく、コミュニケーションの大事さを学びました。挨拶や先輩に対する接し方とか。そういったところは高校で生きました」
 高校は「文武両道で自分に合っていると思った」と、迷うことなく浜松西に進む。
 入学と同時に赴任したのが、慶應義塾大出身の佐藤光監督だった。小川は「佐藤監督と出会わなかったら、大学で野球を続けようと思わなかったし、その後の自分はなかった」と語る。
「佐藤先生から慶應の野球はこうなんだと教えてもらって。それがすごく魅力的でした。技術的にはバッティングが大きく変わりました。1年から2年の頃は新発見の連続でした」
 佐藤監督の打撃理論を実践すると、徐々に逆方向への強い打球が増えていった。また、チームとしてスイングスピードを上げていく中で、小川は3年時にプロ野球選手並みの157キロを叩きだす。一般的な高校生の速さは125キロ前後。高校生離れした力強いスイングを手に入れ、県屈指の強打者へと進化していく。
 
★早慶戦を目に焼きつけ、夏の大会へ
 高校3年生となり、1ヶ月が経過した頃だった。小川はスライディングした時にスパイクの刃が地面に引っかかり、足首を捻挫する。夏の大会まで2ヶ月を切っていた。周りのメンバーは大会に向かって気持ちを昂らせる時期。小川は思うような練習ができず、焦りが募っていく。
 転機は、佐藤監督からの一言だった。
「練習はいいから、神宮に行って早慶戦を見て来い」
 6月上旬、小川は東京六大学リーグの早稲田大対慶應義塾大の試合を見るために、神宮球場に向かった。
 大観衆に沸く球場で、高校の先輩・倉田直幸がプレーし、岩見雅紀 (現楽天)の本塁打も目にした。
「いつか自分もここでプレーしたい」
 気分を一新した小川は、そこから状態を上げていく。
 高校3年夏は評判通りの大活躍を見せた。
 1回戦は第1打席の初球を豪快に振り抜き、レフト方向へ特大ファウル。すると、続く2球目は右方向へ弾き返して二塁打に。さらに2打席目と3打席目はレフト前安打、4打席目はセンターフェンス直撃の三塁打を放った。 
 2回戦も第1打席から第3打席まで連続安打。初戦から7打席連続安打を記録した。

<写真/浜松シニア時代の小川慶太>

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「静岡を巣立つ球児たち2018~小川慶太編・下」は近日中に更新します!   

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2018年3月 9日 (金)

静岡を巣立つ球児たち2018~若生裕也編・下

 オフシーズン企画「静岡を巣立つ球児たち」。今年も「静岡高校野球」編集部が、卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。
 前回に引き続き、若生裕也(静岡大成3年)編です。 「静岡を巣立つ球児たち2018~若生裕也編・上」はコラチ

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★まさかの大逆転負け
 夏の大会、若生は初戦に登板することなく、2回戦に照準を絞った。相手はシード校の磐田東。打撃に定評のあるチームだった。
 初登板の緊張もあり、いきなり先頭打者に本塁打を浴びる。それでも、味方打線は2回に逆転すると、3回には一挙10点を奪う猛攻を見せる。
03081 14対2。序盤でなんと12点差をつけた。この時点で誰もが静岡大成の勝利を疑わなかった。ところが、3回裏に2点を献上すると、その後、毎回得点を許し、ジワリ、ジワリと点差がつまる。
「調子自体は良くもなく悪くもなく、普通だったのですが…。4回くらいから、ヤバイかもという感じでした」
 迎えた8回、ついに同点、逆転まで許した。投げても投げても打たれる。若生にとって初めての感覚だった。
「点差があるって余裕を持ってしまったところがいけなかったんです。どこかに油断とスキがあったんだと思います」
 直後の9回、今度は静岡大成が同点に追いつく。その裏、立ち直りの兆しを見せた若生はスライダーがキレてピシャリと3人で抑える。だが、相手に傾いた流れは簡単には戻せなかった。延長11回裏、無死一二塁のピンチから、この日、投じた184球目をライト後方に弾き返された。二塁走者が生還。サヨナラ負けを喫した。

◆2017年7月17日 全国高等学校野球選手権静岡大会 2回戦   

 チーム
静岡大成 1 3 10 0 0 0 0 0 1 0 15
磐田東 2 0 2 1 1 4 2 3 0 1 16

★大学でブレイクを狙う
 あれから8か月。未だに悔しさとショックから、まともに夏の大会を振り返ることができないという。そんな中で、横山力監督の勧めもあり、大学でプレーを続けることを決断する。
「2年生の頃までは就職を考えていました。でも、2年冬にJX-ENEOSの練習見学に行ったり、都市対抗を見に行ったりして、こういう舞台で勝負したいなと、少しずつ思うようになっていきました」
 03082進路先として選んだのは関甲信学生リーグに所属する山梨学院大だった。昨春に1部昇格を果たし、近年、メキメキと力をつけている大学だ。
 すでに、2月上旬からチームに合流。今は走り込みなどのトレーニングで体を鍛えている。
「まだ下半身が弱く、それでフォームにバラつきが出てしまうので、今は下半身の筋力と柔軟性のアップが課題です」
 大学4年間の目標を聞くと、「今はそういうレベルの投手ではないので」と控えめに話すものの、体力強化に比例して球威アップが見込める左腕。まずはリーグ戦での登板を目指して、一歩ずつ前進していく。
 最後に高校球児へのメッセージを聞いた。
「2年半は長いようで意外と短いので、一日一日、自分が成長するために時間を使ってほしいと思います」
 高校3年夏に結果は出なかったが、やってきたことには後悔はない。大学で大輪の花を咲かせる。

横山力監督からの贈る言葉

真面目な選手ですので、大学でもブレることなく取り組めば、きっとチャンスはあるはずです。そのチャンスを生かして、勝ち上がってほしい。あの高校3年夏の悔しさが、この先の若生を作ってくれると信じています。

■若生裕也[わこう・ゆうや]投手/静岡大成3年/175cm71Kg/左投左打
1999年11月18日生まれ、静岡県焼津市出身。小学1年時に「焼津港エンゼルス」で野球を始める。港中時代は「静岡中央シニア」に所属し、エースとなる。高校入学後、1年夏の県大会から登板。3年夏は2回戦で敗退した。ストレートの最速は130キロながら、抜群の腕のしなりを持つ本格派左腕だ。卒業後は山梨学院大に進学する。

 2月から山梨学院大の練習に参加し、一番苦労しているのが生活面だそうです。平日の朝と夜は学食があるそうですが、それ以外は自炊。また、「洗濯もなかなか慣れないんです」と打ち明けてくれました。ここからの4年間は心技体で大きく逞しくなる時期。数年後、どんな成長を果たしているのか、今から楽しみです。次回は特別編として、一浪を経て慶應義塾大に合格した小川慶太(浜松西卒)を紹介します。お楽しみ!

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2018年3月 7日 (水)

静岡を巣立つ球児たち2018~若生裕也編・上

 6年目を迎えたオフ企画、「静岡を巣立つ球児たち」。「静岡高校野球」編集部が卒業後も野球を続けることが決まっている高校3年生たちに会いに行きます。第3回は柔らかいフォームが魅力の左腕・若生裕也(静岡大成)。卒業後は山梨学院大に進学する若生のインタビューを2回にわたってお届けします。

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静岡を巣立つ球児たち2018~若生裕也編・上

★横山監督との出会い
 若生は小学1年時から野球を始め、「焼津港エンゼルス」でプレーする。秋山彪監督からフォームの基礎を教わり、6年時にはエースとなった。
 中学時代は「静岡中央シニア」に所属。目立った成績を残していないが、「中央シニアにいい左腕がいる」と噂が広まり、強豪校からも目をつけられる存在となっていく。その中で最終的に本人が進学先として決めたのは静岡大成だった。
 静岡大成は環境面に恵まれていない。平日は校舎に囲まれた狭いスペース内で活動。月に1回から2回程度、近隣の球場を借りることもあるが、基本的には内野面程度(グラウンド半面)の中で練習する。
「それは関係ないと思っていました。それよりも、横山(力)先生が何回もグランドに足を運んでくれて、自分を欲しがってくれていると感じ、大成に決めました」

★フォームを探求する
 高校入学後、若生は横山監督とマンツーマンで練習に励む。肩甲骨や股関節の柔軟性を高めていき、トレーニングジムではイチロー(マリナーズ)や岩瀬仁紀(中日)など多くのプロ野球選手も実践している「初動負荷理論」を取り入れた。
「もともと小学校の頃から体の柔らかさには自信を持っていた方でしたが、高校でのトレーニングで、もっと柔らかくなりました」
 また、横山監督の影響で、フォームの細かい点について興味を持つようになる。自宅では菊池雄星(西武)、則元昴大(楽天)などのプロ野球選手の動画を見ながら研究。自分のフォームとの違いを探った。
「フォームを詳しく知ることで、好不調の波がなくなりました。自分の中で、今日はどこが良くて、どこが悪いのかが自然と分かるようになりました」

03071_2★静高相手に好投
  
1年夏の大会からマウンドに上がると、秋から主戦となった。そして、2年春の中部大会では「高校3年間で一番の出来だった」と、静岡高相手に好投を演じる。
 試合には敗れたものの、強力打線を3点に抑えた。立ち上がりから集中して、攻めの投球を展開。しなやかな腕から繰り出すストレートとスライダーが冴えた。
「この時は静高よりも強いチームはないと思っていたので、こういう投球ができれば、どのチームにも通用すると自信をつけました」
 しかし、2年夏は3回戦で浜名と対戦し、4回5失点で降板。チームも敗退した。続く秋、3年春も好投手として注目を浴びながらも県大会出場を逃す。
「もっと勝てると思っていたのですが…。静高戦以降、自分の理想のパフォーマンスが出せなくて、いつも苦しんでいました」
 そんな中でも、2年冬には大きな収穫を手にする。社会人野球の名門として君臨するJX-ENEOSの練習見学に行った際のことだった。同じ左投手の大城基志からこんなアドバイスをもらう。
「ピッチャーはスピードが全てじゃない。コントロールとキレで勝負できるんだよ」
 大城といえば、球速は常時130キロ台も、多彩な変化球と投球術を武器に、社会人トップレベルまで登りつめた左腕だ。その言葉は若生の胸に響いた。
「大城さんは体も大きくないし、球が速いわけではない。それでも上でやっている人がいるって勉強になりました」
 勝負に勝てない苦しみにもがきながらも、少しずつ自分の目指すべき方向性を定めていった。

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「静岡を巣立つ球児たち2018~若生裕也編・下」は近日中に更新します! 

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